「今日の國是は如何」
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本文
今日の國是は如何
嘉永開國以來我國の文明は駸々として進んで止まる所を知らず歐米諸國此有樣を傍觀し三
日見ざれば日本復た東洋の舊阿蒙に非ずとて激賞の餘我れを目して改進國と云ひ我れ亦自
から其改進の速なるに驚きたる程の次第にて僅々二三十年間に今日文明の觀相を呈するを
得たり甚だ愉快なるが如くなれとも試に今の我國の文明を以て之を歐米諸國に比するとき
は其距離尚遠しと云はざるを得ず左れば今後我國に於ては幾多の費用勞力を吝まず多々益
歐米有形の文明を買ひ入れて文明諸國と其進歩を競爭せざる可らずと雖とも内に顧みて我
國の現况を察するに両三年來不景氣の流毒は浸潤して國の骨髄に徹し地價の下落金融の逼
迫の爲め民間の惨状見るに忍びず其甚しきに至ては村々寂として人影少なく數百の農家は
一時に喪に居るものゝ如く家内の有樣は廢寺と一般、破戸古席を胸壁として纔に風雨の攻
撃を防くに過ぎず尚甚だしきに至ては何ケ村の人民餓渇に迫り箪瓢固より虚しく竈下に蛛
網を見るの有樣にして白粥の惠施を慈善家戸長などに申入る等の事實は全國到る處として
之れなきはなし支那にて凶歳を形容する言葉に老者は溝壑に轉し壯社は散して四方に行く
と云へるは實に現時の眞境にして我國各地の不景氣は既に最頂點に達したりと申す可し斯
くて此不景氣は何の日に至て回復せん歟其時機の如き固より之を豫測する能はずと雖とも
要するに其原因なるものは深くして且つ遠く一朝偶然なる社會の變常態に歸す可きものに
非ざること明白なれば之を常態に回復するにも亦長時日を費さゞる可らず而して此長時日
間には國民の貧困なるに準じて政府の収入、自然減縮せざる可らず政府の収入減縮すれば
其支出も亦十分なるを得ず斯くて公共の利益を目的として日新文明の事業に投ずるの資本
減少すれば我文明の進歩も其從來の速力を持續する能はずして爲めに幾分の停滞を生せざ
るを得ざるなり
我國の現况は正に前陳の如くなれとも庭櫻一枝の花の榮枯は天下芳春の盛衰を卜す可らず
山村水路散る花もあれば咲く花もあり我國の不景氣は誠に不景氣なりと雖とも廣く海外諸
國を見渡せば前途春如海とも云ふ可き所ありて文明駸々加速動を以て長驅するものなきに
非ず且つ夫れ今の文明なるものは蒸氣電氣以下有形實物の文明にして之を買取るには莫大
の費用を要し之を維持するにも亦大費用を要せざるを得ず况んをや其文明は今方さに改良
の途中に在るが故に苟も文明諸國の競群に列して之れと文明の事を共にせんとすれば啻に
在來の文明を維持するに止まらず大に日新の新文明を買取らざる可らず然りと雖とも錢あ
れば買ふ可し、錢なければ買ふ可らず故に今の世の有樣にては錢即文明にして清貧の貧益
清ければ文明の文益暗く遂には諸國の競群に後れて其踪跡を晦まさゞるを得ず是れ即ち東
洋貧弱國が西洋富強國の文明に及ばざる所以にして前途敢て之れに追ひ附かんとするは喩
へばサハラ砂漠の旅客が遠方の蜃氣樓を追躡するが如く我れ一歩を進むれば彼亦一歩或は
二歩を進めて歩々益相離隔し遂に之れに追及する能はざるの憾なきを得ざる可し斯る事の
次第にて我國の文明は平常健康の折にても尚西洋文明の進歩に及はざる程なるに今又不景
氣の劇症に懼て煩悶逡巡歩々益相及はざることと爲れば我輩日本人の殘念遺憾は决して一
通りの事に非ず鎖國蟄居の時節ならば西洋の文明は何程に進歩するも我に於て浮雲の如く
毫も相交渉する所なしと雖とも世界風氣の變遷にて我國も既に文明競進の群に入りたれば
其競進の遲速の如きも亦痛痒の感なき能はず國、文明を議るは憂患の始めにして「あひ見
ての後の心に較ぶれば昔しは物を思はざりけり」の一首は移して國民文明に對するの關係
を評す可きなり我國民は既に文明に逢ひたり今後之に對するの苦樂は鎖國蟄居の昔に比し
て决して同日の談に非ず然るに目下我國の現况は我文明に利する所なく一朝海外諸國の形
勢を論して兼ねて我國の大計を議せんとするに當り我輩をして動もすれば我日本國の獨立
如何と云へる問題を思案中に加へしむるが如き有樣あるは實に痛憤の至りに堪へざるなり
此時に當り世上の政論家なるものは我國是を何の點に置き以て内外經營の謀を爲さんと欲
する歟我輩の最も聞んと欲する所なり(以下次號)