「商人の知識を進むるに道あり」
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本文
商人の知識を進むるに道あり
日本の文明は政事兵事學問法律等の部内に就てその進歩を見ること甚だ容易なりと雖とも
商賣の一科は舊に依て開國以前の陋態を持續し三十年來絶ち變化の迹あるを見ずこの有樣
にては日本商人が萬國交通の世界に立ち能く其終始を全うせんこと到底覺束無かるべしと
て方今有識の士の孰れも憂慮して措かざる所なり目下我國商人の状態は如何にもその言通
りにしてこの社會に一大變革を起さゞる間は貿易商賣の隆盛なるべき見込無く唯國を擧て
自衰自弱に陥るの恐れあるのみ嘆息の至りと云ふべし畢竟日本商人の知識何故に斯くは獨
り進歩を怠りたるやと云ふに元來日本にて西洋文明の元素を輸入したるは封建士族一類の
力にして文明事物の播傳法も其士流の思想習慣に最も近くして最も適したるものゝみが早
く先づ國内に弘まりその他士流に縁の無き事柄は一般進歩に後れたる中にも商利の一事は
取別け古來より學者士君子の言ふを卑んじたる賤業なりしが故に縱へ西洋にては商賣事業
の名譽多きことを知悉しながらも士流中誰とて奮發率先して日本商の面目を此卑賤の裡よ
り救上げんとする人も無く爾來三十年その儘に經過して去て商人の知識遂に今日の如き偏
輕を致したる者なりと云はざるを得ずそも西洋文明の輸入者たる日本士流の一類は數百年
の間、封建の治下に養はれ終身畢生文に武にその心事を傾け子々孫々傳へ又傳へて其思想
習慣は恰も一定せる摸型の中に鑄造せられ千萬人が千萬人共に〓其必事の所向を同しくし
斯る事の次第にて居たる折柄西洋交通の道開けて繁多なる文明の事物一齊に我國に入らん
とするに際會し當時の日本人商は商の事に付て西洋の風を取り農は農の事に付て又西洋の
風を取る等その撰擇する所孰れも自由自在なる〓に似たれとも如何にせん日本の文明はそ
の實士流の手に出でゝ商〓者は獨り知らず而してその士流なるものは前記の如く政事なり
法律なり孰れとも自國數百年の修養に依りて平生其〓を甞め居たること故西洋舶來の政法
論も從來支那の治道〓名を修めたる眼にて見れば矢張り同範圍の者にて然かもその趣きは
在來の儒學より新規精神彌々學んで彌々快に堪へずとし斯て爭を其政法の議論を究めたる
に相違無きなり又政法論が今日廣く世上に行はれたるその以前にても醫學と云ひ兵學と云
ひ孰れも士流中に傳はりたる古來〓養の力にて容易く西洋の蘊奥を極め此等の事物に就て
論すれば日本文明の傳〓も實に著しき結果を現はしたるなれど商賣の一事は當時士流の最
も輕蔑し卑賤視したる者なりしが爲めに當時文明事物の目録中にこの科目の入ることを許
されざりしは誠に國の大不幸と云ふべし
國を立つるには商賣を盛んにせざる可らずこの道理明白なりと雖とも今日の日本商人には
知識なく位置なく他の政事法律等の事業に比しても偏輕偏重の弊ある實に甚しければ早く
これが恢復を謀るの策を運らすべき中にも第一には世の有爲の人々輕くその身を一轉して
商賣の實際に當ること大切ならん凡そ何事業にても其仲間に有力有名の人物多きときは世
に立つの位置甚だ貴くなるものにて例へば軍人社會に豪傑あれば凡そ世の中に軍人ほど貴
きものは無く又政事社會に英雄あれば世の中に政事家ほど譽れ多きもの無きに至るは世間
一般の〓ひにしてその仲間の本尊の大小輕重は以て仲間全体が社會に立つの位置尊敬を左
右するに足るなり西洋諸國にては商人の知識獨り商の一局に止まらずして社會政事、外國
交際のことに至るまで普く之を知悉し耳目の區域廣大なるが故に政事家が商人に就て却て
前途政變の次第を尋ぬる等の奇談は毎々我輩の聞きたる所にして西洋商人の名譽は政事家
に過ぎたるものありと云ふも可ならん然るに日本にては商人の知識聊かたりとも社會政事
の部局に及ぶこと無きは勿論自家本務の商况さへも尚ほ平身低頭してこれを政事家の門に
叩き外國取引の工合、海外市塲の景状又は日本品賣捌きの方法までも一々政事家の指揮を
仰かざれば獨立してこれを行ふ能はざる等西洋とは丸でその趣を反對にし西洋の政事家は
商人の知識に頼て政變を窺ふほどなるに日本の商人は政事家の鼻息を窺て商况の浮沈を卜
す斯る事の有樣にては商人社會に名誉なく尊敬なく依然として封建時代の素町人たるを免
れざるも亦故なきには非ざるなりこれも畢竟その仲間に有爲の人物無き咎なれば商人中志
あらんものは大に奮發して海外各國の言語を學び事情を探ぐり又は親から彼地に渡航して
商業活世界の實際を視察しその知識の度を進めて社會の尊敬を求むること大切なりと雖と
も又一方に於ては廣き世間の有志者その人も今は商人社會に豪傑の無きを牽ひ政事法律の
部局に就て無理に立身の地を作らんより寧ろ心事を一轉し商利の科中に就て開拓の勞を尽
さば其の功を収むる甚だ容易にして商賣の事業に名譽と價格とを附するも亦甚だ易しと云
はざる可らず商人社會には未だ名譽の本尊を有せざる折柄ゆえ着眼早きものは誰にてもあ
れ〓からその社會に入りてこれが本尊となることたゞ各個の隨意撰擇に任せんのみ又知識
ある人々が漸く〓々商業に從事すると同時に世間にても能くこれに尊敬を表し名譽を與へ
て成るべく商人の位置を重んずるの途を開かざる可らず事實官員たり學者たり將た商人た
り何にも天霽に於て上下優劣の區別あるに非ずたゞ人爲社會の人事に於てこれに輕重を附
したるものなれども今の世界にては知識の大小富の多少にてこの人爲の輕重を〓覆するこ
と甚だ容易ならん故に社會一般皆商業を尊ふの習ひを作り名譽の歸する所乃ち人物の聚ま
る所とすれば有爲の人も相率て商賣の業に歸するに相違無けれとも何分今日の世態にては
商人に名譽尊敬を與ふること頗る吝なるより自然知識あるの人物を引く能はざるは甚だ遺
憾なりと云ふべし左れば今日以後は斷然斯る陋態を撤去して世上一般商人に尊敬を與へそ
の事業に名譽多からしめて有爲の人の輻輳を促かすと共に有爲の人も亦奮發して身を商利
の業に投しその知識を働かせて名譽の本尊たることを勉めたらば日本近代の文明中獨り進
歩に後れたりとの批評ある商人社會の知識を一新し國を開て貿易の權衡を世界に爭ふに至
るは我輩の斷して疑はざる所なり