「宗教不問の大義を忘る可らず」
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本文
宗教不問の大義を忘る可らず
我輩は前日の紙面に於て我國の寺制は所謂海月寺制にして文明社會に適せざれば今日耶蘇
教東漸の折柄、單に我宗教家の身上より考へたらば今に及んで大改革を施し以て其の滅亡
を防くことこそ肝要なれとの次第を論じ言宗教に及びたる其序に事は全く別物なれども其
宗教上に關係あるの縁由を以て爰に一言せんと欲するものあり何ぞや我國の法律上にて宗
教不問の大義を忘る可らざること是なり抑も今日の理論に於て政治法律は形に現はれたる
形以下の部分を支配するものにして宗教は幽冥無形々以上の心事に渉るものなれば政教は
別途、固より相關係する所なしと云ふものゝ目下歐米諸國の實際を見れば未た必ずしも然
らざるものあり尤も彼の羅馬の世に耶蘇教の教義に帰依せざる者は遺物を受く財産を相續
するの權利を失ひたるが如き又佛國大〓〓〓に露〓教の信者に佛國民籍に入るを許さず羅
馬舊教の非信者に佛國民たるの全權を與へざりしが如き宗教の如何を問ふて民人の權利を
左右するの時代は既に過き去りたるが如くなれとも仔細に歐米の制度法律を解剖すれば宗
教の胎毒今尚ほ左腹に浸潤し居る所なきに非ず例へば佛國の法律に官許を得たる宗教の會
堂を汚損したるものは何々の刑罰に處すとの精神を含みたる箇條あれとも佛國にて官許を
得たる宗教と云へば即ち羅馬舊教なるが故に羅馬舊教の會堂を汚損したるものは法律の明
文に據り何々の刑罰に處せらる可しと雖とも羅馬舊教外の教會堂は如何、之を汚損するも
無罪ならん歟將た官許を得たる教會堂の例に準す可き歟法律の明文より見るときは寧ろ無
罪と云ふ方相當ならんと論するものもある由なり是等は宗教の如何を問ふの精神を刑法上
に交へたるの一證にして西洋國人が宗教執着の〓疾深く骨髄に入りて容易に洗ふ可らざる
を見るに足れり盖し歐洲の宗教史には改革戰爭と云ひ異教窘逐と云ひ殺伐の事のみ多くし
て殆んど流血史とも稱す可き程にして數百年來宗執教頑相嫉視したるが故に宗教の如何を
問ふの精神法律上までに浸入したるならんと雖とも我日本國に於ては國民の性質宗教に澹
泊なりしが爲め世界萬國の宗教史上一種特別の生面を開き歐洲諸國などゝ决して同一視す
可らざるものあり意ふに日本人の性質は宗教のみに澹泊なるに非ず昔しの歌人が此澹泊な
るを形容して旭に香ふ山櫻はなと評したるが如く清淡にして物に執着せざるの趣致あり誠
に支那の歴史などを見るに往々にして残忍の所業多く呉起項羽の四十萬卒を坑にしたるが
如きは變則として之を算せざるも春秋戦國の頃、髑髏杯とて敵人の頭顱を以て酒杯を製し
たりとの古例もあり降て後世に至りても民衆奸吏の苛政に困しむの餘、之を斃して其肉を
啖ひ或は父母の病を醫するが爲め其子を殺して其肝を切り取る等は往々事實に行はれたり
と云へど日本人中には殆んど此等の類例なく籠城して糧盡き難船して食乏しきの塲合に於
ても同僚死人の肉を啖ひたるものありとの談を聞かず我國人は斯く恬澹にして残忍の資質
なきが故に歐洲諸國の先例の如く宗教の爭に人名を損したる等の事は聞きも及はず即ち我
歴史上に於ては古來宗教の爭論嫉妬なきが爲め宗教の異同に由て人間交際に故障を存する
ことなく宗教の如何を問ふの精神を政治法律上に及ぼすの巨害をも免るゝことを得たり左
れば古來我國にては宗派の區別に由て法律上待遇を厚薄したることなく或は偶然に厚薄あ
るかの如くに見ゆるものあるも敢て之に掛念するものなきが如し即ち我國人が宗教上に特
有する無類澹泊の美質にして國の治安を維持せんと欲するものは此美質を久しきに續くの
覺悟なかる可らず、聞く所に據れば我國に於ては目下民法編制中の由なるが民の俗を問ふ
は立法者の最要務なれば縱ひ御雇西洋人中抔に自國法律の精神を其儘に寫さんと企つるも
のありとするも當局審判の責に任するものは國俗に鑑みて其取捨する所を决し我法律上に
於ては古來の美風を逐ふて宗教不問の大義を忘れざることならん我輩も固より斯くと信ず
るものなれども言ふもの罪なくして聞くもの益ありとの古言に基き宗教論の序に一發論し
置くこと然り