「外國貿易上の所知を廣くす可し」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「外國貿易上の所知を廣くす可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

外國貿易上の所知を廣くす可し

國を富まさんとせば外國貿易を盛にせざる可らず外國貿易を盛にせんとするに就ては種々

の工夫方案ある可しと雖とも差當り必要なるは我外國貿易商をして取引先きの事情人氣を

熟知せしむること是なり試に看よ今日まで外國貿易に明なる商人の少なきが爲め我日本國

の貿易上に幾多の頓挫を生せしやも知る可らず先年我國の商人中にて直輸出の肝要なるを

悟り一時之を米國に試みたるものもありしかども試験の上、失敗多くして引き合はずとの

申分にて過半は斷念失望せしものゝ如し然るに内々樣子を聞けば直輸出必ずしも引き合は

ざるに非ず唯其直輸出に從事せしものが米國商賣社會の模樣を知らず取引上の機轉事情等

にも餘り精しからざりしが爲め直輸出品の賣捌方は一に之を米國人に托して己れは傍より

其消息を窺ひ居るが如き始末にて活溌なる米〓〓の爲めに忽ち其隙を附け込まれ、過分の

手數料を取られ、非常の〓〓みを申出され、先登第一の我貿易者、初度の手合せに失敗せ

しより一も二もなく直輸出は得失相償はずとの評判を立てたれとも其實は直輸出に從事せ

しものが外國貿易に不明なるの罪ならんのみ斯かる商人相群して外國商人と利を爭はんか、

内地の製造塲にては何程に製造に盡力しても如何なる産物を如何樣に製造すれば外國人の

好尚に適す可きやを知らざるが爲め貿易上に大利を占むることは思ひも寄らす次第ならん、

凡そ商品を製造するは喩へば大工が材木を〓るに此柱は何寸角にして何の處に立ち、其鴨

居は何尺にして彼の塲所に置く可しと初より寸尺仕方の見込みを附たるが如く豫め之を販

賣する塲所の人氣を〓して品の大小精粗共に其好尚に投すること極めて大切なりと雖とも

我國の商人中には商賣先きの人氣に注意するもの案外に少なく之れが爲め當さに占むべき

の利を失ひ將に盛ならんとするの業を〓ましたるの事例は一にして足らず今米國との商賣

に就て其一例を擧けんに我國の陶噐は米國へ賣れ口甚た廣く〓年〓價鷹揚すと聞き我陶噐

商某氏は特に命して數十の花瓶を陶製せしめ之を米國ボストン府へ差し送らんと企圖した

りしが米國人は花瓶の模樣として日本復古の歴史書を好み例へば八幡太郎が花を勿來關頭

に〓(口に永)ずるの圖、新羅三郎が笙を足柄山上に弄するの圖の如き其圖に就て種々の

美談あるものを貴重すとのこと抔固より聞きも及はざりしかば其花瓶に楓橋夜泊寒山寺の

模樣を寫し江上の曉色林抄參差、鐘樓高く出つるの邊に十字の寒鴉を乱點せしものを燒き

附けしに花瓶ボストン府へ到着の上、米國人の評に此製〓中には寒鴉の乱點せし所あれと

も鴉は糞穢を啄むの鳥なれば斯かる鳥を舊きたる花瓶は以て美實の飾付けと爲すに足らず

抔とて敢て之を購求するものなく之れが爲め其荷主は大に被損したりとの談あり即ち圖書

形色を專要とする花瓶商が販賣先きの好尚に注意せずして商賣上損失を被りたるの一例な

れとも其他、事の之れより大にして之れに類するものも亦極めて多きことならん又支那と

の商賣に就て之を言ふも之れに類する事例甚た多し頃日支那の事情に明なる人の言を聞く

に初め我國の摺附木は廣く支那に賣捌け塲處に由りては家々之を用ゐざるものなきが如き

勢なりしが近來に至りては上海及び其他の塲處にて西洋人又は支那人の製造する摺附木に

壓倒せられ其の輸出高非常に減額することとはなれり葢し在支那の西洋人等は早くも支那

人の好尚を看て取り勉めて其外貌内飾を美にし箱は丸形にして奇麗なる紋形ある洋紙を張

り附木は一本毎に之を削り燐は五色に染め付けたり其一本として廢物なきに至ては唯燐の

多少に關するものなりと雖とも支那人は未た其燐の危險なるを知らざるを以て單に其内外

の形容美麗なるは一本として廢物なきを見て日本摺附木の製租にして廢物多きものを購求

せざるに至りたりとの次第なり右等は唯貿易上の一二品に關する事例なれとも其他之れに

類するもの極めて多分なりとするときは我外國貿易商が取引先きの事情人氣を熟知せざる

が爲め我貿易上に損害を生すること决して鮮少ならざる可し左れば我國の商人中にて苟も

外國貿易に從事するものは其商品の取引先きに就て委細人氣事情を取り調べ又其取引先き

に往来する人々に就て其所知を叩く等最も其意を致さゞる可らず又我開港塲などにある商

業學校、講習所等にては唯書籍上にて其生徒等に商業の智識を授くるのみならず卒業の前

後には何樣かの手續にて外國貿易事務見習の爲め極々手輕に桑港、紐育、龍動里昻等の外

國商舘などに給事周旋することを得る樣に取扱ひ商學成て一個獨立の商業に取掛るまでに

實際上外國貿易の所知を廣くることを得せしめたらば唯夫れ丈けにても幾分か我外國貿易

を擴張するの一助と爲る可きや疑を容れず我國の外國貿易に從事するものは大に此邊に注

意ありたきものなり