「米國の信義」
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時事新報に掲載された「米國の信義」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
米國の信義
北米合衆國が東洋諸國に對し就中我日本に對して信義の交を爲すは今に始まることに非ず
我日本が開國以來米國の厚意を負荷するは一にして足らざるなり今其一二の例を擧ぐれは
前年日本が始めて國を開きて外國との交際を初むるに當て第一に和親通商の條約を取結び
たるは即ち米國にして當時其條約の文案を起草したるは米國の領事(後に公使)タオンセ
ント ハルリイ〓氏なりしが當時日本の有樣を見るに民間の志士は毫も世界の形勢を知ら
ず唯一心に鎖攘の議論を主張し當局者も其内心には開國を好まざれ共之を拒絶するの手段
なき儘に據所なく之を許したる位のことなりしかば固より外國交際とは如何なるものにし
て條約とは如何なる〓を約定するものなるかも知らず其状恰も深閨の處女が不意に稠人廣
坐の中に呼出されて座作進退に當惑するが如くなりし故苟且にもイルリイス氏をして今日
歐洲諸強國が未開の邦國を遇するの筆法を以て當日の日本を遇するの意あらしめたらんに
は其條約中に何程日本に有害不利なる條款を加ふるも甚た容易なりしことならん然るに氏
は其條約に於て僅に治外法權と協議定税との二款を加へて一般國際の條約と區別したるの
みにて敢て甚しく日本の國利國權を損害する條項を其中に挿入せざりしかば其後他の国々
が來りて條約を結ぶに及びても亦皆米國の例に效ひて條約を結ぶこととはなれり是畢竟米
國人民を代表する其外交官が日本に對して信義を盡したるの致す所なりとは我國の識者が
夙に承〓して窃に其厚意を感謝する所なり又開國の初に當りては我國の當局者も外國の交
際に慣れず民間には外國人を諱忌するの風盛にして鎖攘の議論動もすれば再燃せんとする
の勢ありし故締盟各國が治外法權協議定税の〓特許を得て自ら防禦するの具となしたるも
當時の事情に於ては強ち無理なりと云ふべからずと雖とも其後年數を經るに隨ひ日本人も
追々外國の交際に慣れたるのみならず一般の人心は前日外人を惡みて之を遠ざけたるに引
替へ益々愛して之に近付かんとするに至りたれば此等の特許も今は外人に取りて不用とな
りたるのみならず日本の方より見れば此等の特許を外人に與へ置くが爲めに獨立國の權利
面目を傷けられ政治上商賣上の利益を害せられて一方ならざる損害を被ふるを以て我政府
も疾くより之を取戻さんことを望み民間の輿論も亦異口同音に條約改正の必要を論するに
も拘はらず締盟諸國は如何なる故か恰も自ら其耳を塞ぎて之を聽かざるものゝ如く隨て其
事も次第に遷延する間に米國政府は獨り他の國々に先ちて我條約改正を承諾し去る千八百
七十八年即ち我明治十二年七月を以て華盛頓府に於て同國々務卿ヱヴ〓―ツ氏と我特命全
權公使吉田清成氏と相會して改正條約十條を議定したり尤も此條約に於ては從前の協議定
税法を全廢して日本の外國貿易に關する諸規則を制定するの權利は獨り日本政府に属する
ことを認めたるのみにして治外法權の一事に付ては何等の改正もなく且つ此條約は一種の
約束上の條約にして自他の締盟諸國が之に均しき條約を結び且つ之を現行するに至るまで
は實施せざるの約束なれは我輩の望に滿たざる所甚だ多しと雖ともこれ等の不滿足は姑く
措き兎に角に他の國々が躊躇して未だ我願意に從はざる間に先んじて日本條約改正を承諾
し不充分ながらも特許の一半を返却せんと云ひたるは我輩が米國人民に向ひて其厚意を感
謝せざるべからざる所ならん何となれば米國が當時治外法權撤去の一事を斷行せざりしは
敢て故らに損害を日本に加へんとするの惡意に出たるにあらず米國の本意は唯一日も早く
此不正なる特許を抛棄して日本の願意に從はんとするに在るものゝ如くなれば一度び日本
の社會上政治上の現状に於て最早此特許を私するの必要なしと見れば明日にも協議定税の
特許を返還したると同一の精神を以て再び他國に先ち治外法權をも返却すべければなり又
米國政府が一昨明治十六年に於て國會の决議を經て去る元治元年下ノ關一件の爲め徳川政
府より英佛米蘭の四國に拂渡したる償金三百萬弗の内米國の取前に係る七十八萬五千弗を
返却したる一事の如きも亦我輩が窃に米國の厚意を感荷する所なり尤此事に付ても我輩が
充分の希望を云へば獨り其元金のみならず元治元年より明治十六年に至る迄凡二十年の間
に蓄積すべき利子をも合せて返却するこそ當然なれと云ふべき所なれども是亦他の三國が
米國の義擧を見ながら默して其元金すら返さゞるに比すれば殆ど同年の談に非ずと云ふべ
し以上擧る所の二三の例は米國が日本に對して信切なる明證なれ共此外にも〓まで世間の
耳目に掛らざる事にして米國が日本の〓導者となり常に日本の開化進歩を補助したる厚意
も亦我輩の忘るべからざる所なり右の如く米國は一國民たる日本人に對して常に信義を盡
し厚意を表するに加へて一個人たる日本人に對するにも亦務めて其權利々益を尊重して之
を忽にせざるものゝ如し其一證には本日の雜報中に掲載する永井重助の損害償還の一事を
見るべし固より他人の財産を毀損したる上は其毀損者は一個人なると一政府なるとを問は
す被害者に向ひ相當の償を拂ふべきは當然の事にして米國政府が之を拂ひたりとを別に拂
費すべきことに非ずと雖とも國々の交際専ら權數と詐術とに由るの今日に在りては此等の
瑣事は捨てゝ之を顧みざればとて敢て米國の非道を咎むるものもなかるべきに米國の人民
は恰も與國人民中に一夫も其所を得ざるものあるは自國の耻なりと思へるものゝ如く瑣事
なりとて敢て之を等閑にせず遂に國會の决議までも煩はして其要償に應するに至りたるは
是亦米國の義擧なりと稱賛せざるへからず
米國が右の如く獨り諸國に率先して信義の交際を勉め恰も國交際の改良者を以て自ら任す
るは我輩の見る所を以てするに全く其人民の純粹なる義侠心より發したる所爲にして一毫
も自ら爲にする所ありて然るにあらさるが如し然れ共其結果を考ふるときは米國の利益と
なるもの一にして足らざるは亦疑ふべからず其故は魚心あれば水心ありとの古諺に違はず
人世の常体に於て他人徳を我に施こせば我亦他人を徳とするは東西古今の別なく同一なる
人情なるが故に今多くの締盟國中にて米國が取分け日本に信義を盡すを見なば日本人民も
亦其割合に取分け米國人民を親愛敬重するは自然の事なるべし其證據には今日にても日本
人民の一般は何國よりも米國に對して最も親密なる感情を抱くを見るべし我人民は固より
英佛獨露其他の國々をも疎外するの念なし否啻に疎外せざるのみならず愛して之れを友と
し敬して之を師とするは彼此の別なしと雖も其中にも米國と云へば何やらん一際〓置きな
き心地せらるべし例へば今後雜婚などの風習漸く日本に行はるゝに至るとき何方にも關係
なき者が同時に米人と英人とより其女を娶らんと申出でられたるときは他の事物を同樣な
りとすれば英人に與ふるよりも寧ろ米人に與へんと云ふは一般の民情なるべしと思はるゝ
なり固より一個人に就て云へば英人必ずしも不信切ならず又米人中にも不信切なる者も多
からんと雖も我人民をして假りにも米人を親むこと英人の上に出でしめたる所以は從來米
國が日本に對して取分け信切なる効果なりと云はざるを得ず政治上にても商賣上にても他
人の信用を得るの大切なるは我輩の多言を須たざることなれば米國人民が日本人民より特
別の尊敬を受くるときは両間の間に起れる百般の事柄に於ても亦他國に比すれば特別の利
益を享有すべきは疑なきことなるべし語を寄す英佛及び獨露の人、我日本人民は决して恩
仇の別を知らず怨を以て徳に報ひんとするものに非ず苟も國交際の正道により信義を主と
して來り交ること米國の如くなるものあらば我人民が之に對して特別の親愛を表するも亦
米國に對するに異ならざるべし