「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」
last updated:
2019-09-08
このページについて
時事新報に掲載された「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」を文字に起こしたものです。
- 18850813 に掲載された論説「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」(注1)
- 本来は一段落のみですが、適宜改行しました。
- テキストのウェブページでの表記方法は諸論説についてにまとめています
- 参考リンクについては、このページ下にある註をご覧下さい。
- この社説掲載により、時事新報は、「1885-08-15」から 1 週間の発行停止処分となりました。
このテキストについて、平山氏は福澤諭吉「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」と文明政治の 6 条件という論文を書いています。
本文
英人は既に巨文島を占領して海軍の根拠を作り(註 1)、
露人は穆仁徳(註 2)と謀し合せて陸地より侵入するの用意を為し、
朝鮮国独立の運命も旦夕に迫りたるものと云うべし。
扨この国がいよいよ滅亡するものとして考れば、
国の王家たる李氏のためには誠に気の毒にして、
又其直接の臣下たる貴族、
士族のためにも甚だ不利なりと雖ども、
人民一般の利害如何を論ずるときは、
滅亡こそ寧ろ其幸福を大にするの方便なりと云わざるを得ず。
抑も天地間に生々する人間の身に最も大切なるものは栄誉と生命と私有と此 3 つのものにして、
爰に一国を立てて政府を設るは此三者を保護するが為なり。
人の物を盗む者あれば国法を以て之を罰し、
借りて返さず欺て取らんとする者あれば法に拠て裁判す、
私有の保護なり。
人を殺し又傷る者あれば之を刑に処す、
生命の保護なり。
又栄誉には内外二様の別ありて、
内国の人民相互に貴賎貧富の別はあれども、
其国民たるの権利は同等なるが故に、
人為の爵位身分など云う虚名を張て漫に人を軽侮するを許さず、
若しも犯す者あれば法に由て罰せらるるか、
又は社会に対して笑を取る、
内の栄誉を保護するものなり。
又外の栄誉とは独立の外交交際を政府に任し、
政府の当局者が諸外国に対して我国権を拡張し、
毛頭の事にも栄辱を争うて、
以て自国の人民をして独立国民たるの体面を全うせしめ、
以て政府が人民に対するの義務を尽す、
即ち外の栄誉を保護するものなり。
斯くありてこそ国民も一政府の下に立て之に奉ずるの甲斐あることなれども、
今朝鮮の有様を見るに、
王室無法、
貴族跋扈、
税法さえ紊乱の極に陥りて民に私有の権なく、
啻に政府の法律不完全にして無辜を殺すのみならず、
貴族士族の輩が私慾私怨を以て私に人を勾留し又は傷け又は殺すも、
人民は之を訴るに由なし。
又その栄誉の一点に至ては上下の間、
殆ど人種を殊にするが如くにして、
苟も士族以上、
直接に政府に縁ある者は無限の権威を恣にして、
下民は上流の奴隷たるに過ぎず。
人民は既に斯くまでに内に軽蔑せられて、
尚其外に対して独立国民たるの栄誉如何を尋れば、
復た言うに忍びざるものあり。
政府は王室のため又人民のために外国の交際を司どりながら、
世界の事情を解せず、
文明の風潮を知らず、
如何なる外患に当り如何なる国辱を被るも、
恬として感覚なきものの如くして曾て憂苦の色なく、
唯其忙わしくする所は朝臣等が権力栄華を政府に争うに在るのみ。
朋党相分れて甲是乙非、
その議論様々なれども、
帰する所の目的は唯一身の為にするものにして、
此輩の内実を評すれば身を以て国事に役するに非ずして、
国事を弄して私の名利の媒介に用るものと云わざるを得ず。
支那に属邦視せらるるも汚辱を感ぜず、
英人に土地を奪わるるも憂患を知らず、
啻に此辺に無感覚なるのみならず、
或は国を売りても身に利する所あれば憚らざるものの如し。
即ち彼の事大党の輩が只管支那に事えんとし、
又韓圭穆、
李祖淵、
閔泳穆の流(註 3)が、
私に露政府に通じて為すことあらんと企てたるが如き、
身あるを知て国あるを知らざるものなり。
故に朝鮮人が独立の一国民として外国に対するの栄誉は、
既に地を払うて無に帰したるものなり。
人民夢中の際に国は既に売られたるものなり。
而して其売国者は何処に在ると尋れば、
政府自から此事を為せり。
左れば朝鮮の人民は内に居て私有を護るを得ず、
生命を安くするを得ず、
又栄誉を全うするを得ず、
即ち国民に対する政府の功徳は一も被らずして、
却て政府に害せられ、
尚その上にも外国に向て独立の一国民たる栄誉をも政府に於て保護するを得ず。
実に以て朝鮮国民として生々する甲斐もなきことなれば、
露なり英なり、
其来て国土を押領するがままに任せて、
露英の人民たるこそ其幸福は大なるべし。
他国政府に亡ぼさるるときは亡国の民にして甚だ楽まずと雖ども、
前途に望なき苦界に沈没して終身内外の恥辱中に死せんよりも、
寧ろ強大文明国の保護を被り、
せめて生命と私有とのみにても安全にするは不幸中の幸ならん。
手近く其一証を示さんに、
過般来英人が巨文島を占領して其全島を支配し、
工事あれば島民を使役し、
犯罪人あれば之を罰する等、
全く英国の法を施行する其有様を見れば、
巨文島は一区の小亡国にして、
島民が独立国民たるの栄誉は既に尽き果てたれども(是れまでとても独立の実なければ其栄誉もなし)、
唯この一事のみを度外に置て他の百般の利害如何を察すれば、
英人が工事に役すれば必ず賃銭を払い、
其賃銭を貯蓄すれば更に掠奪せらるるの心配もなし、
人を殺し人に傷るに非ざれば死刑に行われ又幽囚せらるることもなし、
先ず以て安心なりと云うべし。
固より英人とても温良の君子のみに非ず、
時としては残刻なる処罰もあるべし。
或は疳癪に乗じて人を笞つ等の事もあるべしと雖ども、
之を朝鮮の官吏、
貴族等が下民を犬羊視して、
其肉体精神を窘めて又随て其膏血を絞る者に比すれば、
同日の論に非ず。
既に今日に於て青陽県の管内巨文島の人民 700 名は仕合せものなりとて、
他に羨まるる程の次第なりと云う。
悪政の余弊、
民心の解体したるものにして、
是非もなきことなり。
故に我が輩は朝鮮の滅亡、
其期遠からざるを察して、
一応は政府のために之を弔し、
顧みて其国民の為には之を賀せんと欲する者なり。
註
- ♬巨文島事件を参照。
- ♬Paul George von Möllendorf (1848 - 1901)。
- ♬『福澤諭吉著作集 第 8 巻』によると、いずれも事大党の閣僚で、甲申事変の際に殺害された人物。
- (1)
- 『福澤諭吉全集 第 10 巻』(岩波書店、1960 年)pp. 379--382.