「 第三回の佛清紛議」
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本文
第三回の佛清紛議
佛清両國は去月の初佛國にて内閣の更迭ある最中に休戰の假條約を結び同月中旬より東京
並に臺灣の戰爭を停止し佛國にては既に臺灣北海等の封鎖を解き清國にても又追々東京の
兵を引上るの用意を爲す其際に佛國公使バテノートル氏は佛國政府の訓令を帯びて清國政
府と平和條約を締結せんが爲めに去月十九日を以て上海を出發し同二十三日天津に到着し
清國の方にては直隷總督李鴻章が全權大臣に總理衙門大臣錫珍鄧承修の二名が副大臣に任
せられ天津に於て會議を開くべしとのことなれば昨今既に談判最中なるべしと思はる斯く
て此談判は愈々平和に落着して両國の間は再び從前の和好に歸すべきか又は如何なる事情
によりてか談判不調に終り更に両國間の戰爭を引起すべきか是等は最も世人の屬目する問
題なれども此は別の問題として假りに此談判は平和に歸し両國の關係一時舊に復するとせ
んか我輩は佛清の紛議は未た此一約を以て終極するものにあらざるを知るなり
佛清両國の間柄は此度の和約にて一旦平和に復するとも遠からず両國の間に第三回の紛議
を起すべしと思はるゝ理由は一にして足らざれとも他事は暫く措き我輩が永く両國の和好
を保つに最も困難ならんと思ふものは一方には佛國兵士の不平と一方には支那兵士の驕傲
との二事なり抑佛清両國の相戰ふは恰も力士と小兒と格闘するが如きものにして其勝敗の
孰れに在るは未た戰を交へざるの前より豫知するを得べしとは佛清交渉の當初世上一般の
説にして多分佛國人自らも亦初より此戰に敗北を取るべしとの心配は抱かざりしならん然
るに實際戰爭に至りても果して世人の豫想に違はず東京に支那海に佛國は戰ふ毎に勝たざ
るはなく其勝利の最著しきものを擧くれば昨年八月福州の一戰の如き僅々二三時間の交戰
にて支那艦八艘を撃沈め支那兵凡一千餘人を殺したれ共佛軍の方にては一も其軍艦を毀傷
せられたることなく其死傷の數を問へば士官兵卒を合せて僅に三十人内外なりと云ふ此の
如きは千八百二十七年十月英佛露三國の艦隊がナバリノ灣の一戰に土耳格の軍艦五十二艘
を撃沈め土兵七千人を殺したるを除きては近代に於て殆んど前例なき大勝なりと云ふべし
其後に至りても台灣なり浙江なり又東京なり苟も戰爭の報あれば佛軍勝利の報は必ず之に
伴ひ至る有樣なりしに三月下旬に至りて突然諒山の敗北あり此戰は實に佛軍の敗北にして
然も其敗北も頗る大なる敗北なりしに相違なしと雖も佛軍が此一戰に敗北を取りたるは决
して其兵力の支那に敵せざるが爲めに非ず當時の實際を見るに佛軍は開戰以來未た甞て敗
北したることなきを以て飽まで清兵を軽蔑し支那の大兵踵を接して廣西の南境に集るにも
拘はらず寡兵を以て深く關内に攻入りたるを以て遂に敵兵の爲めに背後より兵糧と援兵と
の運路を遮斷せられたる折柄無數の大軍の爲めに前面より攻撃せられ衆寡敵せず遂に敗走
し諒山迄も支那兵に取戻されたるものなれば其敗軍の原因は佛軍が餘りに其強を頼みて支
那兵を輕蔑したるの過なりと云ふべし之を喩へば力士が餘りに小兒を輕蔑して身搆を怠た
りたる機みに小兒の爲めに足を取られて美事に投けられたるが如し斯ゝる事は世に其例多
きものなり左ればネグリヱー將軍を初め其役に從ひたる佛兵は孰れも小兒を侮りて揚足を
取られたるを悔みて此後こそ力士正眞の腕前を出して小兒等を拉殺し呉れんとて只管其用
意最中何ぞ圖らん佛清両國の間は俄に平和に歸して既に豫定條約の調印も終り両國共に各
訓令を發して戰爭を停止することとなりたるに付ては東京の佛兵等は恰も一旦手に入りた
る鹿を再び取逃したる心地して失望言はん方なき有樣ならん尤支那人中の頑陋なる輩を除
くの外は佛軍が此度の敗北を見て佛兵は支那兵よりも弱しと思ふものはなかるべしと雖と
もネグリヱー將軍なりクルベー提督なり自ら遠征軍の司令官たる身分となりて考ふれば諒
山敗北の儘にて和約を結はゞ佛國の威光を損することなかるべきや世上にては此一敗を見
て佛軍の弱きを笑ひ司令官等の失錯を譏ることはなかるべきやとて獨り其心を疾ましめ
鬱々として不快の感に堪へざることならん讀者若しネグリヱー將軍に面唔するの機會あら
ば試に記者の言を以て將軍に叩け將軍は必ず切齒扼腕して敗軍の耻を雪くの機會なきを憾
むならん又試に之をクルベー提督に叩け提督も亦必す劍を撫して大息し其不平を洩すの天
地なきを嘆するならん將軍と提督との旗下に屬する數萬の勇兵も其不平の度に於ては其司
令官に過ることあるも劣ることなきは明なり此の如く一方に於ては佛兵が和約の爲めに不
平の念を抱くに加へて一方には支那兵等が偶然にも今度欧洲の強國に對して稀有の勝利を
得て頓に驕傲の念を増し天上天下唯支那獨尊、佛人の如きは數ふるに足らずと云へる迄に
之を輕侮するならん佛兵と清兵とが此の如き有樣にて東京と廣西雲南との境上に對峙せば
長き歳月を經る間に相互に衝突を生することなかるべしとは何人も保證する能はざるべし
例へば清兵の規律なきは人の能く知る所なれば今後東京を引拂ひ支那の境内に引上けたる
後も事に託して境界線を越え東京の領内に踏入ることなしと云ふべからず殊に彼の劉永福
の旗下に属する黒旗兵の一類の如きに至りては從來此等の地方に於て掠略を以て生活した
るものなれば事平くの後も之を支那の境内に止めて良民の業に就かしむること能はざるは
最も晰易きことなりとす既に近着の香港テレグラフ新聞に載せたる電報に據れば東京に於
て佛軍と黒旗兵との間に又々激戰ありたりと云ふ(本月二日の紙上)我輩は今日此報道の
〓僞を確むるに由なしと雖とも目下の事情より考ふれば頗る實らしきものゝ如し又仮令ひ
此報道は事實に非ずとするも今後之に類する事變は早晩両國間に起るを免れざるべし左ら
ぬだに佛兵は敗北を以て戰爭を終りたるを遺憾なりと思ふ折柄從來小兒同樣に侮り居たる
支那人等が意気揚々としてこれ見よがしに己が領内に徘徊するを見ては佛人の氣象として
最早堪忍すること能はず斯る塲合に至れば支那人が東京の境内に於て一禽を殺し一草を抜
くも亦以て戰爭の原因となるに足るべし我輩は遠からずして第二の諒山事變の報を聽んこ
とを恐るゝなり昨年天津條約完結の報を聞きたるとき我輩は東京事件は是一約を以て終を
告けたれ共久しからずして再び雲廣事件なるものを生するならんと云ひしことあり然るに
其識言空しからずして幾もなく諒山の一事より遂に佛清第二回の紛議を生し今日に至りて
始めて其局を結ばんとすれ共我輩は此度の和約に付ても亦尚佛清の紛議は此一約を以て結
局に至らざるべしと信ずるなり