「日本の税法は農民に偏重ならず」
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本文
日本の税法は農民に偏重ならず
民間の疲弊各業不景氣の有樣は我輩の時々報道する通りにして目前差し掛りたる國の大難
なり既に人爲の法を以て此大難を招きたるものならば又人爲の法を以てこれを救ふの工風
もあるべく兎に角に袖手坐視して天運の自然に回り來るを待つべきものにあらずとは我輩
の常に論辨する所なり識者あり曰く日本の税法は獨り土地に向て偏重なるが故に遂に今日
の如き農民の疲弊を來たせり依て今これを救ふの法は先つ地租を減し其地租を減する丈け
の分を他の雜税に課し以て大に農民の肩を休め地の力を養ふに在るなりと方今日本中央政
府の國税七千萬圓府縣の地方税一千八百萬圓郡區町村の協議費一千六百萬圓三種の租税合
して一億零四百萬圓にして此内土地より取立てたる金額は國税に四千三百萬圓地方税に九
百萬圓協議費に一千萬圓三種合計六千二百萬圓なり即ち日本國民が負擔する各種租税の全
額一億零四百萬圓の其十分の六は悉く土地に就て徴収したるものなりとの事實を見れば日
本の税法は土地に向て偏重なりとの議者の言も或は一概に虚妄ならざるが如しと雖とも果
して事實上より偏重なりとの明證を得ざる限りは單に我全國租税の十分の六は土地に課す
るものなりとの一事を見て直ちに租税の負擔農民に偏重なりと斷することを得ざるなり十
の六は土地より出つと云ふを聞て忽ち其肝を潰す者は所謂感情の爲めに其判斷を誤る未熟
の政論者なりと云はざるを得ず
日本の人口三千七百萬此内幾人は農民にして幾人は商工民なるや統計年鑑等に記載する所
なきは勿論内務省戸籍局の統計表にも職業の區別を載せざるが故に我輩今これを知るに由
なしと雖とも爰に其概况を窺ひ知るべき一法あり即ち内務省衛生局出版の統計表に日本全
國の都市、上は九十餘萬の人口を有する東京より下は四千の人口を掲けたるものを見るに
其總數三百九十萬餘人とあり日本の都市は此百十九箇所に限らず尚ほ二千三千の人口を有
するの市邑澤山ありとし全國を通し市中に住して農業に從事せざる商工民の大數は前記一
百十九都市の總人口を二倍し大略七八百萬人ありと仮定して决して少なきに失せざるべき
か此の計算果して不當ならずとせば日本國民の中五人に一人丈けは商工民にして他の四人
は皆農民なりと知るべし今、日本の人口三千七百萬にて一億零四百萬圓の租税を拂ふとす
れば一人の税額二圓八十一錢餘に當るこれを全國の市民七八百萬人に乘すれば一千九百七
十萬圓乃至二千二百五十萬圓を得べしこれを全國商工民の負擔すべき一歳の税額とす又此
二圓八十一錢餘を全國の農民二千九百萬乃至三千萬人に乘すれば八千百五十萬圓乃至八千
四百三十萬圓を得べしこれを全國農民の負擔すべき一歳の税額とす扨今顧みて日本税法の
實際を見るに平均八千幾百萬圓の租税を拂ふべき三千萬の農民は僅かに六千二百萬圓を拂
ひて全く其義務を卸す其傍に人頭に分配して僅かに二千萬圓内外の租税を拂へば立派に日
本國民たるの義務を果たすべき七八百萬の商工民は尋常自家の割前に二倍する四千二百萬
圓の租税を拂ひて尚ほ不足なりと罵らるゝなり是に由りてこれを視るに日本の税法は全く
議者の言に反し農民に偏輕にして商工民に偏重なるものなりと云はざるを得ざるべしこれ
を如何ぞ日本の農民は獨り自家割前丈けの國費支辨の義務を負擔するのみならず更に他人
の負擔に屬すべき義務の一部分をも自から負擔して遂に其任の重きに堪えず他の商工民の
安逸に引換へて農民獨り疲弊困窮の極に達せりと云ふを得んや抑も今の不景氣は日本全國
民の不景氣なり農工商民共に皆然るものにして獨り農民に限り特別に然るにはあらざるな
り唯世人の眼に映するに農民の貧困特に甚だしきが如くなるは全國に農民の數多ければな
り全國の人口十中の八九は農民なれば全國の貧民十中の八九も亦農民ならん十人の餓死者
あり十人の公賣處分を受る者あれば其中の八九人は必ず農民なるべきは自然の數理なり何
ぞ農民に貧困人の多きを恠まんや數の割合を勘定すれば農工商民皆然らんのみ議者若し今
の不景氣を憂へて農民の直税たる田租の過重なるを思はゞ同時に商工民の直税たる他の諸
税の課重なるをも思はざるべからず若し萬一にも農民の租税を減して其減少したる丈けの
金額を他の商工民の租税に増加し以て全國の不景氣を救んと欲する如きことあらば所謂朝
三暮四の姑息策にして恐くは寸効をも見ることなからん或る昔話しに一老農あり平常痛く
其飼ふ處の荷馬を愛す一日老人二個の米俵を馬背に附て一個を自己の脊に負ひ自から又其
愛馬の背に跨りて來るを見る隣人恠みて其故を問ふに老人馬上に在りて滿面の汗を振ひな
がら慈顔に答へを云ふ三個の米俵は其重量能く一馬の堪ゆる所にあらず予これに忍びず馬
上に其一俵を予が肩に分ちて馬の重荷を減し遣はしたりと一國の税法を是非する者は先づ
此一笑話を記臆し置かざるべからず