「支那貿易に關係する日本の商民と商船」

last updated: 2019-09-08

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本文

支那貿易に關係する日本の商民と商船

支那は世界の大國なり九十萬方里の版圖に據て四億内外の人口を有す山林水陸の富甚た饒

にして無盡の財源なれとも誰人も未だ充分にその〓〓を試みたる者あらずして自然の儘に

放置し其外國貿易の如きも年を逐ひ日を〓して〓大の〓を致さゞるに非ずと雖とも土地人

口の割合に比較しては尚ほ幼穉の處あるが如し方今支那帝國の外國輸入高一箇年凡そ一億

二千萬圓、輸出高同じく一億一千萬圓合せて二億三千萬の額に達すその數に就て見れば二

億三千萬の取引决して少小にはあらざれとも世界第一の大國たるその版圖内に於ては此等

の商賣を以て富源發達の頂點に達したる者と云ふ能はず却て今後の勢運にては外國人は

倍々商賣の手を弘めて支那の沿岸内地到る處にその商利を開き内外取引高も次第に増加し

て支那帝國貿易の盛大繁昌古今を擧げてその類を見ること極めて稀れなるの程度に登るも

知る可らず兎に角に支那は世界の一大市塲にして百貨の需要殆んと限り無ければ英人も來

り米人も來り世界万國の商利を射るもの皆な來てその貨物を賣附けんと競爭し四億人の花

主を相手にして皆その販路を擴張することゆえ輸入貨物の増加近年に至りて實に夥しく、

高度に達し中に就て英国人がこの十餘年來の取引に於て獨り支那にのみ賣込みたる貨物の

増加高殆んと四割に上れりと云ふこれ英人が商賣に巧みにして兼て商權實力あるの致す所

ならんと雖とも一方には支那帝國の市塲殆んと限りなくして外國の貨物を吸収し消費する

坑溝あるに由て然ること疑ひ無きなり今の世界に在て支那貿易の利に着手せざるは利を見

るに極て迂濶なる者と云ふべし

日本は一衣帶水を隔てゝ支那と相對峙し支那沿岸の開港塲二十餘箇處ありと雖とも我長崎

より發すれば近きは二晝夜遠きは一周間を以て自在に達す可らざるの地なく其貿易取引高

は日本よりの輸出五百三十萬圓、支那よりの輸入六百三十萬圓総計千六百六十萬圓の額に

上り日本國総輸出入の五分の一は支那貿易の占有に歸し米、英、佛三國の通商を除けば日

本國の取引は支那に對するを第一の巨額と爲すなり故にこの點より視察を下すときは日支

間の貿易も亦我國に相應する丈の割合を保つに似たりと雖とも二億三千萬の輸出入ある大

國と接近密通して同じ東洋に在りながら實際の貿易高は僅々一千餘萬を踰えずして其輸出

入總額の二十分の一に止まる如きは决して貿易の盛なるものと評し難し若し日本人が非常

の奮發にて日支那の貿易を擴張せんと欲せば一千萬圓を上ぼせて二千萬圓となし二千萬圓

を上ぼせて三千萬圓とする等前途旺盛の目的も隨分これあるべきなれど滔々たる天下の人

多くは支那の貿易を度外視して如何なる好市塲ある歟如何なる良利益ある歟殆んとこれに

注目するもの無し然のみならず一千餘萬の貿易も一に外人の手に任せて自からその利を儲

くるを圖らざるとは實に驚き入りたることと云ふべしその證據には支那開港塲二十餘箇處

の内にてその新開に係る二三の港地は我國未だ均霑の恩惠を受けずして通商往来を得ざる

向きもあらんなれどその他は南は廣東厦門福州より台灣にては打狗淡水の如き又楊子江に

沿て上海鎭江漢口の如き夫れより北にして芝罘天津等に至れば貨物輻輳して商業殷富の要

地みな日本商人の到るを得さる處無く到ればまた利を獲ることも難からざるべきに以上の

諸港中、日本商人の在駐するは獨り上海の一港あるのみにして是れとても獨立の資本を有

し日支貿易の斡旋を爲す商人とては一も見當らざる有樣なりたゞ日本人にして僅に店戸を

市上に出すものすら五若くは六に止まり世の諺に數の少きを喩へて指屈すべしと云ふこと

あれとも在上海日本商人の數は指にて數ふるにも足らざるなり左れとも五六も亦數なれば

上海には我商店商人あること相違なしとするも他の開港塲にて日本商人と云へば隻影をも

留めず即ち天津に往て日本人の商店を出すものありやと問ふに一人も無しと云ひ、芝罘に

往て日本人の店を出すものありやと問ふに又一人もなしと云ひ、その他漢口に往き厦門に

往き廣東に往き將た打狗に往き同しく日本人の店を出すものありやと問ふに又々一人もな

しと云ふ、斯る有樣なれば支那沿岸二十餘箇處の開港塲ありと雖とも日本人の爲には何等

の實用をも爲さず畢竟貿易の路を求るに緩漫なるものにして其市塲の所在をも知らず安ん

ぞ其事情を詳にするを得べけんや日支貿易の今尚ほ遲々たるも謂れなきに非ざるなり又支

那の貿易港に出入する日本商船の數を取て試に之を其各港出入船舶の總數に比較するも亦

以て日本人が支那の貿易に感覺少なきの情を窺ひ知る可し即ち支那諸開港の出入船舶總數

は汽船帆船一箇年凡そ二萬三千乃至四千にしてその頓數三千萬以上なり然るにこの内にて

日本船の支那諸港に往來する隻數は若干なりやと云ふに實に微々たるものにして多少侠氣

あるの日本人は之を話しに聞くさへ尚恥かしと思ふ程の次第なりこの四五年來の平均にて

は支那二十餘箇處の港塲中日本船舶の出入する所は僅かに二三箇處に止まりその出入の總

數も大抵二百以上三百以下にして日本商船の來往少しも増加する所あらずと云へり例へば

明治十六年の滿十二箇月間に日本船にて支那の諸開港塲に出入したるものゝ數を聞くに上

海にて汽船二百七艘、帆船四十一艘、汕頭にて汽船六艘芝罘にて帆船二艘共計二百五十六

その頓數總して二十萬頓を踰へず年々日本船の出入は大抵此の如きものにて之を一箇年二

萬三千乃至四千もある出入船舶に對比しては日本の割前實に見る蔭もなき少數と云ふべし

故に天津に往て日本國の船舶來ることありやと問へば周年一艘も來らずと云ひ漢口に往て

日本船來ることありやと問へば又周年一艘も來らすと云ひその他厦門廣東打狗等に往くも

又々周年日本商船一隻の出入あること無しと云ふ如き日本人が僅か一衣帶水の支那港塲に

於てその貿易商賣の利を輕忽にする例證として見るべし日本の商人と日本の商船とが斯く

支那の港塲に入り込まずして日支間の取引高尚且日本貿易總額の五分の一を占むるが如き

は偶然意外の僥倖にして苟も之を日本商民の功績なりと云ふ可らず寧ろ前記の有樣にては

我日本の商民中には誰れ一人として支那貿易の擴張に着目するもの無くその輸出入ともに

西洋人若くは支那人の手に打任せ置て毫もその利損を意とせざるに似たり日本の商民が手

近かなる支那貿易の擴張し得へきをも擴張せずして徒坐安閑獨り扶桑限りの小天地内にの

み蠻息するは懶惰なり油斷なり文明の世界に立て商利の競爭を試むべき今日に際會しつゝ

眼前咫尺の支那貿易さへ一に外國人の掌握に放棄して顧みざるは〓に日本人民の大なる咎

ならずや今に及んで〓く心事を轉して其處置を爲さゞれは現在の商賣すら委靡退却して復

た救ふ可らざるに至らん支那貿易の興隆を圖るは實に方今日本人民の大急務とする所なる

べし