「日本人の外國行は其利害如何」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「日本人の外國行は其利害如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本人の外國行は其利害如何

近來日本人にして米國桑港の地に渡る者少なからず其人員次第に増すに從ひ弊害も亦漸く

生して經世家の憂たるものなきに非ず其一二を擧れば日本の壯年輩が渡米するは學問のた

めに非ず就職のために非ず唯丁年に達せんとする者が徴兵を免かれんとするの狡猾手段た

るに過きず又或は學問執行を目的とするものにても寒貧の身に一錢の貯もなく辛うして太

平海渡航の船賃を所持するかせざる程の出で立ちにて彼の地に上陸の其時より奉公口を求

め、之を求めて得ざれば路頭に迷ふの外ある可らず或は都合よき手筋にて人の家に奉公す

るか又は職工塲に雇はるゝことあるも固より下等の仕事なれば其心情までも下等に爲り下

りて宿昔の志を變し唯錢の多少を是れ問ふて學問などのことは恰も忘れたるが如き氣風に

移り到底其身に益することなし又或は最初より學問の念なき下賤の者共の擧動を見るに第

一英語とては一句も不通にして心に改進の魂なければ彼の國風を見て自から省ることを爲

さず衣食住共に正に日本下等社會の有樣を其まゝに海外の地に移して之を外人の目下に披

露するものにして其醜に堪へず是等は何れも皆日本の耻辱にして自から國の体面に影響す

可きこと必然なれば外國渡航に就ては大に制限を立て假令ひ之を禁止するまでに至らざる

も嚴重に取締の法を設けざる可らず云々

以上は所謂經世家の意見にして我輩も全く之に反對するものには非ざれとも其意見は果し

て今の人事の實際に行はれて我國民外國行の弊害を救ふに足る可きや甚た覺束なきものな

り第一壯年輩が渡米するは徴兵を遁るゝがためなりと云ふ、成るほど左るものもあらんな

れとも是れは人の心の内部に存することにして法律上より咎む可き事抦に非ず徴兵を遁れ

又これを遁れしむるものは渡米に限らず近く内國の公立學校に入り之を遁るゝもあり又之

を遁れしめんとて從來私立にてありし學校を早々に改めて公立の体裁にしたるものあり是

等を計へ上けて一々本人の心得方を咎めたらば徳義上に相濟まざもの甚た多かる可しと雖

とも今日の法律に於ては之を如何ともす可らず左れば渡米の本心が何の邊に在るも之を以

て特に忍ぶ可らざるの弊害と爲すは少々無理なるが如し又第二第三に日本の貧書生が資金

も持たずして無勘辨に渡航し進退據を失ふて路頭に迷ひ又純然たる下等賤民が無知鄙陋の

醜体を現はすが如きは如何にも國辱とも申す可き次第、實は我國中の上流富貴の人のみが

海外に出て美衣美食して彼の國人に交際を求め日本の財を彼の國に散するのみにして彼の

財を日本に携へ歸ることとては思ひも寄らざること官費の留學生か又は官員の如くならば

彼の國人も大に悦び日本人の肩身も廣きことならんなれとも内外の交通斯く容易なる時節

と爲なりては外國の徃來は官の筋の專有に非ず人民の中にて富貴も行き貧賤も行きて際限

ある可らず而して其多人數の中には極めて無智鄙陋にして見るに忍びざる者も多からんと

雖も又心事の高尚にして外人に愧ちざる者もある可し畢竟するに人の貧富智愚は人間世界

に免る可らざることにして内に居ても智は則ち智にして外に出てゝも愚は則ち愚なり終に

蔽ふ可らざることとすれば其貧愚者を内に包み置くも美とするに足らず况や近來は日本國

中の大不景氣、力役の徒は年豊にして尚餓死せんとする者さへある世の中にして工業起ら

ず人力餘りあるの實况なれば有餘を外に出して内の切迫を寛にするは經世の旨に適ふこと

ならん其醜体を海外に披露す云々の問題に就ては我輩これを一個人特別の塲合に糺さずし

て數年の後數萬人の日本人に平均して果して醜なるや否やを問はんと欲するものなり例へ

ば支那人は數十年來米國に出稼きして遂に米人の嫌惡する所と爲りたるは智徳の程度如何

にも低くして其實を見洞されたるものなり日本人の智徳も正に支那人と同等ならんか數年

の後に至りて彼の國人の輕蔑を受ること支那人に異なるなかる可し是非なき次第ならずや

然りと雖とも我輩が公平無私の觀察を下して日支二國民を比較するに如何に我賤民が賤劣

なりと云ふも大數を取て相互に平均比較すれば我國民の心事の地歩は數等の上に位するも

のと云はざるを得ず是れは我輩が一私言に非ずして日本全國就中經世家の許す所ならん然

ば則ち今日我少數の人民が桑港其他諸外國に遊學し出稼きして時に或は不体裁あればとて

俄に以て憂とするに足らず其眞に憂ふ可きと憂ふ可らざるとは盖し數年の後に於て之を見

る可きのみ但し今日に於ても人民の外出は之を留む可らずして又禁す可きの法律もあらざ

るが故に其自由に任す可きは無論なれとも此事たるや時勢を考れば我國のために便利なる

は疑もなきものなれば有力の人が之を賛成して都合よき方法を設け益盛大ならしむるは我

輩の冀望する所なり