「慶應義塾暑中休業に付き演説」

last updated: 2021-12-25

このページについて

時事新報に掲載された「慶應義塾暑中休業に付き演説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

福澤諭吉

當年も早や炎暑の時節と相成り、學生諸君の中、月餘休業の暇を便りに歸省する者も多からん。歸省中は父母

兄弟に對面して互に無事を歡び、故舊朋友に相會して互に都鄙の情況を語る、人間の一大樂事なり。其これを語

る中にも、諸君は先づ自分の身に親しくせし本塾の有樣を陳るは必然の順序にして、聽く者も亦大切にして之に

耳を傾ることならん。就ては塾の事情と申すも別に奇なるものなし。朝夕諸君の見らるゝ通りにて、何に一つ隱

すことなく、目に見るまゝの塾が卽ち慶應義塾なれども、其學問の方向に付き始終敎員の輩にて注意し又實施し

居る所の要點あるが故に、一通り之を説明して以て歸省の土産に供せんとす。抑も本塾は日本國官私の學校中、

最も年久しき率先の學塾なれども、純然たる私立にして、創業の時より資本を得ず、之が爲に學問敎授の法も只

管節儉を主として、其方向は費用の鋒先きを避るを以て針路と定め、其針路中に在て最も有益にして最も美なる

ものを得るの工風專一としたることなり。蓋し本塾に理學の專門科を設けずして文學を專にするも、唯費用を恐

るゝが故にして他に趣意あるに非ず。今理學を講じて物理の奥義に達せんとするには、化學、器械學等の試驗の

爲に消費す可き財物は決して容易ならず。學問に信者少なき日本國の私立塾には、迚も叶はざる所の冀望なれば、

之を避けて文學の一方に入り、理學は唯その普通門に止まるのみ。

扨爰に理學と文學と孰れか要用なりとの問題に付ては、固より其優劣ある可きに非ず。例へば醫師なり、化學

士なり、器械學士なり、鑛學士なり、土木學士なり、都て有形の物に就て其理を究め其物を取扱ひ、人間の殖産

上に其成跡を得るものなれば、固より貴重なりと雖ども、文學も亦決して輕々視す可きものに非ず。其科目夥多 3

ある中にも、今の日常に切要なるものを擧れば、言語文章の稽古は勿論、歷史、經濟、法律、又商賣に關する諸

藝術より、尚上りては人心學、社會學、哲學等に至るまで、低きに限なく高きに極なし。之を要するに人間社會

雅俗の庶務を包羅するものなれば、苟も一家の政を修め又は公共の事を執るに、須臾も離る可らざるものは文學

の心得たりと云て可なり。然り而して其これを學ぶには、特に試験のために器械等を要するに非ず。物理の課は

本塾普通の敎育中に其大槪を得ることなれば、文學に於ては唯書籍の入用あるのみ。學費は少なくして學び得た

る智見の用は極めて廣し。是卽ち慶應義塾が學問の方向を文學に定めたる由緣なり。

學問の所得を以て自利々他の實用を爲すと爲さゞるとは其人に存するものなれば、瑕令へ文學を得たりとて其

人物が愚なれば何の用も爲すに足らず。或は其科目繁多なるに過ぎて何の科も唯表面の一通りに終りて漠然たる

が如きは、動もすれば文學に起る弊害にして、斯の如きは則ち文を學て總て學ばざるに等しき者と云はざるを得

ず。故に文學の士にして其所得を實用に施さんと欲する者は、一藝一能をも等閑に附せずして眞面目に之を學び、

又其學問の傍には常に人事を忘るゝことなく、一身をば學塾に寄せながらも心の働は社會の全般に及ぼし、事の

雅俗大小を問はず、高尚の極度より卑近の末秒に至るまで常に之に注意し、恰も學塾の外に社會なる大學校ある

ものなりと心得て、瞬間も此大學校の熟練を怠る可らず。是卽ち西洋の文明學が和漢の古學に區別する所にして、

文明學の貴きは唯この一點に在るのみ。斯る心得を以て業成るの日あらん歟、卽日より公私有用の人物にして、

支配するに足る可し。學問にして人事に遠ざかるときは一種の遊藝にして、其人は天下の遊民たるに過ぎず。無

識儒者の如き、是れなり。或は尚上て近時文明學の專門學士と稱する人物にても、己が専門内の小乾坤に蟄居し

て門外の世事に迂闊なるときは、遂に自から其所得の藝能を利するを得ず。幸にして文學世事に活動を得たる士

人のために使用せらるゝ歟、然らざれば終身空しく一藝に固着するのみにして、其人の效用は圍碁將棋の先生と

伯仲たるに過ぎず。學問は一身一家を利し又人間社會を利するの方便にこそあれ、學問さへすれば以て人間の目

的を達したるに非ず、自利々他の功德なき學問ならば初めより學ばざるに若かざるなり。

老生の見る所にて本塾生徒の身分を區別すれば正しく二種に分れ、一は諸舊藩士族の餘流、素より家産に豐な

らず、行末は學藝を以て身を起さんとする者にして、又一種は各地方富家の子弟なり。藝を以て出身を謀る者は、

本來の所有品は唯身に附したる知見のみにして、他に失ふ可きものあらざれば、凡そ公私の事業にて身の適す可

きものあらば、如何なる艱難危險をも恐れずして、唯勇進して後を顧みず、百折不撓、死して止む可きのみ。此

流の人のために謀れば、善惡吉凶を論ぜず、唯社會の多事を祈ることならん。老生能く其内情を知れり。決して

之を止めざるのみか、勇進敢爲に付て御相談とあれば御勸め申す方なり。然りと雖ども富豪良家の子弟が東京の

慶應義塾に學を學ぶの序に、漸く都下無數の書生風を學て漸く磊落なる交際法に慣れ、目下に東京の活潑なるを

見て遙に故郷の無聊なるを厭ひ、三年以前家を出るときには涙を揮て訣別したる者が、今日は復た夢に故山を見

ず、甚しきは家に巨萬の資産を所有しながら、官途に立身の路を求めて小吏たらんことを願ふが如きありては、

老生の失望これより大なるはなし。前に申す通り文學を勤るは居家處世の要用なり。彼の士族の餘流が勇進して

危險をも憚らざるは、居る可きの家を作らんが爲ならずや。其八方に周旋奔走するも無理ならぬ譯けなれども、

今既に家あり又産ある身分の人が、之と共に奔走するが如きは、身を忘れたるものにして、戲に之を評すれば金

持にして貧乏人を學ぶ者と云はざるを得ず。或は田舎に歸れば知見を廣くするに方便を訣くとの口實もあらんな

れども、方今の交通既に便利にして尚進歩の勢あり。故に今の百里外に在るものは三十年前の十里外よりも近し。

唯心身を活潑にして此交通を利用すれば、住居の都鄙に別なしと云ふも可なり。又或は學問に際限なし、永く之

を勉強するには東京に限るとの説もあらんなれども、東京に居て際限なく學問すると、地方に歸りて大に家業を

經營すると、孰れか人生の榮譽なる可きや。毎度老生が申す通り、今の日本を西洋諸國に比較して學者と富人と

其割合如何と尋れば、固より日本に大學者の多きには非ざれども全く無學國には非ず、時としては西洋の學者に

對して左まで傀ぢざる人物もありと雖ども、富人の一段に至ては之を言ふに忍びず、全國に百萬圓以上の者は幾

名あるや、十萬以上五萬以上は如何、これを歐米の黄金世界に比すれば残念ながら大日本は無金國と云はざるを

得ず。左れば方今我邦に乏しきものは學問に非ずして寧ろ黄金にこそあれ。國に乏しきものを足すは卽ち報國の

大なるものにして榮譽の存する所なり。然るに今本塾にて學成り故郷に歸りて家業を経營するは、祖先傳來の富

を增し又新に富を作るの目的なれば、假令へ無學にても其榮譽は純粋の貧乏學者に比して遙に右に出る者なりと

雖ども、唯其營業に當り學識なくしては今の時勢に望なきが故に之を奨勵するのみ。此點より硯れば學問は富を

作るの補助と云ふも可なり。是亦本塾學問の方向にして、塾中二樣の身分の生徒に勸告するの趣意なり。創立以

來二十餘年、學生の數四千何百名、末路の不分明なる者甚だ多しと雖ども、其中には在塾のときに呼吸したる氣

風に從ひ、艱難危險を冒して家を起したる者もあらん、或は父祖の餘業を繼て大に富を增加したる者もあらん、

文學の科目多き中にも、近來公私外交の次第に繁多なるに從ては、外國の言語文書に達するは焦眉の急にして、

本塾にも既に英國敎師を聘しあれども、四百名の生徒に一、二名の敎師にては、迚も敎授の行屆く可きに非ず。依

て近日樣々に相談して外國敎師を入るゝの計畫を爲せり。諸君も秋涼再遊のときは英語學に就き一層の便利を得

ることならん。是亦序ながら一言致し置くなり。                     〔七月三十一日〕