「地方儉約の状况」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「地方儉約の状况」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

地方儉約の状况

謹で一書を呈し候近來此邊の地方に流行と申すは節儉勉強の説にして到る處として之を聞かざるはなし成るほど今の民間の有樣を見渡すに其貧窮なる部分は誠に貧窮にして三度の食物にも差支候者も有之全体此者等が三四年前物價騰貴金融活〓の時に米價も宜しく賃錢も高き夢中の好景氣に浮かされて身分不相應の奢りを致し其反對の報ひにて今日の難澁は是非もなき次第唯この處は昔しの夢に引替へて醒めて節儉勉強の外有之間敷迂生に於ても固より此説に同意致し候得共扨世の中の事は儘ならぬものにて節儉勉強と申せば其節儉勉強に付て甚た難儀なる事情の出來致したりと申すは此説が動もすれば門違ひして妙な處に行はれて妙な成跡を現はすの一事に御座候民間の若者は勿論長者たる者までも浮かれ浮かれて奢侈に流れた輩が頂門の一針屹度心を入直して酒も飲まず美服も飾らず毎日朝起して夜なべまでも働くは至極の事にして稼ぐに追付く貧乏なき筈に候得共例の説か早くも地方の中人以上所謂財産家の耳に入り果して然り吾身に思ひ當りたりとて一生懸命に儉約を始め妻女の衣服新調を停止し、兼て思立し普請を見合せ、氏神の祭禮に來却を斷はり、父祖の法事も來年に延ばし、娘の婚禮は内祝にして次男の宮參りは兄の誕生と兼帯せしめ、主人も久しく鍬鎌を手にせざりしなども此御時節柄と申し左樣には參らず昔し執りし杵柄の手並みを見せんとて悴を召連れ畑に耘り山に薪を採り晩に家に歸りて手作りの濁酒一椀の味は甘露啻ならず何ぞ三年前の薦樽に戀々せんや尚况んやビールの如き葡萄酒の如き是れぞ所謂貧乏酒なり云々の勢にて家に冠婚葬祭の事なく唯稼ぐの一方のみにして中等以上の生計は恰も火の消えたるが如し夫れも三四年來の不景氣おために實に資産を一盪して儉約の外に方便なき者なれば尤の次第なれども今日の内實に於て然らざる者甚た多き中に容易に節儉説の行はるゝは何故に可有之や家計の内實に差支なくして俄に貧乏人の真似を致すは不可思議の樣に候得共これには又内々實の意味ある事にて元來この流の者共は自から質素儉約の苦痛に堪へざる者にあらず祖先の遺傳にて最も好む所なれ共浮世の風潮に壓され俗に申す御大家の体面に對して止むを得ず無益の事にも財を費し近年最も家計の膨張して困り入りたる處へ幸にも節儉説と傳へ聞き、得たり賢し唯この上は御時節柄の四字を以て百般の冗費を打拂ふ事に決したる者なり

扨右の仕合にて小前の者どもは如何可致や本來小百姓と申すは迚も三反五反の田地を耕して生活の成るべき者にあらず農業の間には或は炭を焼き薪を採り或は駄賃日傭を稼ぎ、或は屋根を葺くあり、大工の手傳するあり、或は雨天に草鞋を作り或は住居の傍に粗品雜物を賣る等種々樣々の方便を以て些少づゝの錢を得て衣食を足すの習慣にて之を農間稼と申すは日本國中何れも同樣の事に候古來の諺に千軒共喰ひと申すこと有之田舎にて凡そ家數の千戸もあれば其中には大家もあり小家もありて相互に用を辨して渡世の道を得たることに候處今其千軒中の大家が申合せたるが如くに儉約を始め大家の大旦那が自から炭薪を擔ぎ若旦那が小荷駄馬を追ひ普請も井戸浚も見合せて雇ひの男女さへ暇を取らせると申す次第にては小前の者共は寄附く便り無之、自分の儉約は木の根さへ喰ふ程なれば固より他人の御差圖を煩はすに及ばず候得共勉強の一點に至りて如何可致や骨折を惜まず候得共働くべき仕事無之實に當惑の至に候節儉勉強説の主義は誠に以て至善至美、斯くありてこそ人の家も立行き候譯けに候得共扨廣く之を社會に施して社會全体の利害如何と考へ又今日現に其成跡を見れば案外千萬の事にしく金持の儉約は以て貧乏人を困らするの奇相を現はし地方の有樣は甚だ六ケ敷きやうに相見候此まゝに差置き候はゝ中等以上の財産家はますます儉約を逞うして月に年に餘財あれば公債證書を買入れ年の五月十一月に利子を請取れば其利子を以て又證書を買い母子次第に増長して前途の望空しからず己が家産の保護をば一切大藏省の國債局にお任せ申して自分には工業も止め開墾も止め唯自から稼いで自から衣食するの工風のみに凝り固りて他人の物を買はず他人の力を用ることなくして幾百年も孤立籠城可致覺悟のやうに察しられ候實に世の中が儘になるものならば大家の者共へも大に儉約を勸め其儉約して餘りたる財物は本來無きものと觀念して之を貧乏人に施し與へよと因果を申し含め度き事なれども是れも出來難き相談左ればとて金持に向て無暗に奢れ奢れと勸立る譯けにも參らず如何して丁度程よき塲合に適ふべきや甚だ説なきものゝ樣には候得共迂生の所見にては儉約だの奢侈だの申すは詰り人間無形の心に屬するものなれば親戚朋友其他極親密なる間柄の外は傍より何とも云はずして其自然の任せ置き他の間接の所に眼を轉して各地方の人民の農間稼ぎの仕事を得せしむる工風は有之間敷やと存候敢て貴社新聞の餘白を借りて江湖識者の教を乞ふ者なり

明治十八年八月 東海道人

時事新報記者足下