「日本商工業者の商標」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「日本商工業者の商標」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本商工業者の商標

去月上旬農商務省に於て貨物商標の登録を始めたる以來〓々啓蒙の廣告ありたるもの既に

幾百〓この勢ひにては日本商工業者が登録濟みの上にて商標を使用するもの幾千に及び幾

萬に達し凡百貨物の取引賣捌きに普く商標を用ゆるの時節到來も亦遠からざるべし斯の如

く我國商工業の人々が貨物商賣の信用を重んずるの風盛なるは甚だ嘉すべきなり

貨物の供給者はその貨物に對して充分の名譽を求め信用を買ふの外、他の濫製粗造品に妨

げらるゝを防く爲めに商標の必要を見出し需用者も亦た精良なる貨物を得んがために同じ

くこれを目當てとし賣る者買ふ者の間に在て共に便利を與ふるは唯この商標の力に在るこ

と素より論を俟たずと雖とも然れども商賣取引の繁簡とその區域の廣狭とに因て商標の用

も亦自から大小の差異あり例へは一村一邑内の取引に於てはその貨物の眞贋精否も直接授

受の際に一目之を知ること容易なるが故に別段に商標を用ひずして事濟むべく又その品物

の種類他に類似のものなしとすればこれも其儘にして必ずしも商標の沙汰に及ばざるべし

然れともその商賣の區域一町村内に限らずして一郡一縣に及び夫れより又進て全國内に往

渡り特には文明事物の繁雜に連れて同種類似の品物千萬相混同するに至るときは商標に〓

賣買双方の信用を堅くするの必要を現はし出つべし昨年我政府制定の同條例もその精神は

日本の商工業者にこの便利を與へんが爲めなりとす故に我輩に於ても今後日本の商業社會

には一般にこの商標の流布して購求者も精良品を求むるの目表を得ることを希望する者な

れど冀くは更に商標本來の精神を擴張してこれを海外貿易の市塲にも應用せしめんと欲す

るなり何となれば一町村内若くは一郡縣内の商賣よりも日本全國内の商賣に於て多く商標

の使用を要すと云へば同じ其道理にて日本一國限りの商賣よりも諸外國との取引に於ては

特に大に商標の必要を見るべけれはなり

今我日本の商工業者が其在來の私用商標を改良し若くは新にこれを作るに當りその規模体

裁を西洋風に取るも又日本舊來の符牒類を用ゆるも當人の隨意にて如何樣ともなるべけれ

ど同じく商標を使用せんと云ふからにはその撰擇を慎み人の目に附き易きものを取て附き

易からざるものを捨て成る丈面白き趣向を設け成る丈衆人に分り易き工夫を運らし又内國

限り通用するものよりも成るならば内外併せ用ひて行はるゝことを專一と爲さゞる可らず

抑も日本國内限りの商賣に於ては從來唯劍菱の酒とか龜甲萬の醤油とか甚た粗末なる符號

即ち商標の一種を用ひたる例しありたるのみにて他に其先例も少なく昨年該條例の制定發

布ありたるものゝ日本人が一般此商標を認視して普くこれを取引に利用すまでには尚ほ多

少の年月を要すべく日本國内には商標の働き尚ほ甚た充分ならずと云ふべしこれに反し西

洋諸國に於ては多年來の實踐にて最も商標を重んするの氣風一般に往渡り居るが故に日本

より諸外國に輸出する物品には商標の功用實に洪大無邊なりと云はざるを得ず試みに登録

商品の種類第一種より第六十五種に至る貨物を通覧するに一物として外國に賣捌け得ざる

品は無く〓てこれ等の商標はみな西洋風を參酌して外國人の記臆に存し又その目表に爲る

べきやう工夫することの大切なる論を俟たず然る處我輩その既に登録濟みとなりたる商標

の模樣形状等を一見するに圓圖の中にその屋號の一二字を附するとか山形の上、又は下に

一寸したる紋を加ふるとか或は龜甲形、富士形、曲尺形、菱型、分銅形、巴形或は鶴龜松

竹梅或は字性の分かり兼る古代の文字など甚た多く中にはこれに羅馬字の一二個を附加へ

たるもあれど夫れ迚も百中の二三に止まりて要する所は通常、店先き暖簾の符牒若くは土

藏の壁にある記號類をその儘に持出したるか但しはこれに僅少の修飾を加へたるまでに止

まりこれを海外の市塲に出して日本品の商標は乃ち是なりとを示すさへ尚ほ氣の毒なるも

のあるが如し我々日本人がこれを見てさへ何々の商標なりと分明に記臆することの六け敷

程なれば况て西洋人のこれを見るに於ては〓と感じて起さずして記臆にも存すること能は

ざるならん斯くては折角の商標も其功能甚た少なしと云ふべし是れ我輩の遺憾とする所な

附て我輩が追々商標の登録を出願せんとする日本の商工業者に勸告致し度きは日本にて商

標の制定は纔か一周年前のことにしてその使用もまだ着手に至らざる次第ゆえ必ずしもそ

の家傳來の屋號符牒に類する者のみを採用するに及ばざるのみならず自今以後大に其商標

を利せんと欲すれば西洋人の目に視ても都合よきものを撰み以て海外の市塲に日本品の信

用を博する方便に充つべし夫等の事に關しては自身にも様々の工夫を運らし西洋の文字を

挟入し西洋の書圖を採取し成る丈西洋流の商標を手本と爲すべき中にも外國の事情に通じ

たる人々に問尋ね又其鑒定考案をも煩らはして專ら世界に持出し耻つる無きの良商標を作

るの工風なかる可らず既に政府に於ては紙幣を發行し郵便切手電信切手等を作るにも日本

文字と西洋文字と交へ記して内外人の同樣に通用せしむるの工風を爲せり其見る所廣くし

て今日の事情を解し得たるものと評せざるを得ず世間の商工輩も其私の商標を案するには

政府の此精神に做はんこと希望に堪へざるなり適々我政府商標登録の廣告ありたる今日そ

の商標の模樣等を見て一言商工業者の注意を促かすこと此の如し