「支那帝國に禍するものは儒教主義なり」
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時事新報に掲載された「支那帝國に禍するものは儒教主義なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
支那帝國に禍するものは儒教主義なり
我輩漢學は至って不案内なれども少年の時は諸方の先生の門に入り四書五經以上一と通りは學び得て先ず日本國中にて漢學者の優劣を評したらば我輩も其中通りには位することならん〓世の中に大學者は甚だ少くして其髙尚論は人の耳に入らず左ればとて極下等の學者も世に重んぜられずして其言を〓くものなし故に漢學は如何なるものぞと尋ねるごときは正に我輩如き中通りの學者が解し得たる所のものこそ漢學の主義なれと答えて大なる過ちなかる可し如何となれば仮令吾輩の漢學説が老儒〓學の耳に逆いて漢土儒教の旨と申すは左様に淺はかなるものに非ずなどゝ辨論説明するも是れは所謂儒教の奥の話にして世上の人は之を知らず兎に角に滔々たる天下に行わるゝ所は其學の餘り髙からず又餘り卑からずして中邊に在るものを以て最も廣くして有力なりとす可きが故なり左れば漢學の主義は我輩の解する所を以て天下普〓の〓〓なりと定め我輩の所見を以て漢學の効能を説くごときは其主義を二分して一を脩身論とし一を政治論として見る可し而して其脩身の部分に就ては餘り奇抜の言もなし唯尋常一様古今世界普通の教にして、博く愛して物を害する勿れ、事の宜しきに從て利を貪る勿れ、〓儀を重んじ是非を辨じて言必ず〓る勿れと申す位のことなれば人々一身を脩むる心得には至極適當なるが如くなれども其政治論に至りては立論の根本唯一國内に限りて然かも君子の道と稱し専ら人を治むる法のみを議論して苟も政治上に關しては自治の旨を教えたるものなし故に此儒教の行わるゝ國に於いては政治上に人の種類を二様に區分して治むる者と治めらるゝ者と上下に定まりて之を國民の分限と稱し被治者は唯自國内の主治者に事ふる道を知って自から國を守る義務あるを知らず主治者も亦唯自國内の安寧さえ〓支すれば他に求る所のものなきが故に政治上の事は何に付けても善きことのみを被治者に聞かせて安心せしめんことを謀り例えば國内の或る部分にては人民飢渇に苦しみ甚だしきは一揆騒動の沙汰に及ぶも公には萬民競腹などゝ囃立てゝ兎に角に天下太平の外面を装飾し世々の習慣終には其装飾の發起人たる主治者までも自から欺かれて安心する者多し儒者の所謂下情上に通ぜざるものなれども畢竟自國一區内のことなれば差したる大害もなく先ず以て一國平静なりと雖も斯る習慣を其まゝにして外國の交際に當るごときは禍乱忽ち生じて其國の滅亡に歸す可きこと勢に於いて免れざる數なり之を要するに儒教の主義は戸外に關係なき一身の私德を脩むるの教とすれば中人以下凡庸の爲には甚だ好し又これを國の政治に施しても其國が外國に交わることなくして治乱共に一國内に限るものなれば亦以て安寧を保つに足る可しと雖も交通の便利漸く開けて國の利害漸く外に關係し國民の眼界漸く廣くして内外を比較する念を生ずるに至っては儒教は國安を維持するに効能なきのみか却て國を亡ぼすに足る可きのみ
以上は我輩の立論にして之を今日の事實に證するに支那は純然たる儒教國にして其外國との交通繁多ならざりし時代には國内もよく治まりたりと稱して其國の公文又は歴史記事等を見れば所謂〓腹〓攘の樂國の如くなりしが〓近世界の交通法に一面目を改め外國との關係一段の繁を増すに及て其立つ國の〓主義は曾て國を守る用を爲さざるのみならず上流主治者の地位に居る輩が祖先以來〓〓自大の習慣を遣傳し來りて今日は既に其性を成し毫も自省の念あることなし去年來佛蘭西との葛藤に就ても終に兵端を開き我輩の所見は最初より支那の敗を豫期して疑わず今の支那政府の政略と其軍〓とを以て西洋の文明國人と戰わんとするは人足に大八車を引かせて蒸汽車と競争するに異ならず其勝敗論ずるに足らざるは世人の善く知る所なれども獨り知らざる者は支那國當路の主治者にして其軍敗れたるを見ず、兵士殺されても殺されたるを聞かず偶ま恭親王李鴻章の如き老儒中の〓々にして少しく西洋事情の一端を耳にして少しく文明の探る可きを合點し洋鬼の主義には服せざれども其器械をば利用せんなど言う者あれば此種の人物にても洋臭に堪えずとて之を〓斥し其餘は都を是れ儒流の群衆にして俗に所謂盲者蛇を畏れず政略を以て今日の有様に至りしことなり幸にして佛人の擧動毎に不活〓にして日を〓くしたればこそ尚未だ大事に及ばざれども佛も亦今は騎虎の勢にして中途にして退くに面目もなかる可ければ遂に一日は進て大に和戰を兩斷する時ある可し此まゝに戰を止むことなからん〓、佛人の目的は北京を取らざれば飽かず、或は支那人が和を乞わん〓、其賠償の重きは世界の耳目を驚かす程のものならん加之佛人仮令一度和議に應じて退くも支那國の敵は獨り佛に止まらず英あり獨あり又露あり支那政府に本と罪なしと雖も十八省の富有を抱く是れ其罪にして西洋文明の諸強國は自國人の功名心を慰めるがため又其利慾心を滿足せしむるがため事實の要用に迫られて此富有國に〓集して求むる所なきを得ず而して富有國の主人は内を治むるを知って外に接するを知らざる儒教主義の故老輩のみ支那帝國の運命前知す可きなり