「 東京市中の牛乳改良法 」
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時事新報に掲載された「 東京市中の牛乳改良法 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
東京市中の牛乳改良法
西洋學問の眞理次第に日本國に傳はるに連れ、事物百般の改良説も起り就中、食物改良
論の如きは日増し勢ひを占めて野菜禾穀は滋養物に非ず須らく肉食を奨勵して日本人の体格を堅固にすべしと人々口に唱へ身に行なひ日本人民の食物次第に變化せんとするは大に滿足に堪へたる次第、隨て牛乳の如きも人生滋養の第一品なりといふ處より人々多くこれを飲用し近來この東京府下に於てもその需要高は日に月に増加しこれを四五年以前に比較するに實に非常の増進を見たるは甚だ結構の事にはあれど右需要の増加と與に各營業人等はたゞ目前の小利を射ることをのみ目的とし、その牛乳に與ふる飼料の如きは獨りその良質を擇まざるのみならず單に値段の廉なるを狙ふの餘り故さらに性質不良の芻草を與へ或はその飼料をば充分にせずして只管乳の搾取を務むるが故日々東京の市中に配ばり廻る牛乳の中には滋養質の代りに却て人身に有害なる成分を含むも少からずとか云ふ者あり斯ては市民の健康に取りてその儘には打捨て難き事情もあり既にその筋の人々も此邊に注目し府下の乳牛飼養法を改正せざる可らずなど主張し居る者のある由に聞及びしが是は實に然るべき事にて此書は彼の牛乳の中に米の白水を混ぜるといふ惡弊よりも尚ほ一層衛生の障りとなるべし叉乳牛に與ふる食物の斯く不良なるに指加へて其飼養法の如きも府下十五區の市街中、人家熱閙の間に僅か猫の額大の空地を畫してこれに數頭の乳牛を押込め置くが故牛は恰も禁獄同然の有樣、ひろひろとしたる郊野に逍遥し青天白日、新鮮なる空氣を呼吸して生活する乳牛ならば良質の乳も出つべきなれど身動きもならぬ狹き地内に蟄伏して腐敗したる空氣を吸ひ剩へ不良の飼料を宛行はれ夫れにて命を繋ぐ乳牛ゆゑに迚も充分滋養になる牛乳の搾らるゝ道理は無きなり故に我輩の望む所は府下の乳牛飼養法を改良しこれに充分の食料を供すべきは勿論、その飼養地の如きは東京朱引外に於て新に塲所廣ろなる牧場を構へ乳牛に良き空氣と善き運動とを與へて成る丈良質の牛乳を搾取することを務めたきものなり尤も牛乳搾取所か遠く朱印外の田舎に引移りては日本橋とか神田とかいふ中央都會に住する人々は毎朝乳の配達方が遲はりて迷惑すべし抔いふ苦情もあらんなれど夫れは無益の心配、即ちその方法と申すは右都會中央の各區には朱印外の搾取所より夫々出張店を設置てこゝまでは馬車か人力車にて至急に送届けサテ此處より更に配手を出して得意先へ今の如く分配し歩行かば何にも遲はる筈なきなり然るに目今の有樣にては下表にも掲げある如く神田日本橋京橋などいふ孰れも人家稠密、絶て明地の無きその間をせり抜けて五軒乃至九軒の牛乳搾取營業所ありといふに至りては斯る搾取所の牛乳果して充分の滋養あるべきや如何ん其返答甚だ以て覺束なきなり此程其筋にて新たに調査したる統計に據れば昨明治十七年中府下十五區六郡の牛乳搾取營業人は合計二百人、その乳牛の頭數七百二十五匹叉搾取石高は四千二百二十八石餘にてこれを前年に比較するに其増加高營業人に於て九十八人、乳牛に於て九十三頭、搾り石高に於て八百九十五石餘なり故に我輩は府下にて牛乳需要高のかく次第に増加するを見て甚だ悦ぶものなれども爰に此悦を表するの序に前記乳牛飼養法改良の思附を述べて該營業者の注意を乞はんと欲するなり今右の統計を各區郡に細別するに
牛乳搾取營業人 乳牛頭數 搾取石高
麹 町 區 九 人 一一二 七六五、九二三
神 田 區 六 人 二〇 一三二、八〇九
日本橋區 五 人 三六 二二一、四三八
京 橋 區 九 人 八四 五六二、三八二
芝 區 十一人 九五 三八九、六一四
麻 布 區 八 人 三八 一六五、五四四
赤 坂 區 四 人 二六 一三一、八七四
四ッ谷區 五 人 一一 八六、三三〇
牛 込 區 十 人 四七 二七二、三五二
小石川區 三 人 三〇 九三、九八九
本 郷 區 八 人 五四 三二〇、八八〇
下 谷 區 七 人 四〇 四五二、三〇七
淺 草 區 六 人 三〇 一七一、三二三
本 所 區 三 人 一〇 五一、六四四
深 川 區 六 人 四八 一三九、一七七
荏 原 郡 六 人 四八 一三九、〇七九
東多摩郡 一 人 一 二、五七二
北豐島郡 五 人 一九 一二六、九九三
南足立郡 一 人 五 二〇、四九六
南葛飾郡 一 人 一五 一〇四、二八九
南豐島郡 なし
合計 二百人 七二五 四、二二八、八九六
以上の表に據て觀る時は東京府下の牛乳搾取營業人は總計二百人の中にて六郡に屬する十四人の營業者を引去れば殘る百八十六人は孰れも車塵馬埃の東京十五區中に在て牛乳を飼養するもの日本帝國の首府たるべき此眞中に一百八十六箇處の牛乳搾取所ありといふ珍事は偖置き、單に牛乳改良の一點よりして論するも右の搾取所は我輩が前記の所論に基き荏原郡なり豐島郡なり市區接近の朱印外にこれを引移し乳牛に新鮮なる空氣と充分なる食料を與へ且つその運動を縦まにせしむるの大切なるは勿論少しく仕掛けを大にして東京と横濱の間とか埼玉縣地方とか鉄道の便利ありて水草の供給十分なる塲所に搾乳塲を設けなば土地は廉く費用は少なく牛も人も健康にして朝夕搾り取りたる牛乳は其都度汽車の便にて東京に送り込み夫れより市中の得意先きに配達することゝ爲んなは其利益固より少なからずと思はる兎に角に交通便利の今の東京に於て市塵十丈の其眞中に人と牛と同居するの理由はなき事と信するなり