「不景氣救濟策」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「不景氣救濟策」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

我輩は今の不景氣を救濟するに儉約の退守策のみに依賴することを好まず退守策亦甚た有

用なりと雖ども其効驗甚た緩慢にして急を救ふの用に適せず他日漸く其効驗はして全國の

景氣を回復し得たるの時顧みて今の貧民の所在を尋れば皆去て此世に在らず疾く既に其籍

を餓鬼道に轉し了りたるを見出さんことを恐るればなり故に我輩の望む所は我政府が儉約

の退守策に由りて一箇年千萬乃至二千萬圓の政費を省き得るものなれば唯其全額を租税に

減して坐して景氣の回復を待つの策のみに出てず更に其の内の幾百萬圓を國庫に殘留して

これを資本に大に勉強の進取策を實行し一擧して全國の好景氣を喚返し永く國民の富榮幸

福を增進せんとするに在るなり

紙幣減少して物價日に下落して農工商民皆其營業に損毛を招かざるはなし營業に利を見ず

して却て損を見るやうにては貸借の間に不義理の事多き固より理の當然なるべし借金は返

へさず貸金は返らず世間信用の地を拂ひ同時に金融の閉塞したるは毫も恠むにたらざるな

り是に於てか七朱利付の公債證書は額面百圓に付飛で九十九圓と爲り年豊かにして米穀魚

肉は餘りあれども全國到る處として饑渇の民を見ざるはなし是即ち今日の不景氣なる者に

して全國全社會に行渡り數年以來未た回復の實兆を見ざる者なり扨今他の一切の關係を論

せず單に景氣回復の事のみを達して足れりとの注文ならば今日更に數千萬圓の紙幣を增發

する程其勞費の少なくして其効驗の著るしきものはなからん然れども紙幣增發の一利は以

て其隨伴する處の百害を償ふに足らず昨夜大醉今朝頭痛に堪えずとを更に又醉を求めて一

時の苦痛を忘れ今夕一層の頭痛に惱むの愚を笑ふ者は明治十八年の今日再び紙幣增發の議

を可とする者なかるべきは無論の事なりと信するが故に我輩は此紙幣增發を可否する爲め

に無用に紙筆の勞を執ることなかるべし

今紙幣增發の害なくして其功能紙幣增額に均しきものあらば我輩はこれに依賴して早く全

國の不景氣を驅逐せんことを欲するなり爰に其一法あり他なし大に流通貨幣を增加して隨

て大に全國の購買力を增加誘導し農工商業をして一たび其運動を始めて復た停止すること

を知らざらしむるに在り然るに紙幣以外の流通貨幣は本來無中より生出し來るべき品物に

あらざるが故に實物の勞力を以てこれを求めざるべからず是れ我輩が前段に於て儉約の退

守策に由て得たる金額の内にて其幾百萬圓を國庫に殘留し置きこれを勉強の進取策用に供

せんと云ひし所以なり我輩は此數百萬圓の金を使用して新たに數千萬圓の國債を外國に募

り此數千萬圓を内國に輸入し今より一二年を期して悉くこれを通貨に加へ物價の下落を維

持し農工商業者の爲めに利益を剰し信用を回復し金融を滑かならしめ農工商業を活溌なら

しめ日本全國民をして永く富榮幸福を失はざらしめんと欲するなり

數千萬圓の外國債を起してこれを内國の流通貨幣に加へんには其効力の不景氣を驅除する

に十分なるべきや疑もあるべからずと雖ども此金を通貨に加へ全國に流布するの方法如何

に由て其功益の大小如何も亦分かるべきが故に今此金を何事に用ひ何樣に配賦すべきや之

を論定するも亦甚た大切の事なるべし議者或は云はん田地を抵當に貸付金を爲すべしと或

は云はん賞金貸金の法を以て工業を保護すべしと又或は云はん商業の資本を補助すべしと

然れども我輩は思へらく此等の説皆其一方に偏し其力の及ぶ所廣大安全ならず决して同意

すべきにあらず唯今の日本國に於て此金を用るに最も健全なる法にして其効力の最も廣く

其利益最も永久なる者は鉄道布設の上に出るものなしと盖し鉄道の利益功能に關しては時

事新報紙上既に已に幾多の辨論説明ありて世人の胸臆に忘れざる所今日又之を再説するの

要なきが故に我輩は爰に之を略し唯銕道は尋常の時勢にもこれを布設せざるべからず日本

の不景氣の有無に拘はらず苟くも此國を文明にし此國を富強にし此國の獨立を維持せんと

するには今の時に當て先つ銕道なかるべからずと云ふを以て十分なりとす扨今數千萬圓の

外國債を募り得て今日是非ともなかるべからざる鉄道を布設すると同時に今日是非とも始

末せざるべからざる不景氣を驅逐するは所謂一擧両得の妙策にしてこれを斷行するに决し

て疑懼を要せざるなり

今や全國農工商社會活氣に飢へ又仕事に飢ゆ此飢渇至極の時に際し一年或は二年を期して

數千萬金を一時に擲ち東西南北全國到る處一時に銕道工事を起さば先つ此工事中に於て人

民に仕事を與へ金融の圓滑を促かし漸にして工事成り諸方の線路一齊に運輸の實業を執る

に至れば既に温氣を催ふしたる各地の農工商業は李花の春雨に逢ふと等しく萬舊一時に綻

びて晴天の雲と見まがうばかりならん盖し國中復た一人の不景氣を云ふ者なかるべきなり

銕道は一旦不景氣を救濟して又永久に好景氣を維持するの効力を有す今の日本の不景氣に

當り單に退守策のみに依賴して坐して好景氣の自然に來るを待たず兼て進取策の宜しきも

のを撰びて時に及びて此不氣景を驅逐するの誠心あらん者は目下大に外國債を募り大に内

國に銕道を布設するの外に個の妙策なきを疑はざるべし