「政治上の移住民」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「政治上の移住民」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政治上の移住民

古來優等國人が劣等國を取るに二方法あり一は侵畧よりするものにして一は移住よりするもの即ち是なり而して其侵略よりするものとは優等國が武力を以て劣等國を取るの方法にして之を取るの口實なければ瑣小の過失を難題として土地の割讓等を申し出し否とも云はば干戈其全國を壓して之を附庸に歸するものなり往時君主本制の世には歐亞諸國其君主の功名心に任せて漫に侵略の事を企て一將功成りて萬骨枯るるにも拘はらず人國を滅して之を其版圖に歸し其大動功を封禪の紀念碑に銘して之を不朽に傳へん抔云ふ心算より頻りに〓略を企てたれとも今日文明世界の侵略策は人國を取て其國の利を利せんと欲するものなれば劣等國が之を防禦するの策は三月廿六七両日の時事新報上「兵備擴張論の根據」と題する論文中に論せし如く我國利たる栗の實の大小に準して我護國の兵備たる毛毬を尖らし〓人をして取て手を觸るることなからしむるの一方にし〓足れり〓に目下優等國の侵略軍は劣等國に取りて固より恐る可しと雖とも若しも國利を保護するの兵力ありて優等國人をして此兵力を盡て此國利を取りては得失相〓かずとの感覺を抱かしむることを得ば先つ以て安心なるものの如し又劣等國を取るに移住よりするものとは歐州人の北亞米利加殖民に於けるが如く當初は一個人々の〓〓にて商賣に殖産に種々樣々の目的にて漸次に移住するに隨て漸次に其人口を増加し舊住の劣等人民を〓〓して爰に自治の政府を打ち立て遂に其土地を統治するものなり故に優等國人が移住よりして劣等國を取るには幾多の星霜を費さざる可らずと雖とも其移住の當初に在ては一個人々思ひ思ひの目的を以て漸次に來集するが故に豫め之を制するの方策なく劣等國人は唯其來住を傍觀して殆んど後來の災害を測らず之れと倶に雜居する中、龍卵孵化して矯々の本性を現はし蛟龍遂に池中の物に非ず金力に智力に漸く劣等國人を制御して其國の主位を占むるに至るが故に優等國人移住の一事は劣等國に取りて侵畧の恐る可きが如くに恐れざるを得ざるなり

右の如き次第にて優等國人の移住は劣等國に取りて甚た恐る可きものなれとも從來優等國中にて他國に移住せんとするものは十中八九商賣及び殖産の目的を有するものにして其企望する所は唯金錢の一物のみなりしと雖とも近來歐州諸國にては政治上の不平を抱て去て他國に移るものあり即ち彼の愛蘭黨の北亞米利加に於ける虚無黨社會黨の瑞西國に於けるが如く本國に在て政治上の革命を企て事成らずして志猶ほ存し追捕究獲を避けて他國に逃れ機を見てその宿志を洩さんとするものにして此等の黨人は孰れも慷慨激烈にして功名の心燬くが如く死地を踏むこと坦途の如くなるが故に斯かる黨人等が若しも劣等國中にて權勢を求めんと欲することあらば何を求めてか得ざらん、何を欲してか成らざらん、之を從來の移住民たる商賣人殖産家等に比するときは其恐る可きこと虎と猫との相違ある可しと雖とも爰に劣等國の爲めに偶然の仕合せとも云ふ可きは此政治上の移住民は身他國に移住すと雖とも乃心本國に存するが故に斷然故郷の事を忘れて新に其移住國の政治上に立入らんとするの志念なく彼の愛蘭人が亞米利加に歐州大陸に漂泊するにも拘はらず常に憤を英國に洩さんとし、寧ろ劣等國の鷄口と爲るも優等國の牛後と爲らず、人間功名を得るの地は何ぞ必すしも父母の國に限らんやと云ふが如き磊落心なきが故に今日の處にて歐洲政治上の移住民は亞細亞に亞弗利加に遠〓し單身劍に仗て開國建業の大主公と仰かれんとするの望なきものの如し乃ち劣等國人が優等國人移住の爲めに未た大災を被らざる所以なれとも試に今日歐洲政治上の形勢を察すれば或は彼の政治上の移住民も稍感悟する所ありて功名立身の地を劣等國に〓くの心算を立つることとも爲らんか是れ劣等國人の大に戒心す可き所なり看官次號を讀んで其次第を知れ          (以下次號)