「佛清の和議、支那の幸不幸」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「佛清の和議、支那の幸不幸」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛清の和議、支那の幸不幸

支那人は祖先遺傳の氣質に於て妄りに自から尊大にするの風あり、自から尊大にするが故に他國の己れに優る所あるを知らず、優る所あるを知らざるが故に之れに傚はんとするの意動かず、乃ち支那が西洋近時の文化に遲々として遂に其自滅を速ねく所以なるが故に單に支那の爲めに謀れば一朝大に外國人に屈辱せられ自ら其足らざるを悟り又其懼る可きを察して豁然として爰に始〓一新すること肝要ならんのみ然るに支那は不幸にして古來自から其屈辱たるを知る程の大屈辱に逢ひたることなく彼の咸豐の役の如き英沸聯合軍の迫る所と爲り北京陷り、帝熱河に蒙〓する等固より大屈辱たるに相違なしと雖とも支那人より之を見れば當時長髮賊所在に蜂起し南京亦既に其據る所と爲り居たる最中なれば英沸聯合軍の北京を陷ゐれたるは中國兵の屈辱なる故に非ずして其實聯合軍の卑怯にも我が不備を襲ひたるが故なりとて自ら其短所を擁護するの口實なきに非ず左れば咸豐の大屈辱も支那をして歐州人の懼る可きを知らしむるの媒介たるを得ざりしが今度の佛清戰爭に於ては支那軍は百戰百敗して刃を迎ふるの竹の如く北京城下まで割り詰められ北洋水師、蒙古兵勇孰れも佛軍の轅門に叩頭して佛國の威光に眩服し北京政府も顏色なく自から其及はざるを知り土地玉帛唯佛國の命に從ひ始めて豁然として天下の形勢を悟り上下共に始更して漸く文化の門に入ることもあらんかと我も信じ人も信じたるに豫想大に事實に齟齬し昨年八九月の頃は福州の砲撃鷄籠の占領等佛軍の鞭策稍支那人の驚心を警したるが如くなれとも爾後佛軍不活溌にして一擧北上の壯圖もなく荏苒歳月を經過する其際本年三月廿三日佛兵諒山の大敗あり佛國宰相フヱリー氏憤激の餘、二億フランクの軍費と五萬の出兵とを要求したるに代議員に於ては斷然之を拒絶したるを以てフヱリー氏直に其職を辭し其後ブリッソン氏宰相に任して新内閣を組織することと爲りしが其新内閣の意見にては支那政府をして昨年五月李鴻章と佛國〓將フルニヱー氏との間に取り結びたる彼の天津條約を其儘實行せしめんと企望するものの如し佛國にして天津條約の實行を企望せんとならば昨年五月に之を實行せしむることを得べきに當時佛國にては其意に慊らざる所ありしを以て昨秋以來幾多の財帑人命を費し以て其目的を達せんと試みながら今日に至り支那をして唯其天津條約を實行せしめて滿足せんと云ふが如き佛國國權の圭角は之を昨年に比して甚だ萎縮したるものに非ずや佛國萎縮すれば支那は増長せざるを得ず左ればにや去る十一日に上海發にて東京へ達したる電報中に清廷は上論を下したり其大要に曰く今回佛國の願に依り休戰を允したるに因り南境の諸將をして日を期して兵を休めしむべき旨を李鴻章をして通知せしむべし和議成るに至る迄は佛人約に背くの擧動あるも知る可らず宜く之を注意せよと申報に見ゆ云々とあり右は上論の文面とは云へ其文氣の嚴傲にして自尊の意味を露呈すること一見して之を知る可きなり斯くて佛清の和議愈成らば支那は諒山の大勝を以て佛清戰爭の局を結ぶ可きが故に隆鼻三千丈、諒山の勝に縁て個くのごとく長しとでも申すべき氣象を現はし佛國與し易きのみ、其他推して知る可きなりとて外國の己れに優るを悟らざるのみならず寧ろ益之を卑下するの氣風を増して其所長に傚はんとするものとてはなく斯くて自尊自大の睡を貪る其際に自滅の病症は既に激して最早之を醫す可らず遂に歐州人の斃す所となるや疑を容れず故に彼の佛清事件が諒山支那軍の大勝にて終局するは支那をして其傲慢を増長せしむるの一病因にして事、〓に似て實は不幸なるものと云はざる可らず蓋し支那の〓〓にも〓〓〓に〓〓たる〓之を喩えば世間不知案内の富豪家が偶然にも〓、來〓塲〓に〓〓たるが如し身に不足なき富豪家が一時の遊戲心を以て銀、米の相塲を試み幸にして一敗全損すれば投機の懼る可きを知て直に其手を引く可しと雖とも不幸にして一賭千金の奇獲あれば其味遂に忘る可らず放膽從心輕しく〓〓の塲に出入して果ては全家の破産を招くことなきに非ず左れば富豪家最初の奇獲は其心膽の放縱を致し破産を招くの媒介にして最も懼る可きものなれとも支那が偶然にも外國の大屈辱を受けず特に今度の佛清事件を勝軍得意の中に完了するの模樣あるが如きは支那をして益自から尊大ならしむるの媒介と爲り他年一日自滅を招くの病根は必ずや此に托することならん故に我輩は佛清事件の支那方に得意なる時に完了せんとするを聞き支那の爲めに其目前の近幸を賀するよりも寧ろ其他年の遠不幸を弔せんと欲するものなり