「朝鮮國の獨立」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「朝鮮國の獨立」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

朝鮮國の獨立

我輩は前日の紙上に於て朝鮮の事大黨が國辱をも忍て自から他の屬邦たるを甘んずるは畢竟その當路者が貴顯の地位を僥倖してその僥倖を無理に守らんとするの熱心に出てたるものにして遂に昨年十二月變乱の禍根たりしとの次第を開陳したり(三月卅一日時事新報)然るに昨年の變乱たるや獨立黨の失敗たりとは雖とも是れは唯支那兵の干渉に由りて其黨の士人が終を善くせざりし迄のことなれとも事大黨の首領たる閔氏趙氏以下の六大臣は之が爲に其身を亡ひ爾來金宏集金允權魚允中の流が朝に立て事を執るものと爲りて政府の景況を察するに事大の空氣は却って變乱以前よりも稀薄に改まりたるものゝ如し蓋し金魚諸氏は本來自發の事大黨員には非ず唯時の勢に制せられて自家の筋を立るを得ず優柔不斷以て疎縁ながらも閔趙諸氏の驥尾に附したるまでの者にして既に彼の金朴の一類が政權を得たるときにも金宏集の如きは顯職に任せられたる程の次第なれば基本心より事大の主義に非ざるや明なり左ればにや變乱の後今日に至るまで支韓の關係に於て支那人は恰も戰爭の風を裝ひ武威を以て朝鮮國に跨むの勢いあれとも朝鮮人は唯其威に伏するのみにして其心に服するに非ざれば表面には事大の儀式を呈するも内治の内實に於ては勉て支那の干渉を免れんとして竊に不平を漏す者ありと云ふ今其實證として一例を擧れば三月十日閔泳翊の下人が誤て支那兵を傷けたるが如き其過誤は一時の過誤なるも之に由て泳翊の身の累を爲したる顛末を顧れば閔氏の獨流にして事大の外に身を立るの道なかる可しとまでに評せられたる其人に於てすら尚且支那人の償〓〓業には堪へずして獨立の正義に〓受したるを見る可し韓廷の氣風既に斯の如くなる其上に爰に又大院君の一類なるものあり君が朝鮮國の大權を挙盡して威嚇を行ふたるは世に謂れもなきことにして中是にして閔旗のために辨せられ又隨て明治十五年の乱に支那に幽囚の身と爲りたると雖とも前年の執政中間接に又直接に君の知遇を辱うし其〓〓を蒙りたるものは國内に尚萬を以て計るの數あり現に今日忠清全羅慶尚の三道にあるの所謂南人黨(即ち大院君黨)は八萬人に下らず此黨の者共は素より頑固至極の人物にして外國あるを知らざるのみか朝鮮國をも知らず唯各自の頭上に大院君あるのみを知て進退運動せしものなるが一朝にして基本尊たる無上の首領を失ひ扨之れを奪ひ去りたるは何ものなるぞと尋れば隣國の支那人なり又近來外國交際てふ新説を聞けば凡そ獨立國たるものは國の大小強弱に論なく各自主の權ありて他より來りて自國君主の父を捕へ去るが如き無禮無法は行はる可らざる筈なりと云へり左れば吾々が本尊視したる大院君の支那に幽閉せられたるは朝鮮國の獨立ならざるが故なり獨立は國民の精神勉強を以て成し得べし一國獨立して再び本尊を拜するの日ある可し苟も獨立の主義を執る人なれば誰れ彼れに論なく皆吾々の友なり政府獨立を欲するか吾れ之に從はん況や彼の金玉均朴泳孝徐光範徐載弼の一流が徹頭徹尾其主義を執て動かず獨立の二字のために身を犧牲にして其政權を握りたる日にも私の舊怨を忘れて公に大院君奉迎の事を建議したるが如きは公明正大大丈夫の事を行ふたる人物なり今是等の名士が一時賊名を蒙るも吾々心に於て決して之を忌まず寧ろ其尾に附して支那の羈軛を脱し以て吾が志を達せんとて熱心奔走する者甚た盛なりと云ふ

抑も去年十二月變乱の後朝鮮國は有名無實にして朝野の政權も人心も都て支那に包羈せられたるの勢を成し又其勢の事實に現はれたるものをも聞見したれとも是れは唯一時の假相のみにして僅二三箇月を經て國民全体の氣風を觀察すれば歴然として其内部に獨立心の發生を窺ひ見る可し蓋し朝鮮人も亦両國の人類にして一國の國民なり國民にして其國の獨立を欲するは殆と其天性とも名く可きものなれば今日朝鮮の事相は獨り朝鮮に限りて偶然に然るものに非らざるなり然ば則ち去年の禍乱は誠に變乱なりしと雖とも之に由て事大黨の首領を除くと共に事大の氣風をも一播し始めて國民獨立の精神を發動して基本色を現はすの端を開きたるは彼の國のために謀て轉禍爲福と稱す可きのみ但し古今朝鮮國に於て漸く發生を催ふしたるものは唯獨立の精神のみにして其獨立の手段に至ては今尚皆無なりと云はざるを得ず即ち國に富源ありて富實を見ず、兵士ありて兵器なし、政府ありて政法なし、文人ありて學士なし、復た如何ともす可らず竊に今後を案するに何れも事に着手するの初に於ては必ず外國の力を借用するの外なかる可し世界廣し富強國多し誰れか進て之に手を出すものぞ我輩は刮目して之を視る者なり