「英露開戰せば如何」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「英露開戰せば如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

英露開戰せば如何

露國〓南の志近來再燃の勢を現はし昨年中央亞細亞の蠶食を試みメルー府を占領して漸く英領印度の背を窺はんとするの模樣あるより英國も窃かにその後圖を按じて心自から平なる能はず露國に向て阿富汗境界の問題を申出し一事は双方境界調査委員を撰んで往々談判照會する所ありしが中央亞細亞に於ける英露の利害は正しく相反對するが爲めにや事容易に落着せず、歐洲よりの最近電報に據れば英露両國平和談判の望みなく既に最後の掛合を爲し軍備も最早整頓し了れり云々とあり又我輩の傳聞する所に據るに今度阿富汗の關係は事態極めて大なるが爲め兼ねて平和一偏のグラッドストン内閣も全國公論の指示する所に由りて既に充分なる决心を爲し戰氣、色に顯はれたるより英國公債證書の價は頓に非常の下落を示し四月三四日頃には九十八磅以上なりし公債證書も同月十一二日の頃には前五年間に類例もなき九十五磅の低價にまで下りたりと云ふ又露國の方を顧みるに近來戰爭の準備として我輩の耳聞に達するの事項少なからず即ち客歳十二月の事とか浦塩斯徳港の我日本商店より同港屯駐の露國兵營に小麥粉若干斤を賣込み受取渡しを爲すに當りて當時露國兵營にては其小麥粉に水分多しとの苦情にて其品を引取ることを拒みしが近頃に至り同兵營より俄に右商店に沙汰して曩きに拒みし水分多量の小麥粉を一議に及はず其儘引取りたりと云ふ又我外務卿は去る二十八日外務省第三號を以て本年五月二日より追て告示候迄露西亞領アスコリド(浦塩斯徳の近傍)燈臺に點火中止致し候旨露國海軍少將フヱリドガラセン氏より通達ありたる趣本邦駐剳露國特命全權公使ア ダラヰドフ閣下より四月二十五日を以て我政府に通知ありたりと告示したり盖し露國少將が今日に當てアスコリド燈臺の點火中止を通達したるは〓〓り先き露國が水雷火を浦塩斯徳港口に埋置したると〓樣、孰れも軍國戒嚴の一端なりとすれば英露両國の戰火は今將に眉端に及ばんとするの勢ありと云はざるを得ず尤も今日の國交際は所謂言葉を卑く、居合腰の流儀にて腰間の三尺は今にも引き拔くばかりに見せ掛けても交際上の應答は自から婉曲なる所あるが故に今後或は英露戰熱の頓に減ずることなしとも云ふ可らざれとも萬一兩國平和を得ず英〓露驚海陸に喧哮睥睨することとも爲らば我國は如何なる影響を受く可きやと云ふに

先づ第一に影響を受くるものは我外國貿易ならんと思はる、元來我輸出品中の第一等たる生糸類は歐米両洲に輸出するとは云ふものの米國に輸出するものは佛國を始めとして歐州諸國に輸出するものに比すれば僅に三分の一にも過ぎず即ち我生糸類の貿易は歐洲の賣れ道を以て重しとすれとも英露兵結んで歐洲の人心恟々たりとあれば其賣れ道も勢梗塞せざるを得ず故に英露の關係は最初に我貿易上に影響すること事の自然なりと申す可きなり又両國にて開戰を布告すれば我國にても盖し亦局外中立を布告することならん既に中立を布告すれば隨て中立國たるの權利を施し又義務を盡さざる可らず此際交戰國の軍艦が我國に向て必需品の賣り渡しを要求することもあらん或はクリミヤ戰爭の折の如く軍艦の我港内に逃げ入る等の事なしとも云ふ可らず然るに英國と云ひ露國と云ひ共に歐洲の強大國にして其關係は佛清の關係などと同一視することを得ず我國の所爲如何に由て彼れの怨恨を招くやうのことありたらば後患測り難きが故に此際に處すること决して易々たらざる可しと思はる、孰れ両國事急なれば我政府に於ても沿海の戒嚴等に注意し中立國の分を守るの用意あることならんと雖とも我政治商賣等に從事關心する人々は晴を轉せずして英露今後の動靜に注目せざる可らずと信ずるなり