「支那の版圖廣大に過くるが如し」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「支那の版圖廣大に過くるが如し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

野蠻の社會は小にして人民少なく文明の社會は大にして人口多しとは社會一般の通則にし

て蠻野の民族に大國なく文明の族に小國少なし文明國の最小なるものにても尚ほ野蠻種族

の數十或は數百を容るゝに足るもの往々にして然り右は文明の程度と國の大小との釣合の

無則を云ふものなれば世界の萬國を一つ一つに比較せば或は野蠻の族にして半開の國より

大なるものあるべく半開の國にして却て文明の族を凌駕すべきものもあるならん然れども

諸文明國中の平均を取りてこれを半開若くは野蠻國平均の大小に比せば文明國は必ず野蠻

或は半開國より大なるの実證を得べきなり若し大に此の通則を犯し文明高くして國甚た小

なるか文明低くして國甚た大なるが如き事あれば此過不及不釣合の爲めに遂に其國人〓〓

を來たすは免かるべからざる數なるべし文明の度に照し土地人口の僅少に失して甚しき弊

あるは無論なれども過たるは猶ほ及はざるの理合にて土地人口の餘り廣大に過るも亦其弊

に堪へざるべし土地の大小其國の文明に適するの一事は决して輕々に看過す可らざるもの

なり

今日本支那國の文明を比較して優劣孰れに在りやと云はゝ我輩は敢て他の自尊自負を學ぶ

にあらずと雖ども日本の文明の彼れに優ることありて劣ることなきを固信するなり然れど

も論辨の都合の爲め文明の程度は仮りに兩國同樣のものと見做して土地の大小適不適を論

せんに我國土は正に我文明に適したりとせんか然らば則ち文明同等と假想したる支那の版

圖は甚た其度に過ぎたりと判定せざるを得ず或は我國の邦土は稍や狹小に失して今の二倍

或は三倍にして始めて適度に達するものとせんか斯くても尚ほ支那の版圖は甚た廣大に過

ぐと云はざるを得ず或は假りに支那の國土こそ正に其文明に適するものとせんか然らば則

ち文明同等と假想したる我日本の邦土は餘り狹小に過き我文明の度に適せざるは論を待た

ず誠に歎息の至りなれども退て世界萬國を一覽するに我國は先つ通例のものにして餘り大

なりと云ひ難く亦餘り小なりとも云い難きが如し果して然らばこの不釣合は我に在らずし

て支那に在り仮令我に在りとするも支那の如く不權衡の大なるものに非ざるや相違なかる

べし斯く論すれば迚一國の版圖には夫々不動の程度ありて萬世無窮に傳ふべきものと云ふ

の意にあらず國民の諸能力變化して文明の度前進することあらば其國土も小より大に進み

或は二國合して一國となり或は亞細亞諸國合併して一政府の下に立ち歐羅巴諸國合同して

一連邦となることもあるべし或は尚ほ進で世界を合一にし只一政府の統轄する所となるこ

とあるやも知るべからずと雖どもこれ等は程遠きことにて迚も今後三五十年の中に見るべ

からざるべし唯今の時に際しては各國各其文明の度ありて大抵これに相應する版圖なかる

可らず若しこの釣合を失すれば甚だ大に過ぐるも甚だ小に失するも同しく國邦の盛衰に關

すること小々ならずと云ふの意なり抑も一國の大小は地理風俗人情並に歴史上種々の元素

の集合したる自然の結果なれば大に過ぐればとて俄かに之を分裂すべきにあらず小に過ぐ

ればとて亦俄かに之を分裂すべきにあらず小に過ぐればとて亦俄に之を擴張すべきにも非

ざれども其大小の度實際甚だしく文明の度に離るゝことあれば邦土の大なるは國力を揩キ

の元素にあらずして却て其實力を減少せしむるの基たるに過ぎず支那露西亞の如きは東西

の兩最大國にして版圖の大なるは他の企て及ぶべきにあらずと雖ども其國土の大は由て以

て其國力を揩キの資に非ずして却てこれが爲め多少の弊害を免れ得ざるものゝ如し試みに

物の大に失して不都合を生ずるの理を人体と力量の關係に計算せんに爰に身の長け六尺の

人ありて其体は三十貫目にして其力正に六十貫目に當るとせばこの六十貫目の内三十貫目

は自家の体を起立せしむるに費す全く三十貫目の餘力を剰すべし今又爰に一丈六尺の大人

ありて四肢頭体とも前の六尺の人と同質同形のものとせばこの丈六大人の体重は立法比例

に由り五百四十五貫目餘となり其力量は平方比例にて只僅に四百二十六貫目餘に當るべし

斯く力量の体重より小なること凡一百二十貫目なるが故にこの丈六大人は啻に自体を起立

せしむるのみにも外より一百二十貫目の力を借らざるべからず左なき時は晝夜只仰臥する

のみにて其状恰も病症危篤の中風患者と異ならざるべし

一國と一個人の体とは自から區別ありて人体と力量との原則を以て直にこれを一國の上に

應用すべきにもあらざあれども物の大小の關係は萬物に通じて决して誤まらざるなり今支

那は亞細亞の中央に生れ終始亞細亞流の政治風俗によりて成長したる亞細亞の一産物にし

て蒸氣電氣の發明なかりし舊時に於ては亞細亞自然の舊慣に因り靜かに亞細亞の社會に立

ちて別に大なる不都合もなかりしと雖ども文明東漸世界一家たるの今時に於ては其邦土人

民の廣大衆多なるは其國の富強に資せずして却て其國の衰滅を催すの具たるに過ぎざるべ