「日本國の工藝」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「日本國の工藝」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本國の工藝

西洋の諸國を評して一概に文明富強の國と云へば何れも皆文明富強なれ共其中にも各國相互に長し相互に及はざる所のものありて自然に釣合の宜しきを成し相互に尊敬して相互に侮らざることなり例へば英國の航海と其商賣の廣きは迚も他國の企て及はざる所なれども佛蘭西人の頴敏にして文なるは英人の右に出で、米國に殖産の盛にして國民の富貴なるは欧羅巴諸國の恐るゝ所なれども學問推理の緻密なるは日耳曼に及はず、日耳曼の兵と其學問は世界無双と稱するも商賣工業の一段に至りては今日尚未た英佛に及はざること遠し、露國は不文にして且商賣の道にも不慣れなりと云ふと雖も國土廣大にして天然の富源に乏しからず加ふるに其兵力の強きは毫も他の諸大國に譲らずして國の地位は北に〓し守るに便にして攻むるに利あり、此他の小國何聞にても白耳義にても又瑞西にても小國は小國相應に各々其國固有の長所ありて他の侮を禦き以て獨立の面目を維持するは文明政界の今日の釣合ひなりされど我日本國も國の地位こそ東洋に在れども既に國を開て西洋文明の仲間に入りたる限りは何か國民の長所を以て國の面目を維持するに工風なかる可らず固より開國の日も尚淺くして文明の方角も近來こそ漸く合點するなど云ふ位ひの有樣なれば俄に之を促がして事の完全を求るは無理なる注文なれ共不完全は不完全ながら自から一機軸を擢て世界中の注意を引き日本國民は大凡そ文明の何れの邊に位する者なりとの實證を示すことは甚た緊要なる可し之を喩へば力士の如し仮令へ如何なる力量あるも田舎に居ては人に知らるゝの道なし、人に知られざれば一個の田舎漠たるに過きされども此者が東京に出で回向院の角力の番附に登る時は其伎倆は上段に非ずして二段目なるも兎に角に日本の力士の名を取りて自ら贔負の付くことなり力士に贔負あれば國にも贔負なかる可らず即ち國の贔負とは世界文明の人が其国の長所に對して尊敬の意を表することにして英國が航海商賣を以て尊敬せられ日耳曼が學問と兵力に由て敬長せらるゝも世界の贔負を得て有名なる者と知る可し

扨今日我日本國が世界文明國の仲間に入りて外國の交際を開きたるは力士が角力の番附に登りたるが如きものにしく世界中に贔負を得て有名ならんとするには何等の方便ある可きやと尋るに航海商賣は最も幼〓にして人の耳目に觸るゝに足らず、我國人は學問に頴敏にして人物に乏しからずと雖ども日本人の論説又發明を以て文明の學理を左右したるの沙汰は未だ之を聞かず、或は日本は尚武の國にして國民都て武勇なりとの説はあれども中世數百年來外國と兵を交へたることさへなくして恰も未た試驗を經ざるものなれば仮令へ眞實武勇なるも之に由て以て武名を外に耀かすに由なし左れど是等の諸件は先つ以て目下外國人の注意を引くの方便に非ずとして我輩の見る所を以てするに今日我國人の伎倆と外國人の伎倆とを較べて梢や相拮抗し或は時として彼の右に出ることあるものは唯技術工藝の一項に在るが如し固より西洋諸國は夙に器械の學に精しくして微妙の巧を極るもの多く我日本は器械の用法に迂闊にして専ら手練に依るの風なれども其手練の中自然に學理に適ふものも少なからずして家屋の建築、織物染物製紙の法、陶器銅器漆器の製作等百般の技術古來次第に進歩し就中刃物を作るは最も得意にして數百年前既に片刃附刃金の法を工風して其便利なること諸外國に比類を見ず(外國の刃物は多くは全鋼にして兩刃なるが故に之を研ぐに困難にして用るに最も不便なり)日本の家の建築に又諸種木造の細工物に精巧、人を驚かすもの多きは全く刃物の然らしむるものにして例へば桐の冠せ蓋の箱に空氣の流通を絶ち、引出しの出入りに風を生するが如きは日本人固有の手術と云ふ可きものなり又日本の製作品は規矩縄墨に當るもの多くして一見或は風韻に乏しなど評する者あれども其實は然らず器械の鋭利にして方圓の形を作ること容易なるが故に然るのみ方今にても支那朝鮮の製作品は方圓正しからずして雅致に富み蝦夷人の彫刻物は最も面白しと雖も其實は殊更に雅を求めたるに非ず器械の不完全なるが爲に雅ならざらんと欲するも得ずして遂に面白しとの奇評を得たるものなり此點より見れば日本の技術工藝は素より東洋諸國に冠として西洋にも愧ちず殊に其職工の思想を用る所常に物の數と形とに在るもの多きが故に一轉すれば眞成の器械學に入ることも甚だ難からず、本來其資に乏しからずして進歩の道易し、前途の望空しからざるものなり既に今日に於ても西洋國人は我國を目して技術國と評する者さへある由なれば我輩の願ふ所は西人の此高評に背かずして盖これを脩目日本人の心匠の巧なると其製作の密なるとを以て世界中の敬意を致さんとするに在るのみ

以上に記したる次第は外國交際上に些細の事なりなど思ふ人もあらんなれども凡そ人に接して人物の如何を知らんとするには其人の伎倆を目撃するより慥なるはなし技術の製作品は即ち伎倆を現はすものなるが故に今こゝに日本國を一個の人として此人が製作したる物は凡そこの類にして其手際は斯の如しと明に其實物を世界中の萬目に示すときは同時に其人を重んずるの念も生す可きは當然の順序ならずや一反の織物は以て日本と朝鮮とを區別す可く、一挺の小刀は以て日本人をして支那人の上に位せしめ、一片の鉋屑は以て西洋人をして日本大工の手術を知らしむるに足る可し國の輕重必ずしも武力のみに在らず又文事のみにあらず苟も國民の伎倆を示して文明の程度を測量するに足る可きものなれば勉めて之を全世界に披露することを忘る可からず之を外に披露して隨て内に其進歩を謀り以て我日本國の重きを成す可きものは目下唯技術工藝の一件あるのみと我輩の信ずるところなり