「利の付く金は遊ばせ置くべからず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「利の付く金は遊ばせ置くべからず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

利の付く金は遊ばせ置くべからず

日本近年の不景氣は實に意想の外の極度に達せりまだ其上に本年は春より夏に掛けて季候順當ならず爲めに日本第一の産物生糸の如きも各所養蠶の不作なるによりて出來高を減したりと云ふの折柄又々梅雨時節全國の洪水にて東京近傍も利根川の堤を破り水被りの田畑數知れざるに隅田川も水溢れて千住の大橋は押流され吾妻橋は落ち其損害云ふべからず併し此等は未た損害の甚た輕きものにて大坂地方の如きは淀川の水溢れて處々の堤を破り河内摂津の郡村は大抵水浸りと爲り大坂市中も天満天神難波三大橋を始め本川筋のは橋々は大小數を盡して押流され市中の人家は過半水の下になりたるなど其損害は何程の高に上りたるか未た聞込む所なしと雖ども兎に角に非常なるものに相違なからん現に大坂市中橋々の落ちたるを架け直さんとするに差當り百萬圓を要すと云ふにても大体は推察し得らるべし今若し本年全國の水害に田畑を害し家藏財産を流したる損害と是れより更に又川々の堤を修覆し田畑を切直し家藏を建て竈を築く等の費用と又洪水の爲めに田畑を流し隨て政府に納むべき租税の納まらざる金額等を合計したらんには今年の梅雨は日本全國に數千萬圓の損害を與へたることを見出すならん梅雨洪水の損害なき時節ですら全國の金融は塞がり農工商業は廢たれ都鄙上下擧りて不景氣の苦界に沈み居たるものを更に又數千萬圓の損害を添へて此不景氣を助勢せんには金融は塞がりたる上にも尚ほ塞がり農工商人の仕事は無き上にも尚ほ又無くなることなるべし

全國金融の塞がり居る次第は今度七分利付中仙道鉄道公債の残高五百萬圓の募集の結果を見ても其大概を窺ひ知ることを得べし此五百萬圓の公債を募集する公告は本年六月十三日に發し一箇月の猶豫をも與へずして其翌七月の十日までに申込むべしとのことなり夫れのみならず賣出し直段は額面百圓に付九十五圓以上とし高札の人より順次に賣渡すべしとありしが扨七月十日に至て申込みの結果を見るに賣るべき公債は五百萬圓なるに九十五圓以上にて買はんと云ふ申込みは千四百七十六〓〓〓〓〓〓賣ひ値の最も高きは九十七圓五十錢と云ふさへありをり年七分利付の公債を九十七圓にて買へば僅かに七分二厘の金利に廻はるものにして日本の〓の相塲にては決して羨むべき程の利足にあらず然るに全國中〓にも金のある人は皆公債證書の買入れを競ひ遂に斯く公債の流行を成したる其理由は農工商人の仕事廢れて金の廻はし處なく偶ま資本を下して何事をか企れば必ず損毛を招くものと定まり居るが如き有樣なるが故に安利ながらも尋常の株劵よりは先つ信用の厚き政府の公債を買入れ置きて復た來る時節を待つに如かずと人々覺悟を定めたるが故なり故に公債の流行を見て日本政府の信用が民間に増したる徴候なりなどゝて喜ぶ者は全く世の中の情態を知らざる者にして言語道斷なる了見違ひなり公債の流行は天下不景氣の惡兆にして公債に口はなけれども世人を促して早く此不景氣を救ふの工風を爲せと忠告し呉るゝものと知らざるべからず

世の中の金融塞がり金持は唯其金を握り詰めて農工商の資本を融通せざる時は世の中は唯益不景氣に陥るより外に工風なかるべきに幸にして此際日本政府が中仙道鉄道公債を募り金持が握り詰めた金を鉄道布設の資本に廻はし隨て大に世の中の金融を滑かにし不景氣退治の糸口を開かんとするは誠に目出度事なりと我輩の兼て喜び居たる甲斐もなく爰に一難題の降り來りたりと云ふは此中仙道鉄道の工事甚た手間取りて折角募りし金も使ひ道に苦しみ矢張これを大藏省の庫中に貯へ置きて更に人間世界の用を爲さしめざること是なり中仙道鉄道は上野高崎より美濃大垣に達するものと大垣より伊勢四日市港に出る支線と其長さ合して大概百里内外のものにして此費用を償ふ爲めに二千萬圓の公債を發行し最初より未た二箇年を出てざるに既に其金額を募集し了りたるなり然るに鉄道工事の捗取り方は如何と云ふに高崎以西碓氷峠の下まで大垣以東岐阜邊までは既に工事に着手し近日開道の運びに至るべき塲所もありとか聞けど近々の里數固より其工事に大金を要すべき筈なし或る人の説に一昨年の十二月中仙道鉄道布設の布告ありし以來今日まで此工事に費したる金高は英國に注文しある橋桁などの代價をも合して百五十萬圓内外のものならんと我輩固より實際の勘定を知らずと雖ども此言恐くは中らずと雖ども遠からざる説ならん公債は既に二千萬圓の金額を盡して募集し了りたるに之金を使用したるは今僅かに百五十萬圓内外なりと云ふ樣なることにては此鐡道公債は唯民間の金を政府の庫中に封し籠めたる丈けの仕事をこそ爲したれ金融を助け不景氣退治を手傳はんなどゝは思ひも寄らざる次第なるべし斯くてはならぬとて今より大に工事を急ぎ忽ちにして二千萬圓の金を使ひ果たすの工風は如何と云ふに是亦實際に行はるべからずと云へり其次第は嘗て我時事新報に詳記したる如く高崎より西に進むものは碓氷峠に支えられ大垣より東に進むものは楫斐川、長良川、木曽川の諸流に遮られて工事を急ぐこと能はず左ればとて山又山を踏み分けて信濃の眞中に鐡道の材料を送り込み各處一斉に工事を起すの工風もなきゆえ止むを得ず唯東西両〓の工事を急くのみに力を盡し居たるものなるが斯くて果つべきにあらざるを以て近日は更に其規模計畫を大にし越後直江津より起りて信濃に入り木曽路を西に進むものと尾張半田より起りて美濃に入り木曽路を東に進むものと斯く新に二箇處に〓を開き高崎大垣と力を併せ四箇處より一時に押し上りて木曽路の〓所を通り抜けんとの工風を定め既にこれに着手したりとなり然れとも四箇處の力尚ほ未た木曽路の險岨に敵するに足らざるが故に中仙道鉄道の全通するは今後尚ほ三四年の月日を要することならんと云へり然らば則ち大藏省の庫中に在る鐡道資金は迚も急に人間の用を爲すの見込みなきものと覺悟せざるを得ざるなり(以下次號)