「鉄道の賃錢割引の事」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「鉄道の賃錢割引の事」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鉄道の賃錢割引の事

拝啓小生は一商人にして東京に本店を置き横濱に支店を開て商業を營み毎日自身にて京濱の間を往來し又店の者共を往來せしめ一年三百六十日汽車の賃銀を拂ふ高は隨分少なからず近年上等中等には往復切手なるもの出來即日に往復すれば幾分か割合に相成り便利を覺へ候得共是れも商人の身として浮と手を出し兼ると申すは例へば東京出發の節は一寸濱にて用を達し直に歸京の積りにて新橋のステーションに往復券を買ひ扨濱の支店に到れば意外の用事さしつどひ止むを得ずして一泊と申す塲合に相成るときは最初儉約の主義にて求めし往復切手は唯往の用を爲したるのみにて復の役を勤めず儉約却て不儉約となるの違算は毎度の事に候間往復割引の法も一日限りにては吾々商人のために左まで難有無御坐候就て爰に我黨商人社會一般の便利法を申せば右割引の法を一日と限らずして十日若しくば一月間も通用する樣に致し度又此上に其法を上等中等に限らずして下等にも及ぼし度其次第は拙店など店の重立候者は上中等の列車を取り候得共召使ひの小者下人等に至りては悉皆下等列車以上を許さずして日々往復の度数は小者の方に多く一寸忘れ物を取りに遣はすにも小僧横濱までと申付け候事なれ共往くに三十錢復へるに三十錢と現金六十錢を擲て支店に忘れ遺したる〓〓煙草入を取りに遣はす譯けにも参らず自然不自由をがまんする事に候得ば今若し下等にも往復の割引を爲して其切手は十日も三十日も通用するの法に相成り候はゞ商家の便利は申すまでもなく鉄道局の會計も却て利益を増す事ならんと存候

右樣にいたしたらば汽車に乗る者は誰れも彼れも往復切手のみを買ひ色々に之を利用して尋常の切手を用る者なきに至るべしとの掛念もあれども都て商賣世界の事は價の高きを以て必ず利益多しとすべからず商人の言葉に數でこなすと申す一主義は甚だ大切なる秘訣にして往復切手の割引十日以上にも通用して且下等にまで及ぶは取りも直さず汽車賃の値下げなれば乗客の増すべきは疑もなき見込にして一切の乗客みな往復切手を用るとするも必ず數でこなして利益の増すを見るべし况して切手の通用も無限にあらされば其日限中の割引を利用して往復せざる者が往復の姿を装ふが如き計略は甚だ面倒にして不正を働く者も案外少なかるべしと存候

又別に一條の所望は鉄道局にて毎一人一箇月又は三箇月半年等を限りて割引の乗車切手を賣渡すこと東京の湯屋にて一箇月留湯の札を賣るが如くするの新報なり此法は歐米諸國の鉄道には甚だ珍らしからずして其割引の割合は日本の湯屋の比にあらず非常に價を減ずるの慣行なりと申す事に候故に今京濱間の鉄道新橋より横濱まで中等は六十錢にして毎日一度の乗車一箇月十八圓の處を仮に定價三分の二を減して一箇月分の切手を六圓にて賣渡すことにすれば其切手所持の本人が一箇月卅日の間毎日乗りて一枚づゝ切手を用ひ盡せば即ち一度二十錢づゝにて乗りたる割合なれ共若し其人に病氣旅行等樣々の差支出來して唯十五日乗りたるのみなれば月末に至りて切手の餘るもの十五枚あるも他人流用は禁制なるが故に全く無効となりて半金の損亡たることもあらん左る時には六圓にて十五度の乗車、一度は四十錢に當るべし上等も下等も此振合にて一箇月三箇月又半年一年等夫れ夫れ割合を定めて切手の賣渡を始めたらば乗客の便利は申す迄もなく鐡道局にても利益の増すことあるべし本來東京と横濱とは殆と同一の都會にして其關係は東京市中神田區と芝區と相連絡するに異ならず故に横濱に住居して東京に日用ある者あり妻子は東京に眠食して主人は一週間も濱に在る者あり或は兩所兩店を掛持にすること小生の如き者も少なからず唯汽車賃の不廉なるが爲に不自由することなれども今若し其賃銀の大に低落するときは東京なり横濱なり唯勝手に任せて住居を設け日に往來するのみならず一日両所に兩三度の用を達することも叶ふべし例へば役員にても商人にても毎月の入高五十圓乃至百圓の人ありとせんか毎日中等列車に乗りて一箇月十八圓は少々負荷なれども其三分一にして六圓とあれば勇氣を振ふて住居の自由を求むべきや必然の人情なり又下等の客に至ては三十錢の價がたゞの十錢となれば大工左官の往復も日に盛なるべし或は又案するに最下等は月の割引など云はずして別に列車を趣向し非常に價を卑くして一荷擔ぎたる荷物と共に人を運送するも至極妙なるべし唯今の處にては横濱に魚類の價は安けれ共青物は東京よりも高しと申すが如き畢竟するに八百屋肴屋の輩は尚未だ汽車の恩澤を蒙らざるの證據と存候

右の如く相成候はゝ乗客の數非常に増加して列車の混雑如何との掛念も可有之候得共是れは唯發車の度數を増すばかりにて何の心配も無之既に敷設したる鐡道の上を幾度汽車が轉びても少しも苦勞には不相成實は京濱の鐡道に毎一時十五分の發車は至極寛やかなるものにして可惜鐡道を閑却するに似たり故に乗客の増すに從て次第に發車の時刻を縮め遂には毎十分に發するも差支なからんと思へども先つ以て今の日本の人事に望む可からざる事と存候以上は唯小生が身の上に直接したる東京横濱の汽車に付き鄙見を述べたる事に候得共鐡道は京攝地方にもあり近くは上野前橋及び上野宇都宮間のものもあり何れも其乗車の法は京濱に大同小異との事に承はり候得ば何卒愚存の次第は日本國中既成未成の諸鐡道に施行致し度存し謹て此義を時事新報記者に質問致し候也

明治十八年八月廿三日

東京日本橋區 一商人

時事新報記者足下