「・佛淸の媾和は以て佛蘭西を輕重するに足らず」
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時事新報に掲載された「・佛淸の媾和は以て佛蘭西を輕重するに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
・佛淸の媾和は以て佛蘭西を輕重するに足らず
佛淸の和議將さに成らんとするを見て一と通り考へたる所を以てすれば元來この葛藤の本を尋れば佛蘭西の方より手を出して東京の地方に事を起し遂に支那政府と直接の關係と爲りて當時は支那の方にても佛に敵するを好まず十分に勘辨して去年五月李鴻章とフルニヱート相會し天津の條約にて局を結ばんとする折しも復た佛より苦情を申出して諒山開城の議論に及び天津條約中の一節を抹殺したりとか、せざりしかとか小兒の爭に等しき爭端よりして雙方血塗れの戰爭と爲り雙方共に大金を費し多人數を殺し貴重なる物を破壞し大切なる商賣工業を妨け扨其終局は如何と尋れば醉狂人に酒氣の去りたるが如く去年以來の亂暴は唯一場の夢にして消へて痕なく笑て爰に和睦とは實に小兒の戲にして大人の事と云ふ可らず殊に佛蘭西の方にては近日寧波の港口をば少々荒らしたりとは雖とも西諒山の一戰は佛の大敗と云はざるを得ず歐洲の内に在ても一二を爭ふ強大侠勇の國柄にして相手に取るも足らざる東洋の腐敗國に敵し最後に敗して、敗したるまゝ和議の沙汰に及ぶとは言謂道斷沙汰の限りにして是れより佛蘭西の威光は東洋の外に曇るのみならず西洋の内に在て列國の輕侮を蒙り國を立てゝ自から守ることさへ困難ならん隣邦の獨逸は圖に中たりたりと竊に得意の顏色すれば彼岸の英國も先づ安心なりとて悅び小弱の西班牙に至るまでも聊か傲慢の念を增長するなどの奇談もある可し云々とは我輩も一寸空想して世間にも或は斯る圖書を心に描きたる人なきを期す可らずと雖とも世界の事は遂に判斷を下だす可らず淺見寡聞の我輩が獨り再思三思して前説の非を悟りたるものあれば記して以て大方の敎を乞はんとす抑も鄙見を以て西洋諸國と東洋諸國就中支那との關係を察するに支那の文物なり又武傭なり素より以て西洋國の敵とするに足らず人文の程度既に懸隔して武力の強弱又相異なるときは之を友として交り之を敵として勝つの榮辱も西洋人の心に感する所は左まで穎敏なる可らず益友に交ればこそ榮譽とも爲り勝ち難きの敵に勝ちばこそ人にも誇る可きなれとも西洋諸國の文を以て支那人に交り何の益する所ある可きや、貿易を行ひ錢に利するの外に一利もある可らず、其武を支那に耀かして何の愉快ある可きや、土地を押領して殖民の道を開くか新條約を結ひて利を絞るの外に目的ある可らず之を喩へば段以上の碁客が俗に所謂ざる碁と圍碁するが如し其勝敗を以て碁客の技倆を評す可らず勝てばとて世に誇るに足らず敗すれば迚聲望を損するに非ず唯其碁客が相手を侮り圖らずも困難して遂に賭物を占るの場合に至らざりしは碁客仲閒の笑種と爲る可きのみなれとも其笑や技倆の巧拙を笑ふに非ずして素人を取扱ふに碁略の拙きを笑ふなり如何となれば此圍碁を本式にするときはざる碁固より段以上の敵手に非ざればなり或は二段三段の碁客が初段二段の者に失敗したらんには忽ち其社中に評論を生して當人を輕重することもある可けれとも素人を相手にするの碁戰は圍碁にして圍碁に非ず其勝敗は以て碁客の榮辱とするに足らざるなり故に佛蘭西が今回の支那侵略に誤りたるは實に佛蘭西國の武力と支那國の武力とを比較して佛の力足らざるが爲に非ず唯佛國政府が自案内部の不調和をも圖らずして最初より支那を目下に見下だし容易に事を始めて其始末に困し終に利する所もなくして和睦を催ふしたるものより外ならず假に此葛藤をして伊太利と佛蘭西の閒に起らしめ佛人が龍頭蛇尾の擧動すること今回の如くならば必ず歐洲全般の物論を生して安からざることならんなれとも其相手こそ世界に謂れもなき老大の腐敗國なれば之に對するの勝敗は歐洲の物論を動かすに足らず去年以來の事跡を見れば支那の勝利とては甚た稀にして固よりざる碁に相違なしと雖とも其盤面の廣きが爲に一二隅の失敗などに頓着せずして無暗に石を下だす其中には名人も時に案外して豹狼却て豚羊に噛れたるの奇談なきに非ず唯一笑に附す可きのみ左れば佛淸の葛藤こゝに平和の局を結びたる上は支那人には一層の傲慢を增して當分は東洋に佛の威光を損することもある可けれとも是れは所謂ざる碁の大言なるものにして唯一東洋に於て然る可きのみ退て歐洲列國の釣合を見れば佛蘭西は依然たる佛蘭西にして其國の勢力に一點の瑕疵をも見ず獨英露等の關係に於て曾て輕重する所なきことならん故に今度の終局に於て假に之を佛蘭西の全敗とするも我輩が平生支那に對し又佛蘭西に對するの心事は毫も變することあるなし我輩は兩國政府一時の處置を問はずして其國民全體の文不文を見るものなり我輩は全勝の支那たるよりも寧ろ全敗の佛蘭西たらんことを祈るものなり