「佛國内閣の更迭其影響如何」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「佛國内閣の更迭其影響如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛國内閣の更迭其影響如何

昨日の時事新報佛清事件捌内に上海在留本社特派通信員本多孫四郎氏より到來したる電報を掲け支那兵は大勝利にて諒山を復し佛國議員二億フランクの軍費と五萬ノ出兵とて廢案に歸し現宰相フヱリー氏其職を辭すとあり又一昨日横濱發兌のメール新聞にも佛國内閣は代議員に於て失敗を取りたるがために辭職したりとの電文を配せり右二報とも唯電信の短文にして事の子細は詳ならざれとも我輩の兼て聞及びたる佛國政治上の事情由りして考るときは臆測ながらも説なきに非ず抑も佛清の葛藤は去年六月の頃より更に新に其端を開き遂に兩國戰爭の姿とは爲りたれとも佛人の擧動兔角活溌ならずして人の耳目を驚かすほど花々しきこともなかりしは其本國の内に東洋の進略を好まざる者甚だ多くして自然國會の議場に於て軍費出兵等の事に付き現政府の請求に反對し之か爲に政府も意を過うするを得ざりがものなり而して其反對議者の言ふ所は固より支那を恐れて手を引かんとするには非ず專ら内に備るの趣意にして就中佛國の獨逸に對しては片時も油斷する可らざるのみならず苟も先方に意の來す可きものあれば我れより進んで十餘年前の議に報するの擧なかる可らず然るに今の内閣は何か獨逸の宰相と内々謀し合せたることありと稱して其眼を外に轉し却て歐洲内部の大勢を餘處にするが如きは決して策の得たるものに非ず畢竟するに諸國の老翁に教唆せられて其老手段中に籠絡せられたるものなり云々とて政府を脱するの議論日に喧しく既に本年一月初旬陸軍卿カンペノンが辭表を呈して去りたるも其趣意は矢張り此邊に在るものなり斯く佛蘭西の國中に於て政府に反對する者多しと雖とも左ればとて政府も今更騎虎の勢、何を機にして手を引く可き機もなく假令ひ暫く内の與論に反しても戰勝の國光を以て更に與論を製造するの心算にて月餘以來は支那の海陸にて佛兵の運動は益盛なるが如くなりしが到底内國多數の人心には政府も敵す可らずして終に今國の始末に及びしことならん但し此佛國内閣の辭職は直に支那兵諒山の勝利に關係し支兵勝利をにて佛兵敗北し、敗北したるが故に新に軍費と出兵とを求め、之を求めて得ざりしが故に辭職したると云ふが如く前後始末連絡したるものか其邊は今日これを知る可らず支兵勝利の報

知は毎度我輩を欺きたる例もあれば容易に之を信ぜずと雖とも其勝敗は兔も角も内閣辭職の事情は大凡そ鄙見の臆測に違はざることならんと信するなり

斯く佛國の内閣が更迭するときは其新内閣は目下の東洋侵略に付き仮令ひ俄に中止せざるも前内閣員の騎したる虎に騎して益進むことはなかる可し大概の處にて國の面目さへ汚すことなければ勘辨して支那の和議を容るゝことならん支那も亦葛藤の初より今日に至るまで唯大に失はざるのみにして嘗て一度も得たるものとてはなき次第にして其平和を冀望するの情あるは問はずして明なれば些少の口實を設けて自から榮譽を装ひ以て佛の請求に應して和を成すことならん扨佛清の和議成るとしてその清廷に影響する所如何なる可きやと尋るに最初この葛藤の發端に於て支那の廟議二に分れ和せんと云ふ者あり戰はんと云ふ者ありて一方は恭親王李鴻章の黨與、一方は醇親王左宗棠彰玉麟の一派、双方の意見相投せずして政權は遂に敵の方に歸し純然たる主戰黨の政府と爲りてより以來は其擧動常に人の意想外に出で、戰て敗しても敗したるを知らず、爭ふて物を失ふても其物の減したるを憂とせず、福州に臺灣に又寧波に幾度の失敗も其中央政府の感覺を動かすに足らざるは大

象の臀邊に灸し長鯨の尾端に針するに異ならずして滿朝皆言ふ佛國恐るゝに足らず今に應に中國に赦を乞ふことならんとて悠々自得の顏を爲す其最中に偶然にも佛國内に變を生して和議の容易なる可き時勢に逢ふたることなればその驕慢如何なる可きや俗に所謂天狗の高鼻百尺にして是に和議を執りし一流の人は復た顏色なく口を閉して嘆息することならん我輩の乘論を以てすれば仮令ひ今回支那が首尾能く佛と和して一時の小康を得

るも今の文明世界に國して獨り文明の範圍外に居らんとする者にして到底其國を維持すること叶ふ可しとも思はれず佛去れば露來らん、露來らざれば他に又英獨の在るあり何れにしても支那帝國の運命は既に定まりて限あるものなれとも何は扨置き今度若し佛清媾和の成行き我輩の臆測の如くならば一支那人の氣鉾は其鋭を増すことならんと信して間違ひなかる可し

又この一儀が我日本國に如何なる影響を及ぼす可きやと考るに支那が一度媾和を成したるよりして今後如何なる強國に逢ふも同樣の轍に出てんとして必算の齟齬することもあらん或はよく強國と和して却て強國と戰て大に敗することもあらん何れも此一擧は支那人の廬勇を進めて其敗滅の速力を増すものなれば其時に臨て我國の利害に關して容易ならざる事の起る可やは當然の數なれとも是れは先つ以て後日の事として目下差向きの處にて大切なる事と申すは我伊藤大使が天津談判の一條なり大使は一度び北京まで入りたれとも復た天津に還り昨今は正に談判最中か又は將さに談緒を開かんとするの時ならん此談判の事柄は世に隱れもなき朝鮮事變にして當時支那人と朝鮮の京城に相對して我日本國が圖らず

も曲を被りたるが故に其曲を伸さんがためにとて特に全權大使の涙出を煩はし其事は隨分人組みたるものなれとも詰り我大使も平和の主義とは人も知る所、又支那の政府も此節柄必ず和議一方に傾くことならん左れば伊藤全權大使の談判も最に井上大使が朝鮮の京城にて重大至極の事を數時間にすらすらと結了したるものゝ如く彼の全權大臣李氏呉氏と相會し一席の談を以て二大臣を服せしめ我至當の要求に滿足を取り我朝野をして日本の國權萬々歳を叶はしむるは不日のことならんと思ひしかとき國交際の掛引に厘毛を爭ふは何地も同しことなれば今回偶然にも佛清關係の變動に會し或は實に變動なきも主人の慾同にて支那政府にては必ず變動ある可きものと見越し是れまでは佛國なる大頭痛を憐みしものが

俄に輕快を覺えたるの心地することなきを期す可らず蓋し頭痛の劇しくして目も開けられす其時に人と要事を語らんとすれば應否の返答を遠にして專ら自身の養生に心を傾くるは病中の當然なれとも劇痛の間あれば自然に其要談に意を注ぎて厘毫の利害をも等閑に附する勿らんとす是亦人間の常情なり知らず支那政府は今國佛國内閣の更迭の爲に大頭痛の輕快を取る可きや否や後報を待て讀者と共に其如何見る可し