「A我國には男尊女卑の風習あり」
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本文
A我國には男尊女卑の風習あり
男尊女卑と云ふことは文明社會にて嘉す可きことに非ざれとも社會進歩の道筋に於て何れ
の國も一度は此風習に出〓はざるものなし而して其尊卑の度に至ては國に因て各〓〓にし
て現に野蠻社會にては男子罪あれば之を其〓に歸することあり〓は男子逸樂して女子勞役
の結果も〓〓ものありと云へど、それ等は論外として姑く置き今〓文明社會の風習を繩墨
として論ずれば我國の男女〓が尊卑の關係甚だ〓〓し居るものゝ如し試に我國女性の運命
を按ずるに幼にして父母の手に養はれ稍長して他家に嫁し一身其夫に服事するの外に姑舅
以下に奉〓して言行我意に甚た能はず或は先方一時の喜怒にて〓なく〓〓〓〓〓ゝことあ
り或は未〓放縱にして我所持品を〓賣し然〓〓〓て離婚を申出す〓〓〓但し一朝の〓〓に
て氏なく往輿に乘るものな〓〓〓〓れとも其之を轉する者の意は〓其香色のみに屬するが
故に女性を以て神霊ある一〓の〓〓物の如くに見做し愛憎の轉〓殆ど〓を回らさゝるを常
とす故に婦女百年の生涯は當に他人に依て苦樂し〓て其人間たるの天眞を全うすること能
はず或は上流の婦女にても世の積習に制せられて人間實際の快樂を取るに由なく一年數回
親戚の家などゝ家往會〓する〓に止まり歐米諸國の婦女が緑野に〓〓〓職業を試み夜宴に
舞踏高談するが如きは近頃までも之を夢想する能はざる程の次第なり左れば古來我國の婦
女は戸内の家政上にては稍一元素として働きたるが如くなれとも戸外の交際上に婦女はと
問へば唯零なりと答ふるの外なきなり我輩の不本意に感ずる所なり
我國婦女の地位に漸く卑屈なりし原因は盖し種々雜多にして固より枚擧するに暇あらず其
中には戰國封建時代の威風抔にて今尚變形して俗間に傳はり男尊一偏の流行を助けたるも
のもあらん或は婦女社會にて漫然この流行に流され女子に七去あり抔とて自から利男主義
の箇條を設け片落ちの庭訓を作りてますます婦女卑屈の角度を加へたるものもあらんと雖
とも今其原因の最も重立ちたるものは(1)責任なきこと 我國の婦女は何事に就きても
責任なく世の毀譽の責にも任せず家の興廢の責にも任せず此責に任するものは唯一の男子
あるのみ婦女子の常言に貧富榮枯は天運にて唯其依頼する人の如何に存し富榮も己れの力
に非ず貧窮も亦己れの耻辱に非ずと觀念するものゝ如く又世事に關しても責任なきの習は
しにて古來俗間にて婦女子の盲は證據に立たずと稱し婦女子も亦之を便とし其證據に立た
ざるを口實として一時官費を免るゝことなきに非ず斯かる事の次第にて婦女子は財産榮譽
以下皆な之を其依頼者の保護に歸するが故に男子に對しては萬事に就て一歩を讓り卑屈な
らざらんと欲するも叶はざることなり(2)教育なきこと 女子の教育の男子に及はざる
は獨り我國のみならずと雖とも我婦女子の教育は文明國の比較上にて割合に不十充なるも
のゝ如し盖し文明國の婦女子は講堂教育の外に社會交際見聞の教育あれとも我國の上中社
會にて教育を受け得べき婦女子等は深窓弱質殆んど交際見聞の教育なきが故に人間處世の
智識に乏しく談話に長せず經歴に富まず温柔寡默甘んじて厨下の婢に伍するも亦謂れなき
に非ざるなり(3)職業なきこと 我國の婦女は古來の習はしにて職業とも爲る可き手藝
を習ふもの甚た少く尋常婦女子の手藝と云へば裁縫算筆の外、少しく上て音樂詞歌位に止
まり居家一室の中にて周旋娯樂するの他、別に爲す可き所なしと雖とも今日歐米諸國の婦
女は電信局の技手と爲り鉄道局の書記と爲り製造塲の職工と爲り宣教師と爲り教育家と爲
り醫師と爲り新聞記者と爲り其手に覺にある藝能を以て戸外活溌の職掌に從事し其一歳の
所得収入を問へば或は六尺髯丈夫の右に出で自から其一身獨立の謀を爲し百年の苦樂必ず
しも他人に依頼するを要せざるもの少なからざるを以て其婦女全般の品位の如きも亦自か
ら高尚なるを加へざるを得ず即ち我婦女子の卑屈なるは此の技倆に乏しきこと興りて大に
影響あるが故に我國の婦女にして其無職業に安し常に他人の資給のみを仰く今日の地位を
踏み上りて一歩すること思ひも寄らす次第ならん以上三箇條は我國婦女の地位の斯く卑屈
なりし原因なれば今日に當て此地位を推し進め我國の社會交際上に女性の元氣を導かんと
欲せば先つ我婦女子をして此三箇條に抵觸せざらしむること肝要ならん尚次號に於て餘論
を續かん