「・亞細亞の東邊今より多事ならん」
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時事新報に掲載された「・亞細亞の東邊今より多事ならん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
・亞細亞の東邊今より多事ならん
蒸氣電氣の働は西洋人の發明に係り其効能の洪大なる之を用いて唯益其無〓なるを見るのみにして發明の本人に於いても自から驚く程のことなれば發明以來今日に至るまで未だ十分に其功用の試験を經ざるものと云うも可なり之を喩えば正宗村正が實劍を鍛えて之を用れば〓も人を切れざるものなく二つ胴三つ胴の無造作なるには本人も驚く程にして尚後世の劍客がこれを金属に試みるに〓の棒を兩斷し鉄砲もはすに切れるなど實に意想外の事のみにして何ものに當りたらば刀の鈍きを覺う可きやと却て自から疑うものに異ならず此二氣の力を以て交通を便にし商賣工業學問の趣を一變して恰も世界の形勢を更始したる事實は皆人の知る所なれども如何せん用法の由來日尚淺くして其これを實地に施したる處は専ら歐米の内地のみなりしが此三五年以來漸く之を海外の地に試用して功能果して著しきものゝ如し一例を擧げれば今回佛蘭西が支那帝國に向いて遠略を企てたるが如き是なり在昔英人が印度地方の經營は百年間の辛苦を以て始めて功を奏したることなれども今の佛人は英人百年の事を三年に成す可し之を蒸氣電氣の功力と云わざるを得ず佛蘭西の遠〓に付いては近く隣國の〓をも顧みずして遠く萬里外の支那に事を起すは策に非ず一旦内顧の意に際したらば如何せんなど餘處ながら大に心配する人もあれども畢竟するに未だ交通利〓の功用を知らざる者の言なるに過ぎず今の蒸氣船車を利用して電信以て之を進退するごときは支那地方に在る佛兵は佛國内に在るものに異ならず地〓の上に見ればこそ此れは歐羅巴其れは亞細亞とを萬里相去るが如くなれども其往復の日數を計れば果して萬里ならざるを知る可し況や今後支那の内地に鐡道を敷設して直に歐洲の大陸に陸運の便を達するも多年を待たず佛清直に境を接する隣國たる可きに於いてをや爰に奇語を用いれば十九世紀蒸氣電信の世界には遠客なるものなくして戰えば則ち皆隣國境上の戰なりと云うも可ならん是即ち我輩が今日佛清の〓藤を見て佛人の敢爲勇退を怪まざる由〓なり佛人は既に交通の利器を利用して支那に臨み先ず東京の地方を略して既に廣西に入り〓湾には鶏籠淡水の二港を占めて北は〓波に於いて正に進撃の最中なり此勢を以て進行したらば何時か一日北京に迫りて城下の盟を促すも難事に非ざる可し或は北京へ直達の道路硬塞することもあらば便宜の海岸に上陸して徐々に行軍するも可ならん其容易なるは無人の郷を通行するに異ならず支那人の柔弱遲鈍なる手に文明の利器なくして何を以て佛兵の鋒に當る可けんや或は佛人の爲に謀るに進撃して土地を占領するに從い要用の塲所には自ら鐡道を敷き電線を架して其道と線とを護る力さえあれば其地方は則ち純然たる佛蘭西國にして支那人は之が爲に〓息せざるを得ず左れば佛人が自國の都合を謀り直に北京に入るに兵力の不足を知らば故さらに之に入るを要せず唯侵略に便利なる地を〓て之を略し居然として守りさえすれば佛の殖民地は即日に成るものと云う可し之を彼の蒸氣電氣發明の前に西洋諸國の人が風帆船に駕して野蠻不開の地に探り千辛萬苦幾〓〓を重きを始めて所轄に歸するが如きものに比すれば事の難易と利の厚薄と復た同日の論に非ず其相違は不毛の地を始めて開墾すると既に開墾したる熟出を押領するものとの割合に等しかる可し盖し古人も此熟田を取る利を知らざるに非ずと雖も交通の利器なければ之を如何ともす可からず僅に不毛の地を以て自ら滿足したることなれども今や既に此利器を手にす、支那の如き人文〓や開けたりと稱すと雖も利器を以て之に臨むは古人が風帆船の力を〓りて蠻民を制したるよりも遥に容易なる可し唯近年に至る迄西洋人が東洋諸國の侵略を企てざりしは先入の感を拂うこと能わず風帆船の残夢に沈〓して自から今の利器を利用することに〓付かざりしものゝみ然るに佛人は獨り起て其利用の端を開きたり他諸強國にして空しく之を傍觀して止むものあらんや必ず仏の例に倣いて東洋既〓の田園に群集することならん或は佛蘭西は自國の都合に由り今回一時に大事を成さずして小威に局を結ぶことあるも東洋に向いて其輿し易き實例を示したるものは佛人なるが故に今後亞細亞東〓の多事は佛蘭西を〓して其發明奮起者と稱するも可ならんのみ