「或人の直話」
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本文
或人の直話
多年歐米諸國を巡歴して頃日歸朝したる或人に面會して様々有益なることを聞得たる中に
も最も我輩の所見に適中したる二三の要件あれば之を左に記して本日の社説に代ふ
一日本の外國交際に於て聯盟各國何れを厚くし何れを薄くす可きの理は萬々ある可らずと
雖とも我開國以來〓〓の最も〓きものは米英の二國にして米國は初めて日本と交を結びた
るの因縁もありて其國民全体に何となく日本人に對しては情の厚きものあるが如し且今後
太平洋の渡航次第に便利を増して隨て人民の往來物品の貿易も次第に繁くなる可ければ商
賣上の關係に於ては最も米國を重んじ正に昇を接するの隣國と心得て交際す可し不學無〓
の甚しきに至ては米國の政治が共和政と聞き日本の政体に異なりなどゝ疑念を抱きて我國
人の彼の國に往來するを悦はざる者もありと云ふ笑止千萬なりと〓するの外なし又英國が
東洋に勢力を專にするは一朝一夕の事に非ず近來に至ては佛蘭西なり日耳曼なり〓〓其政
略の鉾を東洋に向るが如き有樣あると同時に近年英の外交政略の存外に〓なるを見て大早
計〓〓英國を評するに老犬の名を以てして心竊に之を憚からず却て日耳曼等の歡心を得ん
として細工風を運らす者なきに非ずと云ふ是亦笑ふ可きの極にして小人の〓〓たるに〓き
ず英の政略の〓なるは唯一時内政の都合に從て外に事を好まざるが爲のみ其國力に變動を
生したるに非ず今日唯今にても其政機を轉するときは東洋に向て何事か成らざるものあら
んや海王の名は今尚依然として舊時に異ならず左れば日本の爲に謀りて商賣の交通は米國
を重んずると同時に政治上に於ても亦通商上に於ても苟も英國を容易に看過す可らず自國
の榮辱に影響せざる限りは外交の政略都て英國と方向を共にすること緊要なる可し
一近年は日本人も外國に出る者次第に多く歐洲に在る者は政府の筋の官吏、官私の留學生
又稀に商人の類にて此種の人は外國に錢を求るに非ずして自國の錢を外國に費す者なれば
彼の國人との交際も自然に穩なれとも太平洋を渡て米國に行く者は官吏留學生等の外に生
計を求めんとするものも甚た少なからず殊に桑港の地方は是等の爲に樣々の便利多くして
寄留者も次第に増加し方今既に幾百名の數に達したり其人の種類は少壯の書生又は尋常一
樣の役丁にして目的は單に錢を求る者あり又先つ錢を得て後に學はんとする者あり何れと
も惡しきことに非ず萬里の波濤を渡て立身の道を外國に求る其志は甚た嘉す可しと雖とも
渡航の人員次第に増加するときは其中に人物宜しからざる者の割合も次第に増加し往々不
品行を犯して恰も日本國の醜を海外に披露する者なきに非ず或は不品行ならざるも生來の
身体微弱にして就役の勞に堪へず衣食得るに路なくして外國の路頭に迷ふ者もあり甚た氣
の毒に堪へず抑も人生の不品行又身体の微弱は何れの社會に於ても免れ難く此輩が桑港に
於て斯の如くなれば日本に於ても亦斯の如くなる可く畢竟之を憂て如何ともす可らざる所
の事柄なれとも外國人に對しては成る可き丈け自國の美を示して醜を蔽はんと欲するも亦
人情に於て免かれ難し即ち此人情の中に居て考れば今後桑港に行く者は何とかして其人物
を撰ぶの工風あらんことを願はざるを得ず固より形もなき人の精神を検査する譯けにも參
るまじたなれともせめて身体の強弱にても能く鑒定し是れは迚も彼の氣候、衣食住、勞動
に堪え難しと見たらば先達の人が丁寧に忠告して之を止むるの趣向はある可し唯日本國の
外聞外見のみに非ず實に其當人の身の爲なればなり是れは桑港の一處に限らず近く支那の
上海香港等にも日本人にして如何しき男女の寄留する者多しと云ふ人事の大勢に於て防き
止め難きこととは申しながら局部より考れば愚痴論をも吐かざるを得ざるなり(我輩此事
に付ては聊か説あり他日論述すべし時事新報記者)
一人民の漫然として海外に出る爲に就ては其人物を擇ぶは至難のことなれとも政府の筋よ
り公用を以て派遣する官員の如きは其擇擇の權柄直接に政府に屬して意の如くなる可き筈
なれば今一入注意あらんことを願はざるを得ず諸官省よりの派出員は固より其當局の事務
に長して才徳共に申分なき人を撰任したるに相違なきことならんと雖とも外國に行からに
は何は扨置き其外國の語に通し文を能する者に非ざれば用便に甚た差支多きものなり内國
の官途に在ては人を用るに必ずしも正味の才徳のみに限らず其人の履歴門地又其出身の地
方舊縁故等に由りて自から重きを爲すの意味もある可きなれとも一旦外國に出てたる上は
是等の意味を譯する者と〓は一人もある可らず其人が文を能くせざれば無學にして文明の
事情に迂濶なれば無智なり日本にては剛毅朴訥百折不撓の精神家と稱せられ世事流暢誰れ
に接しても程よき交際家と譽めらるゝ者にても其人の正味が西洋流の聞學問にして彼の國
人と談話の既に顛末不揃なる應答するときは一言の下に滿身貯蓄の智能を見透されて一座
の興を醒まし永久の輕侮を來たして所謂精神家も純然たる愚者にして交際家も一個の輕薄
兒たるに過きず之を要するに西洋諸國は文明國なるが故に文明國に涙する人物は博識多能
にして眞に文明の義を解する者を擇ばざる可らず尚此上にも其人の体格風采をも鑒定する
こと緊要なり風俗を殊する外國に行き先つ人の目に觸るゝものは外説にして其外貌が奇異
なれば之が爲に交際の感觸を動かすは止むを得ざる次第なり自國の交際なれば人の容貌を
見て其人物を輕重することはなけれとも外交は一種のものにして俗に所謂男振なるものも
甚た大切なるが故に人撰に當り才徳正に同一樣と認めたる人物二名を得たらば骨格強大に
して顔色の秀でたる方を取る可し外國に居て自分の容貌に心付くは勿論又同國人の男振の
ためにも竊に榮辱を感したるは毎度の事なり云々
右は或人の直話の一段にして其外國寄留中に最も心に感したる所を寫したるものなり我輩
固より異議なし依て記して以て江湖の高評を乞ふ