「今日の國是は如何前號の續」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「今日の國是は如何前號の續」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國を文明國間に立て其尊敬する所と爲らんとせば文學技藝を長じ陸海軍備を張り蒸氣電氣

以下有形の文明を採用して運輸殖産の便を增し國の交際に榮譽を重んじ文和武勇を兼具す

るの外に國の履歴を美にすること最も大切なる事なる可し今試に一個人に就て云ふも邸宅

車馬交際家居一切の器具備はりたるのみにては未だ以て榮譽ある紳士と云ふことを得ず我

國にて云へば奥羽の戰爭に何々の功ありとか西南の役には何事を爲して何等勲章を得たり

とか或は何々の文勳ありたりとか或は商賣上に大成功ありたりとか一時社會の耳目を聳か

して世に誰某あるを知らしむる程の履歴なければ今の世に在て俗世界の尊敬を惹くこと能

はざるなり即ち一個人に就て履歴の大切なる所以なれども國交際上に履歴の大切なること

も亦一個人と異なることなきが如し今日歐洲諸國にてこの國は強し彼の國は弱しとて其間

自から尊敬の度を異にすれども其強と云ひ弱と云ふは必ずしも軍艦銃砲兵卒等の精粗多寡

を標準として論ずるに非ず軍艦兵卒等を標準として國の強弱を評するならば一篇の政治家

年鑑を以てして足れりと雖ども其強弱論の由を出づる所を尋ぬれば千八百何十何年の戰爭

に何國は寡兵を以て何國の大軍を破りたりとか或は何國が戰勝の折に何國を挫て何千萬の

償金を取りたりとか歴史上有名の事實即ち國の履歴に就て其國民の勇怯強弱を評するが故

に古來履歴の美なるものは國交際上に於ても自から其の尊信を增す所あるが如し國の履歴

は國交際上に取りて斯くの如く大切なる其際に我國の履歴如何と尋ぬるに文明入門以來茲

に三十年間長からざるに非ずと雖ども國交際上天下の耳目を驚かしたる事柄とては一事も

なく名聞寥々殆んど文明市上の評論に上らざるが故に歐米諸國人の過半數は世に日本と云

へる國あるを知らず或は之を知るものあるも亦是れ東洋の一蕃島なりと信ずるが故に其我

國を遇するの法も亦甚た亡状にして治外法權今尚未た撤去の沙汰なく條約改正亦今日に遷

延したり此他我國に向て實物上の損害を被らしめつゝあるものは尚多きことなる可し甚た

以て遺憾なりと雖ども畢竟我國に履歴なく文明の競進に於ても亦常に一着を輸するの致す

所なれば今後我國の勉むる所は唯當さに勇進奮發して我が技倆を天下に表白すべきあるの

み是れ誠に簡單明白なる次第なりと雖ども我技倆を表白すること亦甚た易からず我國目下

の不景氣にて貧困國民の骨髓に徹し餓渇旦夕に迫りて租税の義務すら尚且つ之を果す能は

ざるを以て世の政事家と稱するものも之を救治するの策に窮し此時窮を救ふは唯消極節儉

の一方に在りとて万事減縮、全國敎育の費額までも節制せんと主張するものさへある世の

中なるに我陸海軍の伎倆を現はさん抔とて試に軍艦一艘を新調したらば折角節減したる敎

育費も忽ち霧散せざるを得ず、内の景况は正しく如此なりと雖ども國權の點より海外諸國

に對するの權衡を按ずれば國内區々の小窮通は最早齒牙に掛くるに足らず瓦全は終に玉碎

に若かず苟も我伎倆を顯はし功を立て名を博するの機會もあらば勇往直進死地に陷りて生

路を求むるの工夫を爲し外に其國威を張て耻かしからぬ履歴を作り内に其人氣を誘ひて積

衰の餘に一振せん歟即ち今日の進取策にして少しく果斷に過くるの嫌あれども亦取る可き

所なきに非ず知らず世の政論家は此策に同意なるや否や (畢)