「英國の東方政略昨日の續き」
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時事新報に掲載された「英國の東方政略昨日の續き」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
露國が歐洲の海岸に向て自由の出入口を求むるは其力に及び難しとて今はこれに斷念し居
るならんとのこと併せ歐洲にて彌々出入口を得る能はざる上は亞細亞に轉して新港口を開
かんと欲し近來鋭意經畧して圖南の大望を果さんとする形迹あることの大略は既に前號の
紙面に述べたる所なるが偖此に付き英國從來の輿論の有樣を聞くに一は露國をして片足た
りとも其歩を亞細亞の東南岸に進ましむ可らず彼れ若しその羽翼を亞細亞に延ばす塲合に
至らば英國の商賣非常の損害を蒙むること必然なるが故に我力の及ぶ限りは是非とも之を
防遇せざるべからずと云ひ又二には露國は強暴專制の國柄なりとは云へこれをして未開野
蠻の亞細亞を開かしむるは第一亞細亞國民の利益にして兼て歐洲の利益とも爲るべければ
圖南の鵬翼唯其延ばし次第に放任し置くも可なりと云ひ甲の説は保守黨の主義にして乙の
説は自由黨中の一議論なる由なれども自由黨とて一般には决して露國に亞細亞の蹂躪を許
すべしと云ふに非ずして寧ろ其反對に出て保守黨同樣矢張り露の南侵を憂ふる者なれば目
下英國が露國に對するの政略は出來る丈け露國に港口を與へまじとの一主義に因て働き前
内閣の議論も亦この點に在りたるに相違無しと雖ども唯その處置の緩慢に過きて内國輿論
の欲を充たす能はざりし者が遂に内閣辭職の一原因ともなりたるなららん歟左すればその
後を承て政柄を執る所の保守黨僚員は平生自黨の主義にてもあり且つ前内閣の不人望にも
鑑みて今十九世紀の非露國政略を維持せんと勉うる折柄、露國は倍々亞細亞海岸に港口を
開かんと欲し百方計畫して已まざるあるが故に今後亞細亞の局面は英露間双方の干格軋轢
にて一大騒擾を引起すの運命到底遁かれ難からんと思惟せらるなり彼の阿富汗事件の小鬪
爭または英が露に備ふる爲めに巨文島を占領したりなと云ふ如きは全く事端の初歩なるべ
し偖、露國が亞細亞に海岸を開くの道筋と云へるは一は中央亞細亞より阿富汗を過ぎいん
だす河に沿てあらびや海に達するか但しは路を轉して波斯灣を指すものと一は東亞細亞の
大陸を經、支那の裏手より太平洋の沿岸に新港塲を求めんとする者の二つあることは今日
歐米人の稱道する所にして昨年露國がめるうを併呑し本年又ぺんじいに於て阿富汗兵を打
拂ひたる等は露國が中央亞細亞に向て漸次侵掠を過うせんとの底意を明示するに足るなり
然れども爰に露國に取りて甚だ不都合なるは印度は英國の領地にしてその守備甚だ嚴重な
るが故に中央亞細亞の本陸を突破して印度洋に港塲を開かんとする考へは恰も猶ほ土耳古
を攻略してぽすぽらす、ざるだねるす海峽を我物と爲さんと云ふ考へに齊しく若し印度な
り土耳古なり單獨孤立の弱國ならんには占領併呑素より容易なりと雖ども苛めにも英國が
その傍に附添ひ居て自から攻防の指圖を爲す以上は露國はその志を果たす能はざること勿
論の儀ならん〓〓露國は第一回に黒海の出口を開かんとせしに英國その志を果さしめず第
二回には又印度洋の港塲を求めんとせしも英國又既に印度に〓有してその望みを遂げしめ
ざるが故に露國の東方攻略は次第次第に固より東に移りて今は太平洋の海岸こその出口を
停らんとするも實に已む可らざるの勢と云ふべし然れども英國の攻略は終始露國の港口を
防遏せんと欲して一回二回之を黒海に遮きり又印度洋に妨んとするからは獨り太平洋の沿
岸に限りてその出入を自在に任かせんと云ふ筈は無かるべしと雖ども露も亦世界一個の大
強國にして終始人の妨害をのみ甘受する者なら子ば最後の東洋攻略大にこれを延ばさんと
して英國の妨害を受くるの際、積年の憤懣一時に發裂し飽くまでこれに抗抵せんと决心す
る塲合に立至らば今後東洋の多事亦實に測るべからざるなり
東洋亞細亞に向て商賣に政事に經畧の志を懷くものは佛あり獨ありと雖どもこの二邦は必
ずしも英國の敵に非ず佛朗西が支那との戰爭にて夥しく英國の商賣に損害を與へたれども
深く怨と爲す景色もなく獨逸國が阿弗利加の西岸にて殖民地を開きたれど左程猜忌の形迹
を示さゞることなるに獨り露國の擧動に對しては微密に注意を致し一擧手一投足の細事迄
も窺ひ探らんとして已まざるは亦實に甚しと云ふべし盖し英露間の交戰は今を距る三十年
前のくりみや役を終りとして爾来公然鋒を交へたるの沙汰なしと雖ども英國の政略は常に
歴然露國を苦むるの策に出て千八百五十六年の巴里條約の如き千八百七十八年の伯林會議
の如きは英國が重に主唱して露國の海洋を鎖さし露國の南侵を遮りたるものにてこの三十
年間今こそは彌々戰爭も免れ難しとて兩國互に兵備を張り警戒を加へ既に鋒を接する段に
まで進みて遽に思ひ留まりたること啻に一二度ならざるなり今回の阿腑汗事件も如何成り
行くべき歟は前言し難しと雖ども英國の政略と露国の政略とは其大本の根基既に已に相和
容する能はざる所ありて露が五分丈けの利益を展ばさんとすれば英國に五分丈けの利益を
殺かざるを得ざる有樣なればこの兩國次第にその競爭塲を東洋に移し來るの今日我日本人
も將來兩國の關係如何に早く着目して自家の備を固むる亦早急の處置には非ざるべきなり
千八百七十八年英國は土耳古領より志ぷらす島を占領して露國が小亞細亞のいすかんどる
らん灣を窺〓するの途を杜きたることありしが本年又朝鮮國より巨文島を橫奪して露國が
日本海支那海に跋扈せんとする端を遮ぎりたる折も折とて非露國政略に熱心なる保守黨員
内閣の權を握きることとなりたるなれば今後該黨員が朝に在るの間には如何なる珍事の出
來して世界の耳目を驚かすべき歟我輩は豫めこの想像を書置て他日の眞影を認めんと欲す
るなり (畢)