「日本婦人論. 後編」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「日本婦人論. 後編」(18850707)の書籍化である『日本婦人論. 後編』を文字に起こしたものです。

本文

序 言

日本婦人論の後編總て十章、過日來、時事新報の社説に載せて世に公にしたるところ、大に世人の讃賞を得て、追々同感の論説を寄送せらるゝ貴女紳士に乏しからず。ツイ七日ばかり以前の事なりき、或る紳士が態々時事新報社に來訪せられての話に、「小生は今日、時事新報記者に向い怨を申しに參りたり。夫は餘の義にあらず、彼の日本婦人論一件なり。數日引續きての長物語、實に妙論名文なりと感讀の折柄、爰に大災難の降り來りしと申すは、何か本年は紺色の帷子單物類が流行致すとかにて、荊妻より夏着新調の相談度々あれども、小生の持論は、夏は白を貴ぶ、紺の單物などゝは以ての外の事なりとて、飽くまで反對防禦致し居たるが、殘念なるかな時事新報の日本婦人論一たび世に出し以來、攻防の形勢俄かに一變し、昨夜遂に荊妻の説が勝利を得て、今朝小生が家を出る時、門前にて早くも越後屋の手代が注文の品々を持來るに出逢いたり。實に無念千萬なる次第なり」と語るを聽き、記者も共々に一笑致したり。一編の日本婦人論、讀む人の思い思いにて善しとも言わん惡しとも言わん、兎角廣く世人の一覽を請いて輿論の如何をも窺い知り度、依て今更に全編十章を一册子に纏めて貴女紳士の坐右に呈することしかり。明治十八年七月二十四日、時事新報社樓上に於て、中上川彦次郎記す。

日本婦人論 後編

福澤諭吉 立案

中上川彦次郎 筆記

吾々は過ぎし頃より日本婦人論と題して時事新報の社説に載せ、世間の人は既に之を讀み給いし事ならんと思えども、この論の文章文字とも少しく四角にして、新報讀む人にはよく理會せらるゝも、廣く他人へ話しするときなどには不便利もあらんことを恐れ、今度は平假名まじりにて平たき文を綴り、前の婦人論の後編として世に公にせんとす。但し同じ事柄を表裏より繰返して言うことなれば、前編の文と重なる所もあらんなれども、そは記者の才の足らずして筆の拙なき故なりと宥し給わるべし。扨前編に婦人は男子と同樣の身分にして同樣の權利を持ち、財産身代とて男子と同樣に所有すべき筈なりとの次第を述べ、その趣意は誠に合點し易き道理にして疑うべきにも非ざれども、何分にも幾百年となく男子のみが我儘勝手にして婦人をば有るか無しにしたる國の風俗なれば、今吾々の筆をもて道理至極の事を記すも、男子に於て不同意を言うのみならず、利益の正面に當る婦人迄も却て新工風を悦ばざる者あるやも計るべからず。こは子飼の鶯が籠を出るを知らず、放れ馬が厩に歸るに等しく、一尺の籠狹しと雖ども、二間の窮〔屈〕窟なりと雖ども、年月摺餌に養われ飼葉の味に慣れば、花に囀り野に驅るの持前は之を忘却して、今の眞實の苦痛を知らず、唯淺ましき次第と申すべきのみ。西洋の古き語に【自から汝の身を知れ】と云うことあり。即ち人としてこの世にあらば、第一自分の身の上を知ること肝要なりとの意味にして、例えば女子がこの世に生れ男子に對して如何なる身分のものなるや之を知らざるべからず。男女格別に異なる所は唯生殖の機關のみ。是れとても雙方唯その仕組を異にするまでにて、孰れを重しとし孰れを輕しとすべからず。その外は耳も目も鼻も口も手足の働、臟腑の釣合、骨の數、血の運動等に至るまでも、都て體質に微塵の相違なきのみか、その心の働に於ても正しく同樣にして、男子の爲す業にて女子に叶わざるものなし。文明開化次第に進み行くときは女子に職を執るは珍らしからぬ例にして、既に亞米利加などにては婦人にして電信の技術その外、樣々の職工たるのみならず、或は醫師となり或は商人會社の書記又は政府の官員たる者も多くして、その仕事次第にては男子よりも却て用便になることありと云う。唯日本にては未だこれを試みざるのみ。或は試みても婦人は詰り役に立たぬというか、若しも然るならば夫れは婦人の性質に非ずして、斯くも婦人を役に立たぬように仕爲したる原因あれば、其の原因を取除くこそ肝要なるべし。如何に無理なる説を作るも、世界中等しく人間にして、西洋の婦人は役に立ち日本の婦人は然らずとの道理はなかるべし。西洋と日本と風俗相異なるが故に婦人の働も相異なりとの事實明白なる上は、一日も早く我風俗を變えて西洋風と爲し、婦人も一人前の用を爲すべき工風を運らすは、我日本國の男女共に專ら心掛けて勤むべきことなり。

左れば男女の釣合はその體質に於てもその心の働に於ても異なる所は更になくして、正に平等一樣のものたるは爭うべからざるの事實ならん。人は萬物の靈なりと云えば、男女共に萬物の靈なり、男子なくしては國も立たず家も立たずと云わば、女子なくしても亦國家あるべからず、孰れを重しとし孰れを輕しとすべきや、吾々の目を以てすれば何樣に見てもその間に輕重貴賤の差別あらんとは思われず。或は支那の儒者流にて男女を陰陽に喩え、男は陽にして天なり日なり、女は陰にして地なり月なりとて、一方は貴く一方は賤しき者のように説を立て、之を自然の道理として怪しまざるもの多しと雖も、本來陰陽とは儒者の夢話にして何も取留めたる者あるに非ず、數千年前、無學文盲の時代に天地間の萬物を大略見渡し、何か似寄りのもの二個ありて、その一つの物が強く盛に見え、相手の一つは弱く靜に見ゆれば、此れは陽なり其れは陰なりと勝手次第に名を附けたることなり。例えば天地を見れば天井と疊との如く似寄りのものにして、一方は低くして足もて踏み、一方は高くして手も屆かず、故に天は陽なり地は陰なりと云い、日月共に圓くして光り、一方は熱くして大に耀き、一方は耀けども少しく暗し、故に日は陽にして月は陰なりと云う位の事にして、今日より考れば小兒の戲言たるに過ぎず、畢竟陰陽に附き定まりたる徴はなけれども、先ず心の中に二樣の考を畫き置きて、己が了管にて是れは少し優りたるものと思えば陽の部に入れ、夫れは聊か劣りたりと思えば陰の部類に入れ、夫れより樣々の説を作りて戲言を賑かにするまでの空論なり。故に男女を見ても固より陰陽の區別あるべからざるのみか、その陰陽ちょうものさえ本來空物なれば、何として男女に如何なる徴もあらざれども、儒者の流儀の學者が婦人を見て、何となく之を侮り何となく男子より劣りたる樣に思込み、例の如く陰性として己が腦中にある陰の帳面に記したるものなり。婦人こそ誠に迷惑至極の譯にして、縁もなき天地日月を持出して陰性など云わるゝは、儒者の無學文盲に強いらるゝ者と云うべし。吾々がいま戲に説を作り、婦女子は華美にして賑なり、金玉の光明は日月星晨の輝くが如く、顏色の秀たるは春の天に花の爛々たる者に似たり、男子は美ならざるに非ずと雖ども、婦人に較れば何となく内端にして靜なり、その武骨なるは枯木の如く、動かざるは大地の如し。故に婦人は陽にして天と日に擬え、男子は陰にして地と月に象ると云わば、是亦一説として通用せしめざるを得ず。陰陽論の無條理なること斯の如し。迚も是等の戲言を今日に用いんとするも文明世界に許すものはなかるべし。 前の論の末段は少しく戲に似たれば、今また本の眞面目に立戻りて、何故に日本の男子が女子を粗末に取扱うかと一通りその説を聞て、その無理なる次第を述べんとす。女大學に云く、

凡婦人の心樣の惡き病は和ぎ順わざると、怒り恨むと、人を謗ると、物妬むと、智惠淺きとなり。この五の病は十人に七、八は必ずあり。是れ婦人の男に及ばざる所なり。自から顧み戒めて改め去るべし。中にも智惠の淺き故に五疾も發る。女は陰性なり、陰は夜にして闇し、故に女は男に比るに愚にて、目の前なる然るべき事をも知らず、又人の誹るべき事をも瓣えず、我夫我子の災となるべき事をも知らず、科もなき人を怨み怒り呪咀い、或は人を妬み憎みて我身ひとり立んと思えど、人に憎まれ疏まれて、皆わが身の仇なることを知らず、最はかなく淺まし。子を育れども愛に溺れて習わせ惡し。斯く愚なる故に何事も我身をへりくだりて夫に從うべし。古の法に女子を生めば三日床の下に臥しむと云えり。是れも男は天に假え女は地に象るゆえ、萬の事に付きても夫を先立てわが身を後にし、云々。 この文の眼目とする所は婦人に限る五の病を擧げて、斯々なるが故に婦人は男子にくらべて劣るものなり、劣るが故に男子の言うがまゝに從うべしとの趣意なり。成るほど男子をして婦人の心樣を診察せしめたらば病に相違なかるべし、男子の心樣になき病症も發るならんなれども、そもそもその病の原因は何れの邊より來りしものなるやと尋れば、吾々は矢張り儒者流の教の内に在りと云わざるを得ず。今その教を寫したる女大學全部の大意を擧れば凡そ左の如し。云く、女は朝早く起き夜おそく寢て、晝寢は無用なり、酒も茶も多く呑むべからず、歌舞伎、小唄、淨瑠〔璃〕理などは一切見聞すべからざるのみか、年四十歳になるまでは人の群集する宮寺へも行くべからず、又夫の朋友その外年若き男へは容易に言葉をも交ゆべからず、度々親の方へも行くは宜しからず、況んや他人の家に於てをや、夫の許なければ何方へも出ることは無用にして、文通も相成らず、饋ものも相成らず、又女の身の衣裳は穢ずして潔ければ夫れにて十分なり、染色模樣など時めかして人の目に立つは甚だ宜しからず、又婦人は別に主君なし、夫を主人として都てその下知に從い聊も叛くべからず、女は夫を以て無上の天として崇め尊ぶべきものなり、又女の七去は舅姑に順わざれば去り、子を産まざれば去り、淫亂なれば去り、吝氣深ければ去り、惡しき病に罹れば去り、多言なれば去り、盜む心あれば去るとて、夫の自由自在に之を追出すこと甚だ易し、又婦人の淫亂は斯く嚴禁なれ共、男子の方は至て便利宜しく、妾は幾人にても差支なくして是れは淫亂の部類にあらず、故に男子の淫亂とは、本妻も妾も十分に備わりたる尚その上に言語道斷なる振舞ありて始てこれを淫亂と申し、少しく不都合なれども、是れとても彼の七去の權力は男子の一方に掌握して婦人の方には一去の權なければ、假令え夫が淫亂なるも之を去る事の叶わざるのみか、これを怒り怨むことさえ禁制にして、努々嫉妬の心を發すべからず、唯顏色を和らげ聲をやわらかにしてこれを諫るの一法あるのみ。

以上の教に從えば、婦人は起臥も自由ならず、飮食も自由ならず、歌舞伎、鳴りもの等の樂も差留められ、衣裳を着かざる事も叶わず、家の外に出ることを禁じられ、人に附合することを妨げられ、尚その上にも夫の氣向次第に何時離別せらるゝやも計り難くして、一家の世帶を持つとは申しながら、その身の上の不安心なるは薄き氷を踏で深き淵を渡るが如し。首を擧げて男の世界を仰ぎ見れば、恰も主君の位を以て威張り通し、内も外も己が意の如くならざるはなし。誠にうらやましき次第なり。今男子の申す通りに任せて、婦人は男よりも遙に劣りたるものとするも、人間には相違あるべからず、苟も人として人竝の精神あれば、苦痛に逢うて安樂なりと思うことは出來難かるべし。男子の口にも婦人の口にも芥子は辛くして砂糖は甘し。故に婦人が如何に辛抱して此の憂き苦界に堪え忍ぶも、欺くべからざるものは天然の道理にして、その心樣の何時となく横樣に捻るゝも怪しむに足らず。時としては和らぎ順わざることもあらん、怒り恨むこともあらん、又謗り妬むこともあらんなれども、その本を尋れば男子の方より無理を仕向けて、正しくその結果に生じたる者なれば不思議なる事にあらず。然るに事の本をば吟味せずして唯その人を咎るとは何と法外千萬ならずや。馬を飼うて粗末に之を取扱い自然に意地の惡るくなりたるを見てこの馬は惡馬なりと云うに異ならず。意地の惡るきは馬の性質にあらずして飼方の無情なるより出來たる禍なり。又世の中に繼母と繼子との不和なる者少なからずして、母の無情と子の不順とおのおの説あれども、繼子たる者に限りてその天性不順なりとの約束はあるべからず。母子相對して何れか先きに働くと尋れば、幼少なる子は無心にして善惡ともに母の方より仕向るものなりと答えざるを得ず。左ればにや世間の人も繼子を惡まずして繼母を咎るもの多し。然るに今男女相對し善惡ともに働きを仕掛る者は男子にして、遂に女子の心樣を今の如くに仕込ながら、その罪、女子に在りとは受取り難き話ならずや。世の中の男にして馬の飼樣を心得、又繼母、繼子の評論して誤らざる者ならば、廣く婦人に對しても考る所あるべきものなり。 世間普通の教として、婦人の淫亂なるを咎めその嫉妬を戒しむること、甚だ行屆たり。人として淫亂なるは甚だ宜しからず、又悋氣深きも隨分見苦しきものなれば、男女ともに愼しむべきこと吾に於て勿論異議なしと雖ども、この事に付き唯婦人ばかりを丁寧に戒しめて男子をば忘れたるが如くするは何ぞや。そもそも是れには深き由縁のあることにして、古より世の人の言わざる所なれども、吾々は今、男子のためには些と氣の毒ながら事の内幕を明さゞるを得ず。元來儒者の教と云い、又この教を飜譯したる日本の女大學などにても、その作者飜譯者を尋れば何れも皆男にして、この男は同時代一國中の男のために便利なる工風のみを運らして、女の不便利には少しも頓着することなく、思うさまに教を定めたるものにして、之を喩えば下戸の相談に酒屋を擯けて餅屋を呼び、上戸の集會に酒宴の發議多數を得るが如し。銘々の勝手次第に片落なる法を立るは是非もなきことなれども、暫く心を靜にして考れば、人の情慾は男女ともに少しも異なるところなくして、嫉妬の念も雙方ともに深淺なきのみか、男子の方は幾千百年となく不行状に慣れて殆んどその天性の如くなりたるが故に、今少しくこれを取締て不自由を見せたらばその嫉妬は如何ばかりなるべきや、恰も飢たる虎の猛るが如くその亂暴は思いやられて凄じ。中々以て清姫日高川の比類にはあらざるべし。今日諸方の新聞紙を見ても遊廓が繁昌するとて、之がために世間の家内にて婦人が大に亂暴したりとの話は少なけれども、何れかの家に男子が跳り込み刃物もて婦人を害したり、その原因は男子がその婦人の云々を邪推し逆上して右の始末なりなどゝは、毎度聞く所にあらずや。男子の性急にして嫉妬深きこと、或は又これを評して執着獅子の發狂し易き者と云うも可ならん。今試に女大學の文をそのまゝに借用し、唯文中にある男女の文字を入れ替えて左の如く記したらば、男子は難有くこの教に從うべきや。その覺束なきは吾々が殊更に言わずとも日本國中の男女とも等しく心に合點合點する所ならん。 男は嫉妬の心努だ b 發すべからず。女淫亂ならば諫むべし、怒り怨むべからず。妬甚しければ其の氣色言葉も恐ろしく冷じくして、却て婦人に疏まれ見限らるゝものなり。若し婦人に不義過あらば我色を和らげ聲を雅らかにして諫むべし。諫を聽かずして怒らば先ず暫く止めて、後に婦人の心和らぎたるとき復諫むべし。必ず氣色を暴くし聲をいらゝげて婦人に逆い叛くことなかれ。

日本の男子に命じてこの教を守れと云わば必ず大不平にして、箇樣に窮屈なることなればこの世に生れたる甲斐なしとまで憤ることならん。左れども男にして生れ甲斐なければ女の身に取りても亦甲斐なし。世に生れたる甲斐なき者は死人に異ならず。己れの身には堪忍すべからざる教を定めて、他人に向ては堪忍せよと命じ、遂には之を死人同樣に取扱わんとす、無情も亦甚しきものと申すべし。淫亂嫉妬は固より宜しからず、誰れも知る所なれども、これを戒しむるに當り、唯婦人ばかりの身に嚴しく打てかゝりて、男子の方を無罪放免にするこそ奇怪なれ。人の説に男の心は洒落にして吝氣の念深からずなど云う者あれども、是れは大なる間違にして、その内實を申せば男子が獨り淫亂を恣にせんとして婦人を妬むが故にその淫亂を戒しめ、又己が淫亂なるに付ては婦人の嫉妬を面倒なりと思うが故にその嫉妬を戒しむるものにして、取りも直さず男が手作りの教を以て己が自由を逞うするの工風は巧なりと云うべし。或は少しく差扣えて無理に或る人の説の如くにしたらば、今の男子には吝氣の念、うすきように見ゆる所もあらんなれども、實はその念なきにあらず、男こそ吝氣の家元なれども種々樣々の工風を以て婦人を縛付け、今は誠に安心の場合に至り吝氣すべき種さえ乏しくしておとなしく見ゆるのみ。犬も飼放しにすればこそ喰付く恐れあれども、縛付けたる犬に向て誰れか用心する者あらんや。今の婦人は既に已に縛付けたり、男に嫉妬の念少なきも謂れなきにあらず。即ちその嫉妬の不用になるまでに至りしは、男の無情極まるの證據として見るべきものなり。吾々は今この無情無理を論じ破るに必ずしも耳新らしき西洋説を用いず、儒者の教を示してその自から破れんことを望むものなり。所謂聖人の教に恕ということあり。恕とは心の如しとの二字を一字にしたる文字にして、己れの心の如くに他人の心を思いやり、己が身に堪え難きことは人も亦堪え難からんと推量して自から愼しむことなり。誠に申分なき聖人の教にして、吾々も固より感服いたすなれ共、この聖人の教を段々に世の中に推し弘めて、扨婦人の心得方を承われば、男には迚も出來難き難業苦業を女に申し渡したるは如何なる譯ならんか。男女の間柄に恕の道とては少しも行われざるが如し。畢竟するに古の聖人も男にして、その道を傳うる後世の人も男なるが故に、男の多數に事を決して婦人の事は之を忘却し、恕の道をも唯男と男との間に通用せしめて、婦人の微弱にして理非ともに柔順なるは我れに至極便利なれば、他の男子も亦必ず我と同樣に之を便利なりと思うことならんと、己が心を以て他の心を推量し、至極都合よき教を弘めたる者ならん。婦人こそ誠に迷惑至極にして、貴き聖人の教なる恕の字の功徳をも男子に專にせられて、却てその禍を被る者と云うべし。男子が婦人に對して既に恕の一義を破るときは、何事か爲すべからざるものあらんや。啻に男女情の事のみならず、財産の權柄も男子の手に握りて婦人は雇人に異ならず、交際の權柄も男子の專にする所にして、自から主人と名乘り、表の座敷、奧の閨より、臺所の隅に至るまで一家の唯我獨尊にして、少しくその權限を犯すものあれば、小にしては家内の不都合と云い、大にしては世の中の妨害と云う。或は吾々が過日以來の日本婦人論に付ても不都合なり妨害なりとて不平を鳴らす人もあらんなれども、その人は必ず男子にして、その不都合と妨害の箇條を計え上げ又煎じ詰めてよくよく吟味するときは、誠に氣の毒ながら男子の身に不都合にして、己がわがまゝを妨げらるゝと云うに過ぎざるべし。左れども家は男ばかりの家にあらず、國も亦男女共有寄合の國なるを如何せん。吾々は今の日本男子に向て無理を歎願するに非ず、むかしの世から氣儘にしたる男子のことなれば、今俄にこれを取締めんと云うにもあらず。妻を亡したらばに再縁も宜しからん、本妻一人にて不自由もあらば、誠に申しにくき事ながら極く極く内證に妾も無據ことならん、又或は妙な天地の春に浮かれて花に戲るゝも一興ならん。實に男女の事は容易に人の論ずべき者にあらず、既に米國の或る地方にはモルモンの一類さえ繁昌する世の中なれば、吾々とても人情を外にして石の如く金の如く偏窟論を申すにはあらざれども、男子に不自由なるものは婦人にも不自由ならざるを得ず、男子に内證あれば婦人にも内證あるべし。男子が春の花に戲るれば、婦人も亦秋の月に遊ぶの興あるべし。堅固なること金石の如くなるも、洒落なること流水の如くなるも、其は男子の思召し次第に任せて、金石流水ともに男女一樣なれば夫れにて滿足なり。是れ即ち吾々がむつかしき事を云わずして、古來我國人の耳に慣れたる恕の字に註解を下し、その教を男女雙方に通用せしめんと願う由縁にして、男子の欲せざる所を婦人に施すことなければ吾々の心願成就したるものなり。

これまでは頻りに女大學の文句に付て夫れ是れと論じたれども、是れは所謂徳教の文にして、世間一般この文句の通りに事の行わるべきにもあらず。前編にも云える如く、聖人の教は賣物の掛直同樣にして、實にこれを買うものは半直にも三分一にも直切ることなれば、今の世に女大學の文句をそのまゝに守る者もあるまじ。唯一通りの御大法にして、吾々とても御大法の一字一句を證據にして喧嘩がましく議論するは近頃おとなげなくして却て恥入るが故に、女大學の文句論は是れきりにて止めにいたし、女大學のみならず都て聖人の教の精神を以て人の心を動かし世間の風俗を成し、動もすれば人の口の端に發して又實の事に行わるゝ所のものを拾い上げて、聊か婦人の身の有樣を説き、その不幸を救うて以て日本國人の家の繁昌のためにし又國の勢力のためにせんと欲するものなり。

世間の習慣として婦人を輕ろしむるの第一に劇しき言葉は、妻を娶るは子孫相續の爲なりと云い、その言葉の勢を察するに、釜を買うは飯を炊くがためなりと云うが如し。左れば飯さえ炊かざれば釜は買うに及ばず、子孫さえ求めざれば妻も亦不用なりと云わざるを得ず。そもそも夫婦家に居て、互に相助け又相助けられ、相親しみ相愛して、人間の快樂と幸福とを享べき天然の約束をば何とも言わずして、唯一口に子孫相續のためなりと言放したるは、即ち僞の始にして、これより諸の惡事由て來るべからざるものなし。子を産むの妻は飯を炊くの釜に異ならずと云えば、即ち一種の道具にして、飯の出來ぬ釜を棄つべきなれば、子なき妻は去るべし、或は釜の代りに鍋もて飯を炊くべきなれば、妻の代りに妾を召使うも可なり。又は臺所に釜は一つにても鍋の多きを厭わざれば、奧に本妻一人にして妾は幾人も差支あるべからず。畢竟人の身體を道具として視るものなり。この思想よりして、今日世間通用の言葉に腹は借物と云うことあり。その故如何と尋るに、この世に生るゝ子は本と父の子にして母の子にあらず、今年の米は去年の米の種子より生じたるものにして地より出來たるものにあらず、土地は唯借物なりとの意味ならん。無學文盲も亦驚くべし。人身窮理の吟味に生殖の道理を窮めて子の種子は男女孰れの方に在るとも決すべからず、卵は女體に潛みて精液は男體に在り、精液獨り子となるべからず、卵も亦獨り化するを得ず、雙方相接して子を成し、是れより母の體内にやどりて、その胎子を養うものは母體の血液なり、その機は神妙不思議にして人智を以て知るべからずと雖ども、働の姿を喩えて云えば、銅に亞鉛を交えて眞鍮となるが如し。銅と亞鉛と孰れを母とし又父とするも差支なけれども、兎角この二品を鎔して一つに混和せざれば眞鍮は生ずべからず。左ればこの眞鍮は銅を臺にして之に亞鉛を交えたるものか、亞鉛を本にして銅を交えたるものか、言葉の用い樣にて孰れとも定め難し。如何に無理なる説を作るも眞鍮を作るの本は銅にして亞鉛は借物なりと云い、又は亞鉛が本にして銅は借物なりと云う者はなかるべし。若しも斯る無理説が通用するものとして、子を生むに母の體は借物なりと云わば、之を逆にして父の體を借物と云うも否と答うる言葉はなかるべし。或はこの眞鍮の喩を止めにして、世の人の考うる通りに男體は米の種子の如く女體は地面の如しとするも、種子が地面を借りたるか、地面が種子を借りたるか、裁判を下だすべからず。論より證據を擧げて示さんに、生れたる子の骨格性質、細かなる所に至るまでも、父に似たり又母に似たり、遺傳の病、母より傳わるは父に受るに異ならず、眞實正銘、父母の骨肉の一部分にして、正しく平等に分たれたること疑もなき事實なれども、之を知らぬ顏して腹は借物など云うは、唯婦人を無きものにせんとするの口實たるに過ぎず。野蠻無學の世ならばいざ知らず、今の文明世界には無益の空論にして之を許す者はなかるべし。

右の如く腹は借物なりと云い、妻を娶るは子孫相續のためなりと云い、遂に子なき女は去るとまで聲高らかに世間に唱えて怪しむ者もなく、男子はその靜なるを好きことにして公けに不品行を犯して人に隱しもせず、妾を召抱え又これを取替え、容易に妻を娶りて容易に離縁するなど、勝手次第なる者ありと雖ども、頓と世の中の評判にもならざるは、即ち前に云える如く、婦人の身體を道具と視るの惡風俗より起りたる次第なれども、然りと雖ども婦人も亦是れ人間なり、その萬物の靈たるや男子に異ならずして、無情無心の道具にあらざれば、斯る場合に當りたる妻の身となりて如何なる心地すべきや、敢て去らるゝを悲しむにあらず、妾の多きを妬むにあらず、假令え夫が妾に戲るゝも我が身が去られ又殺さるゝも、其は夫の淫亂無法にして我が身は清淨潔白なれば命を棄てゝ天地に恥る所なし、即ち萬物の靈にして人の人たる徴なれども、我が生れ得たる身分にくらべて厘毛の輕重なき彼の男子が、斯る思想を抱きて斯る振舞に及びし由縁の、その本を思い廻わせば遺恨に堪ゆべからず、貴き人間の身體にして道具と視らるゝは恥辱の限りにして、人たるの榮譽面目は最早や廢れたるものなり、榮譽を奪わるゝは死するに若かず、斯る場合に臨みては假令え命を失うとも心を金石の如く堅くして、男の我儘を防ぎ止むべきものなり。

母の腹は借物にあらずとの道理は、前に陳べたる通りにて明白に分りたることならん。即ち父母の間に子が生るればその子の半身は母に受け半身は父に受け、全く父にも同じからず又母にも同じからず、一種その間の者たること、前の比喩にも云える如く銅と亞鉛と混じて眞鍮を生じ、鉛と安知謨尼と合せて活版地金となるに異ならず。既に眞鍮となり活版地金となりて見れば、銅にもあらず亞鉛にもあらず、又鉛にもあらず安知謨尼にもあらずして、その中間一種のものなり。又この眞鍮に活版地金を合せたらば、更に一種の金を生じ、混和物の數はいよいよ多くして、その物の割合はいよいよ少なかるべし。人間の子孫相續の道理も之に異ならざれば、今假に銅と安知謨尼を男子とし、亞鉛と鉛を女子として、系圖を作れば、

男安知氏

女鉛氏)娘お活)倅新太郎

女亞鉛氏)悴眞鍮太郎

男銅氏

腹は借物にあらざること眞實にして、世間の人もこれに反對するを得ず、いよいよ以て閉口したらば、この新太郎は誰れの子孫と申すべきや。母のお活は安知謨尼と鉛と五分ずつにて生れ、父の眞鍮太郎も亦亞鉛と銅と等分にて出來たる者にして、その等分五分ずつの間に生れたる新太郎なれば、祖父祖母四人の孫にして、母と父と二人の子なりと云うの外に言葉はあるまじ。その骨肉の出處を求めて割合を勘定すれば、安知謨尼、鉛、亞鉛、銅の二分五厘ずつにして、活版地金と眞鍮との五分ずつを受けたる人間なり。明白至極の事實にして疑も議論もあるべからざる筈なるに、不思議なるは古來世間の習慣に家と申す名を作りて、その家は男子より男子に傳わるものと定め、女子は相續の數の内に入らざるものゝ如くにして、家に男子なければ他家の子を養子として家の娘に妻わせ、娘もなければ男子女子ともに他人を入れ、眞實の血統は斷絶しても家名さえ續けば安心するの風なるが故に、例えば右の系圖にある新太郎も、その家の名が安知氏なれば幾代を經ても安知の家と稱して、女子はその血統相續の中に計えられず、數代累なる間には先祖の血縁は薄くなるのみか全く斷絶して跡形なきに至りても、唯男子を求めて家の名を傳うるが如き是れなり。女子の身に取りては大なる不利益にして、その不幸譬えんにものなし。大家のひとり娘にて、父母の亡き跡には家も藏も金錢も自分一人のものたるべきに、態態入婿を求めて之に身代を渡し、その身は遙に之にへりくだりて夫に事うること主君の如くするは、取りも直さず己が身代を他人に進上して、之を落手せられたる御禮として御奉公仕るに異ならず。不幸の甚だしきものなり。勘定の大間違なりと云うべし。そもそもこの大間違の本を尋るに、むかし封建の時代に、武士が何か功名手柄して知行を貰い、又何とか爵位格式の名を付けらるれば、その名もその知行も子孫に傳え、如何なる愚人にても又病身者にても、男子にてさえあれば父の家を相續して父の如く知行を取り父の如く威張る風俗なりしが故に、一家内は唯主人の公務大切とのみ言囃して之を貴み崇め、主人も亦大に得意になりて、自分が公用を務むればこそ家内共も安樂に衣食するには非ずや、妻と云い子供と云い、實を申せば厄介至極、たゞ相續の長男一名に扣の次三男あれば他に求る所のものなし、妻なり娘の子なり固より無くて苦しからず、之を養うは主人の憐愍なりと云わぬばかりの劍幕にて、その實は人情に背く僞なれども、武士は喰わねどたか楊枝とでも云うべき瘠我慢を張り、遂に日本國中、士族一般の家風を成して、その風俗廣く平民の間にも行われ、無益にも唯婦人を粗末にするを以て男子の榮譽の樣に心得、内心には左まで思わぬ事にまでもこれを荒々しく取扱い之れを侮り之れを輕ろしめ、甚しきは他人への愛相に我妻を叱りて見せるなど、實に癲狂の沙汰なれども、僞の世には僞を貴み、斯る癲狂を見て彼の家は家法嚴重なりとて、癲狂の擧動に感服する癲狂も甚だ少なからず。以て大間違の世の中とはなりたるものなり。數千百年の習慣にて實に以て言語道斷、手も着けられぬ有樣なれども、今日は是れ封建の世にあらず、槍先きの功名を以て百年の榮華を保つべきにあらず、一代の夫婦にて一代の家を興し、系圖も夫婦の系圖にして財産も夫婦の財産なれば、雙方力を協せて生涯を終るべし。之を偕老同權の夫婦とは申すなり。或は男子が政府の役人などになれば、何となくむかしの武士めかして、家内の見る目にも貴き樣に思わるれども、役人とて身の働を以て月給の金を取ることなれば、普通の營業に異ならず、況してその他の農家、商家等に於てをや。家の男子が營業すればとて何ゆえにその妻子に誇るや。一家の事は男子のみにて行屆くべきにあらず、今の日本の婦人には藝能乏しくして世事の間に合わぬものも多しと雖ども、無藝無能は男にも珍らしからず、兎に角に今の婦人のまゝにしても、家の内に男子ばかり居て營業に差支なきや否や、婦人は果して厄介ものにて無くて苦しからぬ者なるや否や、若しも差支ありと云い、無くて不都合なりと云わば、男子の業は婦人と共に營むものにして一人の業にあらず、即ち家の營業にして、その家は男女寄合のものなれば、如何なればとて男子一人をして、權威を專にせしめ、婦人を取扱うこと下女同樣にせしむるの道理あらんや。若しも男子が無理に威張りて野鄙なる言葉を用い、わが妻は召使いの下女に等しと云わば、婦人も亦止むを得ず之に答えて夫を下男と稱し、之を召使うて働らかしむ者なりと云うべきなれども、左りとては人間交際の禮にあらず、夫婦家に居るの道にあらず、男女相親しみ相愛するの情にあらず、苟も禮を知り道を辨えて人情ある者ならば、家事を取扱うの權力は夫婦平等に分配して尊卑の別なく、財産もこれを共有にするか、又はその私有の分限を約束するか、模樣次第に從い兎に角に家はその時に當る夫婦の家として、相互に親愛し相互に尊敬するこそ人間の本分なるべし。彼の封建の時代に、先祖の家筋を大切にして無理に男子の相續を作り、之が爲に婦人を無きものにしたる風俗は、今より以後除き去るべきものなり。 吾々が日本の婦人の事につき彼れ是れと議論すれども、固より婦人の代言人を勤めて無理にも男子と爭わんとするにあらず。實は男子のために考えても婦人を一人前の人にするは甚だ利益あることにして、家に在りては一家のため、國に在りては一國のため、恰も一倍の力を増さんとするの趣意にこそあれ。一家に夫婦二人暮しと云うと雖ども、その婦人は有れども無きが如くなれば、家のためには唯一人の力あるのみ。を廣くして日本の人口三千七百萬人の内より、役に立たぬと云わるゝ女子の數千八百五十萬人を引去るときは、人口は半分に減じて國を支ゆる力も唯半分に止まるべし。斯く婦人の弱くなりて智惠も身體も男子に劣り、家のため又國のために頼甲斐なきのみか、その身體の弱ければ、子は産めばとてその子も亦大丈夫なる者は少なし。自然に日本國中の人の種を惡しくして、遂には世界中に日本ほど人の骨格の微弱なる國はなしと云わるゝまでに至るべしとは、淺ましき次第ならずや。皆是れむかしより婦人を苦しめたる報なれば、家を思い國を思うて後世子孫の有樣を恐るゝ者は、篤と勘辨いたす所なかるべからず。

前編にも云える如く今の婦人には自分の財産もなく又家もなく、云わば男の家に寄留すると同樣の者にして、是れと申す心配なきが故に智慧を増すの道あるべからず。廣く世間の人に附合い又金錢等の事を心配すればこそ智慧の働も甲斐甲斐しくなるべきなれども、生れて死するまで附合もせず金錢も取扱うたることなき者に、何として世渡りの智慧あるべきや。その無智を咎むるは山家の人に向て海を泳げと云うに異ならず、若しもこれを泳がせんとならば、先ず海を見せて之れに慣れしむるこそ肝要なれしく言わず)。又徳川政府の太平長く打續きたるに就ては、世の中の萬事萬端よく治まり人の行儀作法、身持の事に至るまでも喧しくなりて、その鋒先は唯婦人の一方に向い、家に閉じこめられてなにひとつの樂みなきのみか、女の身に大切なる縁組の事さえ自由ならず、前に記したる女大學の正寫しにまで至らざるも、現在唯今、中以上の家風を見れば、女子が生れて年ごろになり、好き縁談とて父母の仰せに任せ、他人の家に嫁りても、その夫が無情無分別の男なれば詮方あるべからず。里に歸りて斯くと歎くも兩親はなかなか聞入るべき樣子もなく、泣く泣く我家へ立戻りて憂き歳月を送り、果ては半死半生の病人となり、何を見聞しても面白からず、何を飮食しても旨からず、鬱々として一生涯を終るこそ哀れなれ。元來男女の間柄は最も祕密にして、假令え命を失えばとて他人へは語るべからざる處に、好不好の情實あるものなるに、父母の不了管か又は鄙劣なる心よりして、或は重縁の好を尚かさねんとて、年齡の不釣合なるにも拘わらず、娘の縁談を親類に求め、或は富貴の家より縁談を申込むことあれば、先方の男子は馬鹿にても不具にても好き家柄なりとて無理に娘に説き勸め、否と答れば我儘者なりと叱り付くるが如きは、我子の縁談を餌に用いて父母の利益を釣る者と云うべし。世の中に娘を娼妓となし又は妾奉公に出すは最も恥る所にして、義理を辨えたる父母なれば成る丈けこれを避けんとこそする中に、表向の縁談なればとて當人の氣の進まざるものを強るは、その實これを娼妓に賣るに異ならず。無殘至極ならずや。女子滿腹の憂愁は實の父母に語るべからず、況や舅姑に於てをや。獨りの胸にもの案じするのみにて、その顏色も何となく晴々しからざれば、夫も亦これを見てますます面白からず、遂には内を外にして外の春の花に戲れ、或はその花の枝にからみて身を傷い家を破りたるの例は、古來今の世間にも珍らしからず。その成行を見るに、女子の不幸は申すまでもなくして、男子に取りても何の益する所なく、唯いたずらにこの世の不愉快を増すに足るべきのみ。又或は斯くまでの不始末に至らずして、夫婦の居合いま一段宜しく、世間竝の家の主人と稱する男にても、その妻との間柄は君臣主從に異ならず、夫の出入に妻は送り迎えして恭しく禮を盡せば、妻の外出に夫は唯その行く先きを言上せしむるのみにして之を見向きもせずし男子の尊くして夫婦有別の教に從うものか、之を傍觀して可笑しきほどに嚴重なり)、夫は出るにその行く先きを告げず、その歸るも亦時ならずして、留主する妻は食事の時刻さえ延ばして之を待ち、餘り歸りの遲ければとて心ならずも支度して淋しく獨り膳に就き、無言の晩食もそこそこに跡片付けて一間の中、冬の夜深けて夜廻りの聲もろともに戸を敲き、歸り來りし夫を見れば微醉の顏色、今朝よりその在りし處、又その用事の次第を尋れども、唯一口に御用にてありしと云うか、又は集會の酒宴と答うるの外なし。竊に案ずるに主人が世の中の事に付き至極得意の時もあらん、又は大に仕損じてちゞに心の亂るゝ時もあらんなれども、まさか婦人には明し難しとの考にて、善惡とも之を告げず、如何なる事の降り來りても汝等の知る所にあらずとて、一切これを別ものにして近づけざるは、古人の教に、婦人の言を聽かず又婦人に事を謀らざるの趣意にてもあらんか。成るほど嚴重至極なる有樣にして、男子は立派なれども婦人の身に取り不平なくして居らるべきや。西洋諸國にては婦人が内外の事に付き夫の相談に預るのみならず、唯の一度の食事にても夫が謂れもなく約束を違えて同食せざれば大不平なりと云う。今の西洋人が尚おいまだ我國の事情を知らざるこそ幸なれ、若しもこれが公けになりて彼の婦人の眼を以て事の内實を見たらば、日本國は婦人の地獄なりと評する者あるべし。古來日本の婦人はこの地獄に慣れたりと申しながら、等しく天地の間に生れたる者にして人情に東西の別あらざれば、心中の憂愁と不平は外にこそ現れざれども、内に鬱々として日本國中に充滿するや疑あるべからず。古言に王者興らんとする時はその地方の天に紫雲靆くと云う。英雄の徳義内に盛なれば外に發して天文にも現はるゝとの意味ならん。若しもこの王者の徳義が紫雲となりて現わるゝならば、婦人の憂愁不平は黒雲となりて日本全島の天に靆き、然かもその雲色の最も濃き處は中等以上の家の邊に在るべきなり。 男子が獨り横柄にして婦人を苦しむれば、その苦しむ者の不幸のみならず、詰り男子の方に於ても片腕の力を失うものにして、國のためにもならず、家のためにもならず、唯いたずらに國中に憂愁と不平とを多くして自から弱くするまでのことなりとの次第は、前の一編にその大意を陳べたりしが、今また手近き事實の例を示して尚おこの意味を明にすべし。家の主人が威張るときはその押出しは甚だ美なり。主公の威張るを見ざれば何ぞ男子の尊きを知らんとでも云うべき景色にて、その威光の耀くほど尊く見ゆれども、男子の威を以てするも如何ともすべからざる者は壽命にして、殊に夫婦の年は大抵五、六歳乃至十歳ばかりも違う習慣なれば、氣の毒ながら夫は妻子を後にして先きに冥土へ赴かざるを得ず。夫れも極老の上のことなれば先ず思い殘す事もなかるべけれども、不幸にしてこの男が中年に死亡することもあれば、その時こそ平生の罪業應報の日にして因果免かれ難し。跡に遺る者は若き寡婦と幼少の子供ばかりにて、一家は眞の暗に異ならず。家に餘財あるか、借財あるか、身代の帳面さえ不分明にして、貸したるが如く、借りたるが如く、存じも寄らぬ處より掛合に預りて、先方の言を聞けば我が住居の地面家屋は既に抵當になりて、近日明渡しの期限なりと云い、又この方の帳面を見れば誰れへの貸金何ほどゝありて之を催促すれば、其は帳面の間違ならん、この借用證に對しては貸主の存生中に認めたる返り證文ありて件の如しなどゝて、迚も婦人小兒の手に叶うべき事にあらざれば、先ず以て親類縁者か又は先代の朋友に依頼して死後の始末の相談會を開き、寡婦殿は家の内を掻きさらえ、金錢出入の帳面は勿論、貸借の古證文、新證文、地券、公債證書、年賦濟口の通帳より、他人と往復の手紙案文等、凡そ主人の生前に極祕極密として家内の者へも見せざりし書類をば、二重錠の用箪笥より引出して相談の席に披露し、自分には一切分らぬ事に付き何分にも皆樣方御相談の上にてよろしくお頼申すと言うの外なし。不始末至極ならずや。夫の死後を承けたる寡婦は取りも直さず一家の主人にして、子供の世話も一手に引受べき身分なるに、主人にして自分の家の貧富を知らず、貧富を知らざれば苦樂も知るべからず、唯他人の差圖にて豐なり樂なりと云わるれば難有しとて悦び、貧なり苦なりと嚇さるれば恐入りて悲しむのみ。その有樣を喩えて云えば、現に自分の身體を風呂の湯に浸しながら自分に加減を知らず、側より熱しと云えば熱しと覺え、ぬるしと云えばぬるしと思い、他人の差圖次第にて泣きつ笑いつする者に異ならず、死人若し心あらばこの不體裁を見て快きや否や、必ず草葉の蔭にて愉快なりとは思わざることならん。尚不愉快なりと申すは彼の親類朋友等が家政取調の序に入らざる事にまで喙を差入れて家内子供に差圖し、或は生前祕密の書類などなぐさみ半分に披見し、その時の事情をば知らで書面の文字のみ讀み下し、當家の先代も存在中には云々なりしかな、始じめて合點ゆきたりなどゝ、竊に嘲り笑うこともなしとすべからず。死後とは申しながら殘念至極ならずや。凡そ今の人間世界の智慧と徳義との位に居る限りは、人として誰れか祕密なからんや。唯その外に現れずして奇麗なるのみ。而してこの祕密を語るべきは夫婦親子のみにして、羊盜む惡事にあらざるも、子は父のために隱し、父は子のために隱し、唯夫婦の間に語るべく示すべくして他言他見を禁ずる者甚だ少なからず。然るに今家の主人が死すると同時に一切の祕密を人に披露して、然かも生前自分の深意の在る所を誤り解されて、嘲を取るが如きは淺ましき沙汰の限りにして、その生前の無分別と云うより外に言葉もあるべからず。又金錢の損得より云えば、主人の不幸と聞いて昨日までの朋友も今日の敵となり、由緒ある親類はおろか、時としては骨肉の兄弟までも他人となり、家督相續、本家別家の爭論、異腹の弟が分前を取らんと云えば、兼て義絶したる叔父も不理窟を述立るなど、容易ならざる混雜にして、遂に出訴の沙汰に及び、一家の財産煙の如く消え失せて唯世間の笑種とのみなりたるの例は、古來誠に珍らしからず、或は今月今日、混雜最中の家も多からん。その事の因縁は樣々なるべけれども、不幸の後を承けたる後室が、平生夫に輕蔑せられて家の事を知らず、家人にして家事に不案内なるがため、己れの家を他人に任せて斯る不始末に立至るもの少なからず。是亦死者が冥土にて後悔する所ならん。冥土の後悔は無益なり。若しもその人が平生吾々の説に耳を傾け、婦人の貴ぶべきを知りてその妻を重く取扱い、夫婦正しく平等の位に位して、啻に形ある財産等の始末を兩人にて引受るのみならず、形なき心の事に至るまでもその公なると私なるとに論なく、夫婦打明けて懇に語り合うの習慣を成したらば、主人早く死するの不幸に遇うも、家政の光はなお耀きて暗にあらず。夫れ是れする中には幼少の子供も成長して第二世の光明を放つべし。即ち是れ獨立の家の相續法なり。古來世間にこの反對の例多きは、全く男子の不心得として、婦人を一人前の人として取扱かわざる因果應報と申すべし。故に云く、婦人を貴ぶは獨り婦人のためにあらず、亦大に男子を利益するがためなりと。 左れば夫婦家に居る者は一家を二人の力にて支え、その間に聊かも尊卑輕重の別なきは、今更改めて言うにも及ばざることにして、婦人とて家の内にばかり居るべきにあらず、自由自在に外に出でゝ、男女の別なく立派に附合いすべきは勿論、その心をも内外の事に配りて善き事は喜び惡しき事は憂い、身も心も甲斐甲斐しくして、啻に家の荷物を半分持つのみならず、日本國の半分は婦人のものと心得、かりそめにも男子に後れを取らざる樣に心の底より思い直すべきは今日の要用なれども、如何せん數千百年男子の我儘に由りて苦しめに苦しめ、今ははやその身體さえ衰弱して心も亦縮みあがり俄に奮發は甚だ難かるべし。是に於てか吾々が男子に向て大に求る所のものありと申すは、君等の先祖が不文明にして自から罪を知らざりしとは申しながら、幾百年となく無理を働きて終に今日のこの樣に陷いれたることなれば、その子孫たるの本分として先祖の罪業消滅のため、今より大に心して婦人を引上げ、遂に己れと平等の位に上らしむるの工風專一なるべし。或は政府にても民法の編製などあらば、この邊に專ら注意せられて婦人のために利益すること多かるべしと雖ども、政府にて如何なる文明の法を施すも人民が不文明にてはその法も用を爲すべからず。故に苟も日本國の男子にして就中文明の智識あらん者は、この大任を我身に引受けたるものと覺悟を定め、先ず之を自分に行うて人にも亦勸ることを怠るべからず。その箇條を云えば決してむつかしき事にあらず、女子が生れたらば男子と區別せずして之を愛し之を重んじ、幼少の時より女子なるが故にとて少しもその取扱いを粗末にすべからず、次第に成長すれば先ず身體の發生に注意して、學問技藝を教ること是亦男子に異なるべからず。世間の附合も友達の交際も自由自在にして、家事世事ともにその大概を知らしめ、又家に財産あらば男子に分ち與うる通りに女子にも分前を取らせてその始末を任せ、尚その上にも何か一藝を仕込みて、行々はその藝をもって一身の生計も叶うようにあらしむるは、最も大切なる事にして、身に財産を所有して兼てたしなみの藝能あれば、生涯男子に依頼するに及ばず、獨立の精神も自然にこれに由りて生ずべし。即ち女子の教育を學校のみに任せずして、家事世事を以て教るの工風なり。

扨今の世に斯る女子が多ければ之と婚姻して男子も甚だ幸なりと雖ども、娘の婚禮の披露にその兩親が定文言として述る口上に違わず、誠に不調法者、不束者、不行屆者ばかりなれば、夫たる者は常に之を助けてその氣象を導かざるべからず。是れは今日西洋諸國にては先ず無用の事なれども、日本國の妻を取扱うには甚だ大切なる箇條なり。夫婦家に居て尊卑の別あるべからざるは毎度申す通り勿論のことなれども、尚この上婦人をして家の政事に參からしめ、世間一般の事情時勢を知らしむることに怠るべからず。或る學者の説に、子供を育るには常に遊び戲れてかりそめにも苦々しき顏色すべからざるは勿論のことなれども、その子の無智なるを愚弄して法外なることを語るよりも、矢張りこれをひとりの人として戲の中にも道理の筋をば紊るべからず、例えば世俗にある雷の繪を見せても一通り繪ときして、扨て云うよう、この繪は奇麗なれどもその事はうそなり、雷と申すは天の太鼓にもあらず、虎の皮の犢鼻にもあらず、實はエレキトルの所爲にて彼の電信の力と同じものなり、汝等も成長の後には雷さまの學問もせねばならぬなどゝ、一寸したる事にても意味あることを面白く語るは、父母に大切なる心得なりと云えり。子供を扱うにも尚お斯の如し、まして況んや年既に長じたる一家の妻をや、努々之を愚弄すべからず。その萬事に就き謙遜して控目なるは幼少の時より身に染込たる習慣なれば、或はこれに入組たる物事を語りて道理を解すに敏き者なきにあらず。その證據を見んとならば夫婦暮しのときに音も響もなく至極温順内端なりし婦人が、不幸に夫に別れて後、子供を養育し家の事を理め、親類世間の附合は勿論、家業をも一手に支配し、家の繁昌は却て先代に優りて、俗に所謂女大將となる者は世間に甚だ少なからず。是等は元來その婦人に才力ありしなれども、夫の存生中は始終押し込められて天然の働を伸すことを得ず、その死後に至り世事に揉まれて始て發したる者なり。夫の生前に早く之を導かざりしは誰れの罪ぞや。左れば婦人の言語擧動の靜なるを見て一概に之を侮るべからず。假令え鈍く見ゆる者にても、之と語り之に示すは取りも直さず之を教るの方便にして、家の内外何事に限らず眞面目に告げ知らせて利害得失よしあしを判斷せしめ、時としては夫婦互に討議爭論も苦しからず、斯の如く次第次第に慣れば、愚妻變じて賢婦たること甚だ易く、夫のために無二の相談相手たるに至るべし。則ち是れ吾々の申す夫にして妻を敬するの法なり。妻を愛するを知りて之を敬するを知らざるは世上一般の惡風俗にして、良家と稱するものにてもこの風は免かれ難し。或は西洋文明の學者と名乘りながらも、この一義丈けは先ず以て和漢の古風を便利なりとして、男女同權など聞いて立腹する者なきにあらず。是等は沐猴にして冠するにはあらで、儒者の地金の半面に文明の鍍金して、御都合次第に裏を出したり又表を見せたりする者ならん。夫婦家に居り夫の威權固より強し、妻の言語擧動のおとなしきを見て心竊にこれを侮り、之に相談するは無益なり又面倒なりとの底意にて、日々の飮食衣服等の事の外は一切問答することなく、たまたま是れは大事と思うことに就き妻が不審を起しても、婦人の知る所にあらずとて唯一口に叱り付るか、左なければ笑て答えず。妻の身となりては實に取付端もなき有樣にして、夫にさえ聽かれざることなれば他人が深切に之に語るべきにもあらず、詰り夢中にこの世を渡るの外にせんかたもなし。左りとてその夫が邪見薄情なるにあらず、夫婦の間は至極むつましくして、妻を愛すること甚だ深し、衣食とても十分にして安樂に日を送り、主人にさえ上申すれば大抵のことは許可して外へも出し、何一つの不自由なくして、世俗の眼をもて見れば結構なる内君と云わるゝ者なきに非ざれども、そもそも是れは凡俗の鑑定違いにして、吾々に於ては感服するを得ざるなり。本來、衣服飮食は人の肉體に就きたるものにして精神の事にあらず、如何に肉體の保養を丁寧にするも精神の事を輕んずるときは、その保養は犬猫の寵愛に異ならず。飼犬に二汁五菜の料理喰わせ、猫に錦の着もの着するも、唯これを愛するのみ、敬するに非ず。左れば夫が妻に衣食の不自由なからしめて、俗に所謂おかいこぐるみの身となすも、一點の敬意を表して精神の上に之を重んずるに非ざれば、妻を視ること犬猫の如しと云わざるを得ず。即ちその敬意とは何ぞや、妻を一人前の人として夫婦同等の位に位し、毎事に之に語り毎事に之と相談することなり。既に精神の上に敬うの意あれば、家の富も夫婦の富にして、その貧も亦夫婦の貧なり。貧富これを共にして常に互に親愛し、時として内外の事に説の合わざるときは議論するも可なり。夫婦の議論、好ましきことにはあらざれども、相互に重んずるの精神より出るものなれば、之を彼の寵愛一偏に美衣美食を與えて犬猫の如くするものに較れば、遙に相違あるものと云うべし。

話の端は異なれども、近來日本に國會の沙汰あり。そもそも國會とは、日本國中の人民が國の政事に參りて、政府の法律竝に歳出歳入等を相談議決する事にして、その趣意を尋れば日本國は日本國民惣體持の國なれば、政府の役人ばかりにて政事を專にする道理はあるべからず、人民もその中に加わゝりて相當なり、日本の人民は數千百年來の習慣にて政府に押え付けられ、言論擧動さえ自由ならずして無智のように見ゆれども、世の中の先達が之を引立てゝ正當の道に導きさえすれば、立派に一人前の人と爲りて立派に國の政事の相談相手となるべし、仁政を施して國民を愛するとは古風の政事にして、今の文明世界には唯仁政のみを以て事足るべきにあらず、民を愛するに兼て又これを重んじ、國事にも參るべき位を與えて、云わば政府と人民と相共に力を合せ相共に國を支えんとの大意にて、日本の官民ともにこの一義に異論なく、國會開設は數年の内にあるべしと云う。尤も至極の事にして、吾々も感服いたすなれども、凡そ人間世界の事には大抵つりあいのあるものにして、今わが國にて國會を開きて國の政事を公平にすると云いながら、國民の家の政事は既に公平なるや否や、屹と承わり度きことなり。家の男子を政府に喩え女子を人民に喩えてその間柄を見たらば、果して如何なる政府ぞや、壓制とも專制とも實に名の付けようもあるべからず。男子が家の財産を勝手次第にしてその出入さえ婦人に告げざるは、政府が人民に私有の權を奪うたるものなり。婦人の言は聽くべからずとて、家の内外の事に喙を容るゝを許さゞるは、政府が人民の口を封じて議論するを禁ずるものに似たり。尚甚だしきは男子が獨り不品行を犯して快樂を恣にし、婦人をば深く閉籠めて自由ならしめず、鬱々もの思いして終にその身體をも傷るに至らしむるは、暴政府が民を虐げて自から厚うし、以て百姓を塗炭に苦しむるものに異ならず。幸に斯くまでに至らずして婦人を親愛すと稱する者にても、唯これを犬猫同樣に玩弄し寵愛するばかりにて、奸雄が黔首を愚にするものに等しきのみ。扨いよいよ國會を開くに至れば、その會に出席する者は日本の朝野にて最も公平を重んずる人物のみにして、國の事を議するには至極公平なるべしと思わるれども、その人物は如何なる處より現われ來りし者かと尋れば、申すも赤面の仕合なれども、壓制專制の家より出頭したる者にして、一家内の唯我獨尊、暴政の執權職と答えざるを得ず。家に在りては無理無法の政事に慣れ、國に在りて公平の政事を議すと云う。家と國とは成るほど別のものにして、左る不思議も行わるゝ事ならんなれども、何分事の姿だけを見ても幾多の小地獄より現われ出でたる者が、一場の大極樂に集りて衆生濟度の利益を説法するが如く、甚だ不釣合に思わるれば、何卒國會開設の趣意に從うて家會をも開設し、婦人女子に家政參與の權を與え度きものなり。

日本婦人論は前編、後編、既に長々しく論じ盡し、新聞紙讀む人も倦みたらんと恐るゝ程なれども、世上にさまで反對の説なきは、道理上に打て掛る所なきの故ならん。併しながら人の心は道理のみを以て支配すべきにあらず、道理に於ては成るほど然るが如し、一應閉口いたすと雖ども、廣き人間世界は左樣には參り難くして樣々の差支あるものなりとて、或はこの節世間の識者學者達が尤らしき反對説を工風する最中なるやも知るべからず。吾々は斯る説の出るを待てこれに返答するこそ正當なりと思え共、その反對説が吾々の疾く心の中に待ち設けたる趣向の反對説なれば之を承わるも無益なるが故に、試に吾々が自から反對説を記し自問自答して古流學識者の判斷を乞わんとす。吾々の反對説は徒に古めかしき女大學などを後楯には用いずして、別に一説を立ること左の如し。云く、日本婦人論の趣意甚だ感心いたしたり、男女本と平等の者なれば之を同樣に取扱うて、自から婦人の氣を引立てその精神も身體も甲斐甲斐しくして、せめて今の西洋諸國の婦人の如くならしめんとは至極の妙案なれども、この事を世間に勸めて實地に施し行うの端を開きたるときに掛念の筋はなきや、婦人論の記者に於ても今の日本の女子に智慧の乏しくして勘辨少なきは飽くまで承知のことならん、無智無勘辨の輩が新らしき言を聞き奇妙なる物を見るときは、その正味の利益をば噛み分るの遑なくして先ず之を面白く思い、無暗に新奇新奇と浮かれ出して本來の大趣意を誤るのみならず、遂には全くその趣意を逆樣に解して働く者なしとも請合い難し、既に今日に於ても女子が學校などにて少しく讀み書きの道を覺えて訛語まじりに洋語を語り、己れひとり物知り顏してその實は針もつ法さえ知らず、父母年長の人を目の下に見くだして、甚だしきは衆人廣座の中に議論がましき言を吐き、尚お甚だしきは女子の身として演説など實に驚入りたる始末ならずや、今より少しく用心して斯る惡風を矯め直さんとて工風最中なるその折しも、この女子等が古來和漢に珍らしき婦人論を見たらば如何なる心地すべきや、得たり賢し果して然りとて、新奇のなま噛ますます増長して際限もあるべからず、故に日本婦人論の一編その奧意は誠に好しと雖ども、今の時節にこの論の流行は婦人を救うにはあらで却てその徳義を破るものなり、記者はこの邊に見る所あるや否やなどゝ問掛けられても、吾々に於てはこの位の難問は素より覺悟の前なれば之に答ること易し。難問の第一に婦人論の趣意は好けれども之を讀む者が誤り解すことを恐るゝとは、詰りその趣意の書きようが宜しからずと云うに過ぎず。左れば是れは記者の筆の巧ならざる罪なれば、その文法に就ては平に教を乞う所なれども、今の女子が讀書を覺えて洋語を用い云々の譴責は、女子のみに限らず男子にも西洋の訛語をしゃべる者は甚だ多し。女子が針もつ法を知らざるは甚だ恐入るなれども、男子が唯饒舌るばかりにて筆もつ法を知らず、込入りたる論説文は勿論、手紙さえ代筆を頼むが如きも隨分見苦しきなり。又女子が物知り顏にて長者を見下だすとは甚だ受取り難き話にして、この事に就ては格別に男子の方を咎めざるべからず。今の男子は何の因縁あれば年長の婦人を輕蔑するや、一寸親類の寄合または酒宴の席などにても、男子とあれば年齡の長少を問わずして婦人の上座に就き、その飮食の間にも男子が婦人を助け取持たんとはせずして却て婦人に助けられ、男子が婦人の送り迎えに周旋はせずして、婦人の心付きにて男子の袴羽織など始末すれば平氣にて之を任するとは無禮至極ならずや。尚お甚しきは例の道徳の教にも、父母に事えよ、長者を敬えと云いながら、悴は母を踏付けてその上に坐し、姪は叔母を下にし、弟は姉を後にする等、次第不同、亂暴狼藉の樣なれども、之を咎る者とてはなし。この樣子を見れば父母に事えよとの教も、母に對しては唯これを養うのみにて敬い尊ぶには及ばずと云うの趣意なるが如し。吾々の見る所にては大切なる人倫の道に於て如何やと思うほどの事なれども、世上の人のこれを見遁して頓着せざるこそ是非なけれ、左れば今の女子が不遜横柄なりと云うも、男子の振舞に較れば何ばかりの事とするにも足らず、之を見て咎る者は唯古來の習慣に少しく異なりとて仰天するのみ。若しもこれに疑あらば試に男子の中より至極柔和にして至極おとなしき一人物を選び、その姿女形に仕立てゝ婦人の席に押出し、言語擧動をば平生の如くならしめたらば如何なるべきや。この僞女子が同席の婦人達を目の下に見くだして獨り出しゃばるのみならず、男子に逢えばとて憚る色もなく言葉粗く、起居穩かならず、酒は呑み、煙草はふかし、煙管もて唾壺たゝく音さえ劇しくして、一座愉快の興に入れば身なりを崩して客の前に足を出すやも計られず、實に驚入りたる婦人なりとて、滿座の人々は顏見合せ竊に爪はじきして之を厭い惡むことならん。左れば今の世間に稀にある女子を不遜なりと咎め、俗に之をオテンバと稱して惡めども、そのオテンバは男子の中にて柔和至極、所謂グズと評せらるゝ者に較べても尚遙に温順なりと云わざるを得ず。同じ言語擧動して同じ禮儀會釋しても、女子なるが故に咎められ男子なるが故に許さるゝのみ。不公平なる沙汰と申すべきものなり。

右の道理に相違はなけれども、今こゝに一歩を讓りて、日本婦人論の行われたるがために、世間の婦人が之を解し誤り、言語道斷、手に餘るあばれ者を生じたりとせんか、尚この論を止めにすることは出來難し。その次第は、本と我國の婦人の位を引上げて男子と同樣の者にするは、家のためにも國のためにも至極の要用なれば、その事に手を着けたる上にて少しばかりの故障を生ずるとも之を心配するに遑あらず。あばれ者が生ずれば、あばれざる者も亦生じ、年月を過る間には自然に本筋の道理も分りて世の中は穩になるべし。例えば三十年前、日本の國を開て外國の貿易を始めたるが如し。開國の當分は樣々不都合も少なからず、貿易の業に掛る商人さえ良き家に生れたる者にあらず、云わばあばれ者ばかりにて、斯くては國を開かざる方こそ利益なりと思いしほどの仕合なりしかども、年月を過る間には日本人も次第に外國の交際に慣れ次第に交際の道理を知れば、彼のあばれ者は次第に消えて今は次第に本筋の人物が外國人と附合う事と爲りたり。左れば開國の當分に少しの不都合を掛念して鎖國することが不利益ならば、婦人論の新奇もその流行の初めに聊かの不安心あるも、之を恐れてその論の趣意を潰すの理はあるべからざるなり。

日本婦人論 後編終