「 誰れか英國を東洋に意なしと謂ふ 」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「 誰れか英國を東洋に意なしと謂ふ 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 誰れか英國を東洋に意なしと謂ふ 

今を去ること二十五年前支那咸豊の六年に英佛聯合して北京に迫り城下の盟成て償金八百万両を取る、之を咸豊の役と云ふ此役ありてより以來天下英佛兩國を並稱し或は東洋に於て兩國の利害は遂に相岐することなかる可しと云ひ甚しきは英佛を以て同舟の洋鬼、同窟の豺狐なりと見做すものもありしかども近來佛國が頻りに東洋の侵略を事とし安南に支那に引き続て出兵を試み今日の勢、北に北京城を睥睨して=の輕重を問はんとするが如き趣ある其際に英國は東洋の利害に就きて俄に視覚を失ひたるが如く佛國が肩もて風を截りながら東洋に横行するを見て故らに見ざるまねするの觀相あるが故に東洋人は早くも其容体を診察し英國は商賣國なり、東洋の商利上に於ては口体=手を以て之を爭ふ可しと雖ども其侵略策に於ては盖し閔如たりと云ふの了見ならん抔云ふものあり、叉在東洋の英國人にて現に操觚の責に任するものにても本國の深意を知るや知らずや、外面にては英國が先を以て東洋の國事に干渉するの意なきを明言するものありと雖ども我輩は一喝して是れ大惑なりと云はんと欲するなり

斯く申す我輩の所見にては英國は東洋に干渉するの意なきに非ず唯其内閣の都合にて今は其意を肆にせざるのみなりと信ずるなり元來英國の慣例として政治上に自由保守の二黨あり、自由黨は外國の事に干渉せざるを以て其外交の主義と爲し保守党は之れに反して國威伸長を勉むるの信條なれば英國政府が事功を外に立てたるは古來より保守党專權の時に多きものゝ如し即ち千八百三十九年廣東阿片の事件に就き支那より二千一百万弗を要求したるは保守党メルーミン子及びロベルト ピール君の内閣にして近くは伯林會議にて大に英國人威名を=したるは保守党ピーアンズヒルト伯の内閣なりき尤も政党の主義と云へるは至極漠然たるものにして之を遵守する人に由り運用甚た自由なるものなれば自由党は外國の事に干渉するを忌むとは云へ近代英國の自由党中にて氣宇豪邁の人傑なりと知られたる彼のパアマワストン子が千八百六十年頃に其内閣を組織せし間は英佛聯合の軍北京を陷れたるが如きことあり叉クリミヤ事件の如きものもありしと雖ども自由党にて現宰相たるグラツドストン氏は内治經紀の才に長し所謂治世の能臣にして最も自由主義に適したる人なれども彼のピーコンスヒルド伯が常に大事功に勇み動もすれば歐洲に覇たらんとするが如き大規=ありしに似ざる所あれば區々たる埃及の僞聖マーヂの軍すらも尚且つ之を鎭壓するに困しみ目下英國人民をして其處置の緩慢なるを非難せしむるに至りたり左れば今日の英國が東洋の經略に躊躇して敢て之れに干渉せざるは英國人民の干渉せざるに非ずしてグラツドストン内閣の干渉せざるなり故にグラツドストン内閣にして一朝其方向を變するか或は他党と交迭することもあらば英國の東洋攻略は俄然佛國風を逐ふことならんと云ふ可らず彼の英國の今日に黙々たるを見て彼れ遂に東洋に意なしと評するが如きは國交際上の近眼論家たるを免れざるものなり

我輩が今日より敢て此に論及したるは决して偶然の事に非ず試に現時英國の事態を視よ現政府は埃及遠征略の緩慢なりしが爲めゴルドン將軍をして敵地に死せしめ徒に僞聖軍の氣焔を煽したるが如き成跡あるより全國の公論は現政府に讓らざるの勢を現はすと同時に保守党の勢力は忽ち平常に倍し來りて現政府の安危は實に一髮千釣を引くの趣あるが如し目下自由党済済の多士或は内閣を將に覆らんとするに支ゆることありとするも政治社會人心の轉變、早晩保守党の世と爲ることあるや必せり、斯くて保守党朝に立ち前政府を非難せし所の口實を實施して世間の企望に背かざらんとせば從來内治專門の施政に引き替へ大に外交遠征の政略を執り事功を以て人心を収攬することとも爲らん或は保守党をして此に出つるの意なからしむるも英國の人民は一草水を隔つる佛國の新聞紙に毎朝毎夕東洋の侵略事件を載するを見、叉其勞少にして利多きを見て斯く==の念を動かし輿論の螺旋力を以て其内閣政略の方向を轉回せしむるや疑を容れず特に英國の海軍は今日に於ては少しく強弩の末勢あるを免れずと雖ども軍艦の數と之を巡動する兵士の熟練とより云ふときは海王の名今猶未た空しかざる故に他年一日侵略政策を實施することゝ爲らば異日の英國は或は今日の佛國よりも懼る可ものとも爲る可し、誰れか謂ふ英國が東洋に意なしと、試に東洋十年の=を思へ、自から其大=たるを==す可きなり