「士人處世論」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「士人處世論」(18850928)の書籍化である『士人處世論』を文字に起こしたものです。

本文

士人處世論緒言

人間の世に在る其爲すべき仕事の千種萬樣にして際限なかるべきは固より論なく此仕事の中にて孰れを尊しとし孰れを卑しとするが如きも唯人々私心の好惡する所に從ふのみにして天然の規則あるにあらざるなり若し我輩の私心を以て假りに其尊卑を分たしめば人間社會に廣且大なる影響を及ぼす仕事を尊き仕事と稱し其影響の狹且小さるものを卑しき仕事と云はんとするのみ然るに今日本士人等の擧動を見るに世に官吏の職業ほど尊きものはなしと心得只管仕官に熱中煩悶する其有樣の見苦しきことを傍觀するにも堪えざるものあり盖し今の日本の士人等は封建專制の遺風に薫陶せられ人間社會に權を振ひ事を爲すは官吏と爲るより外に其道なしと固信してさては斯る無勘瓣なる事をも爲して悔ることを知らざるものならんなれば聊か其愚と陋とを恕すべき所なきにあらずといへども左りとては今の文明の進歩を急ぐ日本社會の爲めに其の害を遺すことの甚だ大なる決して默々に附すべき事柄にあらざるなり依て我輩は本年九月より十月に亙り士人處世論と題して數日間時事新報紙上に此次第を痛論し當時大に朝野の高評を博したるは我輩の竊かに滿足する所なり今又通讀の便を謀りこれを一册子に纒めて再刊したるも其微意亦日本士人の時にこれを繙讀して永く處世の方向を誤らざらんことを祈るに在るのみ

明治十八年十二月 時事新報記者識

士人處世論

福澤 諭吉 立案

中上川 彦次郎 筆記

我國後進の士人が兎角政事談を悦び立身の道を求るにも唯官途に就かんとのみ熱心して他に顧る所なく政府にても入用の人物だけは採用すれども左りとて限ある官員の席に限なき人を容るゝことも叶はずして之を打捨おけば熱心の士人は身の進退に窮し遂には謂れもなき事に政府を怨みて樣々に説を作し或は一旦幸にして官途に就きたるものが政府の都合に由りて免職などになればその不平はますます甚だしく昨日までの朋友も今日は苦苦しき間柄となりて何事に就きても政府に反對するものゝ如し斯くては官民の間の調和を妨げて國のために不利なり畢竟わが國に官途を望む者多ければこそ斯る忌しき事情も生ずることなれど何とかして人々の心を他に轉じて其熱心を冷にし政府をして政を爲すに自由自在ならしめ人民も亦官途の外に悠々として安氣なるべき工風はなきやと世の識者は常に之を憂ひ我輩も亦共に心配する所にして扨名案もなけれども凡そ人の心の熱を除かんとするに唯これを除くのみにして永久に冷ならしめんとするは迚も行はるべき事にあらず熱なればキニー子を用ひて挫くの法もあれども後進生の立身熱を挫くはキニー子の能くする所にあらず左れば此輩の心事を一轉して政事外に向はしめんとするには他の場所に名利の得らるべき道を開くこと肝要なるべし即ち其場所とは工業商賣の事にして苟も人民獨立の事業を執り利益を得て又隨て榮譽を燿かすことを得れば必ずしも官途の一方に固着して執念深く之を求るにも及ばざることならん即ち是れ其人の熱をば其まゝに差置き唯その熱する所の方角を轉ずるの法にして官民雙方のために至極便別なるべしと信ず我輩が平生人に工商事業の利益を説き自から其身分を重んじて獨立の榮譽を維持すべしと勸るも其微意はこの邊に在るものなり

右は官途の事業と民間工商の事業とを較べて民間の事業に從へと勸るものなれば爰に其本人の私の爲を謀りて當に然るべき所以の理由を説明せざる可らず人の言に日本は官員の極樂國なりと云ふ者あれども是れは極端を評したるものにして信ずべからず一身出世の初より生涯過ぎて子孫の利益幸福を考ふれば官途必ずしも極樂にあらず左に其次第を述べん

先づ第一に申せば官途に就かんとする者は勞は多くして功は少しと云はざるを得ず今の官途に熱する者の多きは世に隱れもなき事にして全國無數の後進生の仕官は如何と語れば應と答るのみにて否と拒む者は萬に一もなきことならん併し是れは唯官を好むに止まる者なれども之を求め之に熱して若し宿昔の志を達するを得ざるときは心に失望するのみならず忽ち身の處方に困るとて煩悶する者都下に他方に盖し幾萬人に下らざるべし然るに事實政府の官吏任免の數を見るに一年僅に幾百に過ぎず故に官途に熱心して果して心願を達する者は統計表こそなけれども千百中の一たるに過ぎず例へば一時寫字生等の入用に付試驗の上にてこれを採らんと廣告すれば一名の入用のために募に應ずる者は五十名も百名もあり寫字生にして尚斯の如し況して少しく上等の地位に於てをや官途に人の群集して失望者の多きこと推して知るべし而してこの失望者も何か他の職業に就て恆の業を營みながら傍に官を求る者なれば害なきことなれども大抵は無職業にして空しく衣食し諸方を奔走して交際を求め又は知る人の家に寄食し下宿屋に閑居し、閑なるが如く繁なるが如く詰る處は唯時節到來を待つの外に説あることなし之を喩へば東京市中の人力車その數三萬に下らずして實際に客を載せて走る者は全數四分の一より多からず他は皆路傍に四辻に群をなして晝夜ともに客を待つものに異ならず人力車夫は平均して無職業なる者四分の三とするも尚四人の間に一人前の仕事を分て働き、少々づゝの所得あれども官途心願の士人は百中一の僥倖を待ち一人前の仕事のために九十九人の働きを空うするものなれば其有樣は之を人力車の客待に較べて及ばざると遠しと云ふべし西洋の諺に時間は金なりとの一義果して違ふことなくば假に此百人の熱心者を一社中として社員全體の損益を見たらば必ずその不利なるを發明することあるべし百名の社員が一年の時間を空しく費すのみならず周旋奔走のためには多少に資金を失ひ又借金をも作り扨その出來上りは如何と尋れば僅に其中の一社員が籤に當るに過きず假にこの當籤者が月給百圓を得るとせんか一年間一百人の現に費したる金を百圓づゝとし又その三百六十日の働き即ち時間の價を百圓とし合せて此資本を一年間に空うして得る所は月に百圓年に千二百圓より多からず資本二萬圓に對する千二百圓は正に年六分の利子にして然かも其僥倖の當局者が不幸三五年の勤仕にて辭職する等の事あれば元金の皆無は勿論、利子さへ不納の大損亡たるべし實は今の官途熱心者が銘々に働きて銘々に失望し其失望は己れ一人の不運として竊に自から觀念すればこそ世間の人も知らざることなれども經濟論の主義に於ては無算の甚しきものなり

官途の出身に思を焦すは貨殖經濟の主義に於て無算の至なりとのことは前既にこれを述べたれども尚ほ讀者の了解に便ならしめんがために一例を加へん例へば爰に理財に明なる金滿家ありとせん主人の眼を以て幾名の人物を見立て各その見込に任せ又主人の忠告を授け之に何程かの資本金を貸渡して商工の事を起さしめ數年の後にその者共が家を起すは勿論、金主も亦元利の返濟を得て債主負債主ともに雙方の利益たりし例は古今に珍らしからざれども今この金滿主人が官途熱心の人物數名を擇び其出身の資本として金を貸すことあるべきや我輩は斷じて是れ無しと云はざるを得ず固より世間の富豪にしてよく後進生の志を助けて之に資金を給して遂に其人物の官途に顯はれたる例はあれども是れは全く商賣上の考を離れて他の關係より出來たる事にこそあれ、苟も資本を卸して隨てこれより生ずる利潤を得んとする十露盤の勘定に於ては如何なる約束にても官途出身の資本金を貸すべからず又今日の實際に於て金貸商賣の人が士人の出身を抵當にして貸したる者もなかるべし、等しく人物を見てゝ商賣人なれば之を信用して資本を貸し官途の熱心家なれば之を疑ふて貸さゞるは何ぞや其人物の才不才にあらず又正不正にあらず唯其事柄を見て一方は先づ安全にして一方は甚だ危險なればなり抑もこの金滿家は唯金の損益のみに眼を配るものなれば其勘定する所甚だ冷にして所謂「クールカルキュレーション」なるものなれば必ず大に誤ることはなかるべからず然るに此冷算にしていよいよ危險なりと決定したる官途に士人の空しく群集して入るを求むるは何故なるや解すべからざるに似たれども局に當る者は惑ふの諺に洩れず士人の心事常に熱して冷なるを得ず首を擧げて政府を見れば富貴の人甚だ少なからず官位高くて人に尊まれ、月給多くして家内に苦情少なく、然かも其勤は甚だ樂にして民間の稼ぐ者に比すれば天と淵との相違なりと云ふ尚ほこの上にも殘念に堪へざるは同郷竹馬の交際には常に我手下として泣かせたることもあり又同窓學校の勉強には常に失敗して黒點のみを取りし者が何ぞ料らん今日は政府の好地位を占め意氣揚々として人相までもむかしに變はり途中に顏見合せても知らざる者の如し彼れも人なり我固より人物なり何ぞこのまゝに朽果んやとて熱心遂に判斷の明を失ひ、己れの人物の中位なるを忘れ、其藝能の少なきを忘れ、現に政府に好地位を得たる舊友は自から才力ありて然りとの理窟を知らず假令へ才力は不十分にても自から官途に就きたる因縁あるものを其内實の譯を知らずして只管他の富貴に傚はんとする忘想煩悶たるに過ぎず、如何にも政府に好き地位を得たる者は一時誠に結構にして目出度次第なれども前に云へる如く其目出度き籤に當る者は熱心者中百分の一か千分の一たるに過ぎず百千中の一を僥倖せんとするは投機の最も危きものにして之に近づくものは智者と云ふべからず我輩曾で云ふ爰に一奇人を出し毎朝府下何れかの公園地へ凡そ處を定めて人知れずに五十錢銀貨を投じ置き市民の自由にこれを拾ひ去るに任せたらば如何なる事相を生ず可きや昨朝は何町の何某が某公園の松の木の下にて金を拾ひ今朝も亦何屋の小者が使の歸りに其邊にて拾ふたり十日以來毎朝然り銀貨天より降り來るとて市中の貧乏社會傳へ又傳へて老若男女幾千萬の群を成して松の木の下に騷ぐことならん成るほど其群集中の一人は必ず半圓銀を得て愉快の思を爲す者あるべしと雖ども之を拾はざる者の失望は如何なるべきや假に其失望者を毎日一千人とし半日を空ふして家に歸る其手間を平均二錢づゝとすれば正に二十圓の働き即ち騷ぎなり五十錢の僥倖のために二十圓を費す、社會の經濟のために不利なるのみか其一人づゝの身のためにも永遠無窮の損亡にして斯る事に浮かれて騷ぐ者は無算の愚民と評せざるを得ず但し世の中に戲に金圓を棄る奇人もなし先づ事實に氣遣なき騷ぎにして唯我輩の空想に止まる事なれども天下後進の士人にして試みにこの空想を畫きたらば必ず愚民の愚を愍笑することならん我輩の保證する所なりと雖も何ぞ異ならん大小の諸士が政府の筋に在る大小の官員を見て其地位を僥倖せんとするは彼の半圓銀の噂を聞傳へて空しく公園の松樹下に群集する者にして識者の嗤を免かるべからざるなり左れば我輩は素より士人の仕官を非とし妨る者にあらず苟も官途に適當すべき一種特別の才能を備へ又この途に入るべき固有の因縁もありて人にも信ぜられ自分も信じ己れの望む所、一發一中必ず誤らざるの見込ある者ならば心を一にして唯政府に好き地位を求め以て一身の名利のためにし兼て又天下公共のためにすべきは當然のことなれども其以外無數の士人にして出身の六ケ敷きは世人の目にも其大概の事情を知り自分にも慥に請合難きほどの者ならば假令へ何樣の才智藝能ありと自信しても斷じて官途の事は思ひ止まり一日も早く他の獨行私立の營業に身を轉ずべきものなり

大凡そ事物の利害を判斷するには其平均の數に據ること肝要なり例へば古道具屋が種々樣々の品物を仕入れて之を賣るに原價に二倍三倍し時としては十倍することもあり此點より見れば諸商賣の中にて古道具屋より割の良きものはなし忽ち巨萬の富を致すべき筈なれども事實に於ては決して然らず常に原價幾倍の利を見ざるのみか仕入れのときに鑑定を誤りて大損亡を蒙ることも少なからず又その品物が久しく自分の手に在る間に時の流行には後れ仕入れの元金には利足嵩まりて知らず識らずに原價を増すの姿となり扨歳末に至りて店卸し勘定すれば矢張り尋常普通の商賣に異ならず其大利益と大損亡とを平均して餘る所のものこそ純益たるべければなり故に古道具屋はその大利益を當てにせず又その大損亡をも恐れず常に平均の數を以て滿足すると云ふ誠に左もあるべき事にしてこれぞ商賣の本法ならん

扨前言は譬に申したることにして今これを士人官途の出身に當てはめて説き明にすべし凡そ天下の士人にして宿昔青雲の志を抱くからには政府中最上の地位に登りて最上の名利を取らんと欲せざる者はなかるべしその趣は角力に志す力士が關取を目的とせざる者なきが如し尤至極のことにして流石に士人の志は左こそあるべし毛利元就が天下に主たらんと祈りて能く一方に主たるべしと云ひたるが如く男子の志は須らく大なるを要すと雖ども唯志のみが巨大にしても實際の處に少しく取留なくしては唯世人の笑の種たるに過ぎず故に志士も口には隨分大言を吐くも宜し、亦心に自から信ずるも宜しと雖ども極々の内心には大丈夫を踏み矢張り事物平均の數に據りて彼の商人が損益を平均して其中程の利益を目的にするの例に做ふこと肝要なるべし即ち前にも云へる冷算「クールカルキュレーション」の法にして實際に失望の氣遣なきものなればなり扨この冷算法を以て官途功名の平均數を求るに今の官員は兵卒巡査町村吏等を除きて凡そ七萬五千の數あり其收領する所の俸給は何と名くるとも本の出處は人民の納る租税より外ならず即ち七萬五千の大小官吏は税に食む者にして其食税の高は甚少なきものなり假にこの官吏をして月給八十圓年俸にして一千圓を取らしめん歟わが國庫の歳入七千五百萬圓は殘らず官吏の俸給に遣ひ拂ふて餘りあることなし固より實地に行はるべきにあらざれば一人一千圓は平均の數にあらず其半減にして五百圓にもならず又四半減して二百五十圓にも足らず我輩その精密の數を知らざれども或る人の推算に據れば大抵一年百五十圓より二百圓の間なるべしと云ふ今唯漠然として官員社會を見渡し其上等の部分のみを計ふればこそ月給何百圓にして結構なるが如くに思はるれども是れは誠に其社會中の少數にして中以下に至れば人數はいよいよ多くして俸給はいよいよ少なく最下等の如きは實に氣の毒なるほどのものなり左れば官途熱心の士人がその宿昔の志を達して思ふがまゝに出身の道を得たりとして其地位は何れの邊に在るべきやと尋るに人物の才能次第、また出身の因縁次第にて意外の好地位を占る者もあるべきなれども才能も中等、因縁も中等の者こそ多かる可ければ其多數の中等連は平均の數、一年百五十圓乃至二百圓の金を得ることゝ覺悟せざるべからず是即ち事物に大丈夫を踏むものにして若しも之より以上を期するは古道具屋が大利益の賣買のみを當にするものにして早晩一日落膽の時あるべきや疑を容れず、これを聞く英國政府にては國民に所得税「インカムタキス」を課するに一人一年の所得、百五十ポンドに足らざる者は免税の法なりと云ふ百五十ポンドは我國の七百五十圓に當るが故に英國の人民は一年の働を以て家に七百五十圓の所得なければ難澁者の部分として免税の特典を蒙るに引替へ我官途社會の所得を平均すれば此難澁者に及ばざること正に五百五十圓なり固より英國は物價高くして金の位低く日本は諸色下直にして暮し易しと云ふと雖ども官員の極樂國とまで稱せらるゝ日本の官途にしては聊か驚かざるを得ず極樂の名稱虚なりと云ふべし以上に記す所果して數に於て違ふことなくば假令へ出身の道を得たる者にても左まで結構なるものにあらず畢竟今の熱心士人が事物平均の數を忘れ平均の下を見ずして其上をながめ無理なる先例を我身に引當てゝ獨り天下の僥倖を專らにせんとするの空想より遂に失望の慘情に陷りて進退に窮することなれば我輩の願ふ所は其熱心の中にも尚冷算の一義を忘れずして竊に自から前後を考へ果して心に悟る所のものあらば機を誤らずして眼を他に轉ずるの一事に在るのみ官途の功名を平均すれば志士の身に取りて左まで香ばしきものに非ずとの次第は前にこれを述べたれども我輩の見る所にては假令へこの平均の數を超へて頗る上流の地位を得たる者にても其一生涯の利害如何を考ふれば利する所は存外少なき者と判斷せざるを得ず試に其次第を云はんに政府に好地位を得る者は世間に尊敬せられて俸給も亦豐なりと雖ども官員は百年の官員にあらず時として非職免職の事あるべし既に免職すれば世間の尊敬は其日限りに斷絶して顧みる者さへなき世の常なれば榮譽は永く頼むに足らずとして跡に殘るべきものは財物なれども是れ亦甚だ覺束なし凡そ世界中の各國文不文の區別なく政府の筋に賄賂の行はれざる國なしと雖ども不思議なる我日本國の政府に限りて其沙汰を聞かず稀に或は之を耳にすることなきにもあらざれども實に稀なる場合にして海外諸國の風俗に比すれば雲泥の相違も啻ならず此點より見れば日本は誠に君子國にして他に誇るに足るべし我輩に於ても竊に肩身の廣き譯なれども當局官員の懷に就て計れば入るものは唯俸給のみに止まりて他に利する所あるなし然かるのみならず官員社會は兎角表を張るものにして住宅什噐衣食の有樣にても世間普通の割合よりも美を裝ひ一寸戸外に出ても官員なるがためにとて看す看す餘計の錢を棄ること少なからず又例の交際なるものに金を費すは實に堪へ難き次第にして甲の家の觀花の宴は以て乙の別莊に納凉の會を促し冠婚葬祭、送別に留別に、餞別に、土産に、一に酬るに二を以てし、二に答るに三を以てするの風にして其内實は互に相困ると雖ども互に相止るを得ざるのみか世事日に靜なるに從ひ交際は日に膨脹して際限なきものゝ如し畢竟今の官途は舊藩士族の餘流を以て組織し錢の方には至て奇麗にして清貧却て有力の勢あるが故に其一般の氣風に於て錢を輕んずるも亦謂れなきにあらざるなり斯る事の次第なれば官員が在職中に金を溜るは極めて難きことにして少數を除くの外は隨分外見の宜しき身分の人にても家に餘財あるものなく負債ある者こそ却て多かるべしと云ふ我輩に於ても或は然らんと信ずるものなり

左れば宿昔青雲の志を達して思ふがまゝに政府に好き地位を得ても唯その在職中少しく家を賑に暮すのみにして若し萬一も主人が中道にして病死する等の不幸あらば如何すべきや暗夜燈消えて家内の方向西も東も分らぬことならん農工商の家なれば戸主が短命の不幸に逢ふも其遺産遺業をさへ守れば婦人子供ばかりにて渡世するの例は誠に珍らしからざれども官員の死亡したるものは恰も一家の顛覆と云ふも可なり或は死亡に非ずして普通の免職非職にても尚恐るべきものあり盖し今の日本の習慣にては政府の御用と民間の私用とは大に趣を異にし御用の取扱ひは都て大切にして些少の事柄にても人を勞し金を費すこと多し如何なる御用向にてもこれを民間の私に引受けたらば人數も金員も御用の三分一若しくば五分一にて屹度請合なりと云ふ者あり或は實に然ることもあらんなれども是れは政府の人が懶惰にして漫りに金を費すと申す譯にはあらず唯御用向が大切にして萬事萬端念に念を入れて鄭重に取扱ふがために自から然るのみ民間の事業の如く錢の儉約のために事の體裁をも顧みず唯損益一方にのみ眼を注ぐものとは同日の論に非ず之を喩へは政府の御用は富豪大家の事にして玄關より中の間、表座敷、奧座敷、臺所、茶の間、寢間、書齋おのおの別にして相紊れず之がためにはおのおの其掛りの人を配り掃除は掃除、取次は取次、表の給仕、奧の女中、茶煙草盆の出しやうより挨拶送迎に至る迄整然として版に印したるが如く何等の事情あるも奧の女中が表座敷へ驅出し玄關の取次が寢間に飛込むが如き粗忽はあるべからず假令へ臺所が忙はしくとも表の給仕に加勢を求む可らず客來に玄關の者は多事なるも午睡して在る掃除番に援兵を命ずべからず是即ち大家に雇人の多くして入費の嵩む所以にして之を彼の貧乏世帶の臺所に飯を炊く下女が玄關の取次に罷出で、食客の書生が時として水を汲み又買物に走り、表座敷は主公の書齋を兼帶し、寢間の夜具除いて乃ち食堂に變ずるが如きものに比すれば甚だしき相違なれども貧乏世帶の目的は唯金を儉約するの一方に在るが故に事の體裁を顧るに遑あらず粗忽と云はれても甲斐甲斐しく働かざるを得ざるなり扨政府の御用と民間の私用とを比較すれば正しく此大家と貧乏世帶との有樣にして多年政府に地位を得て職を奉じたる者は彼の大家の雇人に異ならず假令へ才徳兼備するも身に染みたる習慣は大家の習慣にして迚も之を貧家の事に用ゆ可らざるや明なり然るに民間の營業は中々劇しきものにして千變萬化臨機應變主人にして小者の用をも勤め、帳面方の番頭も常に賣買の相場に心を配る等成る丈け人を少なくして成る丈け費を省くを旨とし紙一枚筆一本の事にまで細に氣を付て俗に所謂大目に看過ごすことゝては絶てなき慣行なれば正々堂々たる政府の事務に染込みたる人が何として之に適ふべきや其これに不適當なるは諸禮の師匠を呼で火事場の手傳に用るが如し時としては事の加勢には爲らずして邪魔にこそなる可きのみ之を要するに官途の人は唯御用取扱ひと名くる一藝のみに通達したる者にして之に通達すること愈々深ければ俗世界の俗事に愈々遠ざかりて實際の營業には都て縁のなき者となる可きこと人心の定則に於て爭ふ可らざる所なり左れば今官途に居て多年の經歴ある人が一朝の機に職を辭するときは何を以て爾後の身を立つべきや同じ俗世界の事にして呉服屋の番頭が店を去て藥屋に行けば商賣柄は全く以前に異なれ共賣買の精神は同樣なるが故に新事業に慣るゝこと易しと雖も官員の御用社會と普通の營業社會とは事の緩急正變相反對して相互に容る可らず忙はしき、俗世界の者を政府中の閑散なる場所に入れても尚且つ當分は狼狽して用辨を爲さず況して緩にして正しき事に慣れたる人物を移して急變衝くが如き民間に置くに於てをや我輩はその方向に迷ふことある可きを恐るゝ者なり故に云く官員は百年の官員にあらず假令へ僥倖にして好き地位を得たればとてその死亡又は辭職の時の事を案ずれば在職一時の榮華は香ばしきに似たれども民間の營業の澁くして永續するに若かず、桃李花開くも風雨の夕あり我輩は後進諸士のために謀りて松柏の嬋娟ならざるも其の常青を愛するものなり

門閥は世祿と相伴ふて離る可らず試に徳川政府の時代を見よ名家の子孫は甚だ多しと雖も苟も世祿なき者は世に名を顯はすを得ず何村の何兵衞はむかしむかし何の國の太守領地は何萬石、位は何位何某公の末孫にして系圖も慥にして祖先傳來の寳劍具足もあり既に去年は村の者どもを集めて何百年忌の法事を勤め本家の主人が一番に燒香したりなど云ふ話は毎度聞くことなれども悲しい哉その家に世祿なきゆゑに何と家柄を喋々しても矢張り尋常の土百姓たるを免かれず或は諸藩士又幕臣の中にも名家の小臣あり新參の大臣あり拙者の先祖は家康公に關ケ原の御供を致して敵の首を七つ取りたりと云ふも今の家祿が僅に三十俵なれば三千石取る新參の大臣に向て平身低頭せざるを得ず唯家柄のみ然るにあらず爵位とても祿に伴ふに非ざれば光を放つを得ず封建の時代に京都の公卿の位は甚だ高くして世々正何位とて迚も武家の企て及ぶ所に非ざる者多しと雖ども實の勢力に於ては從五位下諸大夫たる大名に向て一言もあることなし左れば門閥とは唯名家の子孫たる家柄のやうに思ふ人もあらんなれども其實は決して然らず家柄に附するに世祿を以てして子々孫々これに依頼し何樣に不束なる人物にても衣食に差支なくして人へも衣食を與へその暮向き都て洪大なるがため自然に世に尊敬せらるゝことにして其家柄も其位も世祿に由て光を生ずるものと知るべし是即ち封建の時代に凡庸暗愚の主人が幼少の時より教育もなくして惡しき家風に習慣を成しながら能く大家を相續して無事なりし由縁なり世祿の力大なりと云ふべし

維新以後世祿の法廢して官途に在る者は奉職中の年俸月給を收領するのみにして其身一代の祿をも得ず又有爵の華族を除くの外は位記さへ子孫に傳へざるの法なれば如何なる貴顯の地位に在る者にても仕官を罷めて身死するときは何等の痕跡をも遺すことなし幸にして家に蓄積の餘財にてもあれば子孫も依て以て衣食すべきなれども左もなくして其人の存生在職中の生計、毎月毎年出入正に相償ひし者ならば子孫は唯尋常一樣の貧士族貧平民にして父祖に何樣の功勞あるも遺族のためには毛頭の益を爲すべからず盖し是れ文明開化の大主義、國民おのおの其身の才力に食み曾て死者の功勞の蔭に依らざるものにして日新の天下は當さに斯くこそあるべけれ我輩の常に稱揚する所にして之を彼の舊幕府時代に少しく手柄ある人が祿を世にし官を世にし又爵を世にし甚しきは儒者醫師の輩が其學術を世にするが如きものに比すれば年を同うして語る可らざるなり然るに爰に官途のために憂ふべき一事と云ふは我國の制度全く封建門閥の體を解きたりと雖ども數百年來の餘臭は容易に洗ふべからずして政府と人民との間柄を見るに上下尊卑の懸隔甚だしくその發して公用の文書に現はれて文字の大小敬語の用法等は勿論、日常些細の事にして政治に縁なき性質のものにても政府の筋と云へば一種特別の重みを附けて之を仰ぎ尊ぶこと封建世祿の時代に所謂る御上樣の御用の筋をむやみに尊敬したるの風に彷彿たるもの少なからず然り而して此政府の筋を代表する者は官員なるが故に凡俗世人の見る所にて官員は一種特別に身分重き者と思はざるを得ず旅行すれば道中旅宿の待遇市に出れば諸商人等の會釋、家に出入の者ども、雇の男女に至るまでも主人を崇めて殿樣奧樣御前樣と仰ぐその有樣は必ずしも其家の資産豐にして人に錢を與へ又給金を多くするの故にあらず平民社會の旦那親方も官員社會の殿樣も錢を費すことは同樣にして人の見る目に斯くも相違あるは錢の原因にあらす官員の方は其錢に伴ふに身分なるものを以てして殿樣奧樣御前樣の尊稱を受け遂に平民との間に大なる懸隔を生して恰も人種の相異なるが如き習慣を成したるものなり扨又主人が殿樣なれば悴は若殿樣にして若樣の威光も自から内外に燿くべきは當然の勢にして夫れも世事に經歴ある老成人なれば拙者も今こそ殿樣なれども本を思へば云々と獨り心に首肯きて交際に加減もすることもあらんなれども二代目はへぬきの若殿樣に於ては則ち然るを得ず周圍の持て囃しは盛にして目下家の暮向きは豐なり假令へ尊嚴が嚴然として之を誡しめ教へても教ふる功能は見て習ふの力に及ばずして何と工風するも子供心に自尊の念は絶つべからず如何となれば官員の官に在る間は平民社會と身分を殊にし貧富に拘はらずして尊卑の人種を別にするが如きは公私の習慣事實に於て明白なればなり畢竟數百千年我國の士族尊く人民卑くして其士尊民卑の遺俗が今は官尊民卑の姿に改まり官員の家に一種の勢力を生じて家人の心も自然に其風に化するものなれば之を如何ともすべからざるなり抑も社會のために此官尊民卑の得失を論ずるは本論の旨にあらざれば之を略し唯一家の利害のみを云へば現在の官員の身分と俸給が子孫に傳はるものなれば在來りの家風をも其まゝに存し新に門閥を起して萬世安心なるべけれども今の文明の日本國に於ては之を許さず官員の榮華は在職限りにして消えて痕なきを如何せん、家に世祿なくして家人は其身分の尊きに慣れ、衣食の度低くして氣位のみ高きは之を子孫の苦痛と云はざるを得ず近く其例を擧れば諸藩の士族が俄に家祿に離れて今の難澁には非ずや士族には金祿公債證書もあり且その人物は決して愚ならずと雖ども幼少の時より身分の尊きに慣れ家祿の豐なるに慣れ、我れは日本中にて一種特別の身分の者なりと自から信じて人も亦これを許したるものが頓に其家計を顛覆せられたるが爲に斯の如きのみ今官員の辭職死亡は士族廢藩の厄に異ならず其在職中に家計のいよいよ盛なりし者が後日の苦痛いよいよ甚しかるべきは舊藩士族の大祿なりし者が廢藩の後に一段の難澁を感ずると同樣なるべし左れば後進士人が官途に意氣揚々たるものを見て羨ましきに堪へざるが如くなるは壯年の血氣に尤も至極なれども壯年は百年の壯年に非ず永久に子孫の謀を爲したらば官途必ずしも羨むに足らざるの事實を發明することあるべし況や人生は官途の外に成すべきの事業取るべきの功名甚だ多くして然かも其事業功名こそ永く天下後世に痕跡を遺すべきに於てをや古人言あり寧ろ鷄口たるも牛後たる勿れと、政府の尾に附て國民の租税を食ひ其資本に依頼して事を爲さんよりも一身小なりと雖ども奮て獨立の事を行ひ以て文明男子の名に愧る勿れ

士人處世論の一題は今の後進士人が世を渡るに當さに斯の如く身を處したらば然るべしとの道を示さんとしたるものにして其大要を繰返して申せば後進諸士が其志を政治の一方に專らにして身の落付く所は唯官途とのみ目的を定め限りある政府の地位に押掛け押込まんとしては無限の人に有限の地位、とても治りは付かずして諸士の失望すべきは勿論、政府に成替りて考へても頓と仕方もなき次第にて唯政を行ふに困るより外にある可らず左れば士人の官途熱心は官の爲にも私の爲にも甚だ面白からぬ事なれば男らしく身を構へて官途出身の事をば斷然思ひ止まるべしと云ふの論緒より彼の極樂世界と稱する官途も虚心平氣に勘定を立て所謂冷算を以て利害損益の出入を差引すれば餘り香ばしき職業に非ずとて其次第を述べたり扨讀者諸君にて官途の一方に熱心するは官私兩樣のために不利なりとの義はこれを合點したり然らば則ち官途を斷念して如何に身を處すべきやと質問の起るは正に當然の順序にして之に答ること或は難からんと思ふ人もあるべきなれども我輩の所見にては決して難事に非ず唯これに答へて尋常普通の商賣工業に從事せよと返答するのみにて澤山なるべしと信ず或は諸士の考にて商工の事は難くして計算上に割に合はずと云ふ歟、我輩質問する所のものあり第一その事の難しとは何故ぞ、諸士は少年の時より書を讀み理を講して心身を苦しめ冬の長き夜に眠るを知らず夏の暑き日に汗を揮ひ艱難辛苦したるのみならず其艱苦のいよいよ甚だしければいよいよこれに堪るの勇氣を生じて遂に業を成したる者にあらずや今この艱苦に堪るの勇氣を轉じて直にこれを商工の事業に用ひたらんには何事か成る可からざるものあらんや試に今の現在古風の商工社會を見よ如何なる人物の在るあるや彼等が如何なる艱難を忍んで如何なる勇氣を振ひ如何なる聞見に富みて如何なる智略を運らしつゝあるや、艱難に堪るの勇氣、世態人情に通ずるの聞見、機に臨み變に應ずるの智略、都て吾々實學者の下に在ること數等にして與に語る可き人物に非ず斯の如き無識凡庸輩にして尚且商人なり工業家なりとて居然自から得意の顏を爲して世に處するに非ずや商工の事決して難からざるなり又第二に商賣工業に利益なしとは最も請取り難き話なれば議論よりも眼前に其實例を出して之を示さん諸士は都鄙の市中を徃來して路傍の店頭を見るは毎度の事ならん呉服屋あり酒屋あり紙屋あり煙草屋あり問屋小賣見世千差萬別計ふるに遑あらず然り而して此輩は何を衣食するやと尋れば官員の如く月給を收領して税に食むにあらず華士族の如く公債證書を貰ひたる者にあらず貧富大小の差こそあれども全く自力を以て自から衣食するものにして即ち其營業に利益あるの明證なり又諸士が金策金談の言を聞くに其指名する所の者は大抵商人にして例へば東京にても麹町區に官員多くして日本橋區に商家多ければ金と目指す所は月給の集る麹町に在らずして商賣の繁昌する日本橋に在るは何ぞや商賣の力は月給の働きよりも大なること推して知るべし

右の如く商工の事は左まで艱難に非ず又利益なき者にもあらずして諸士が之に從事するに臆病なるは其罪唯事を知らざるの一點に在るのみなれ共知らざるより知るの門に入るは諸士の既に實驗を經たる所にして其一例を擧れば諸士は素と漢儒者流の子孫にして祖先以來或は其自身に於ても前年は西洋文明の何事たるを知らざりしかども時勢の變遷、斯くては世に處す可らず迚大に奮發して西洋の事に眼を注ぎ或は西洋の書を讀み或は西洋の人に交はり又或は身躬から西洋諸國に往來して親しく其事情を視察しますます彼の社會の仕組に心醉して一切萬事彼の國の流儀に傚はんことを勉め今は心身ともに變化してむかしの漢儒流たりし時の事を思ひ出せば全く同一の人とは認められず即ち曾て西洋の事情を知らざるの境界より之を知るの門に入りたるものにして其働きの活溌なるは實に驚くべき次第ならずや然るに今漢儒流より西洋の文明流には遷りたれども其文明は唯學問又政治の區域のみに限りてこの區域より一歩を轉ずるを得ず商工の事は君子の知る所に非ず、知らざる事には近づく可らずとて自から縮み上りて手も足も動かし得ずとは何ぞ先に勇にして後に臆病なるや我輩は其理由を解くに苦しむものなり或は今の後進士人の考に商工は賤業なり君子の執るべき事にあらずとて竊に愧る意味もあらん歟、其は業の賤しきにあらずして之を行ふ人の賤しきのみ從前の如く無識卑屈なる素町人の輩が殖産の世界を專にすればこそ賤しくも見ゆることなれども苟もその事が教育を受けたる君子の手に歸するときは次第に體面を改めて遂に君子の事となるべきや又疑を容れず故に諸士のために謀るに民間殖産の事業を見てこれを賤しき小人の事として避くるよりも自から進で之を執りその事業を君子にするこそ肝要なるべけれ

この點より考れは我輩は獨り後進生のみを責めずして先進の老成人に向ても所望の箇條ありと申すは今の老成人もむかしは壯年有爲の人物にして社會に立身を求めたる者なりしが其これを求るや例の如く官途の外に安宅を見ず最初の程は其人も西洋の説を説き不覊獨立斷して自力に食み以て社會の通弊を矯るなど由々しき言を放つと雖ども顧みて官途を見て好地位あれば之に就て宿志を伸ばし功名を成すを常とす是れは人々の了管次第時の宜きに從て身の方向を定め以て男子の事を爲すものなれども或は其心に官途を欲せずして唯餘義なき事情なるものに迫られ斯く斯くの次第、云々の譯にて遂に不本意ながら例の安宅に歸する者も亦少なからず盖しその不本意とは虚に設けて云ふにあらず眞實の不本意なることは我輩も傍より敢て保證する所なれども彼の餘義なき事情の力甚だ強大にして之に抵抗すべからず即ち其事情の枝葉を除て正味を煎じ詰るときは生計の一件にして差向きの要用のために官に就くものなれば素より己が志を達せんとするの目的にもあらず又或は既に政府の要處に居たる者が其處を去るに當り斷然冠を掛るよりも閑散氣樂の地位をとて散官に就き至極靜に日を消する人も甚だ多きが如し此種類の人は世間に名望も低くからず身に才力もありて今は久しく官に在ることなれば多少の資産もあるべきなれば我輩は特に之に向て一奮發を所望せざるを得ず如何となれば其人の履歴最初より官途を好まずして之に就き又は好んで之に就きて得意たりしも其得意の時は既に通過て今は無聊に苦む程の有樣なるが故に幸に其身に附きたる名望と才力と資本とを利用して純然たる商工社會に新地位を占め全く官途に離別して獨立の事業を起すときは其身に利するのみならず率先の實例を後進生に示して其鋭氣を引立るの功能實に洪大なるべければなり老成人の言を聞ば云く吾々は年既に老したり何も社會に望む所なしと云ひながら其所在は尚官途なり假令其身一代は是にて相濟むものとするも先進の擧動は後進之を學ぶべし先進後進次第に相學び天下後世の人が皆今の老成人に傚ふて唯無事閑散を是れ求て恰も官途に隱遁するの工風をなしたらば此社會を如何すべきや後世のため我輩の深く憂る所にして況て今日の時勢、民間に爲すべくして爲さゞる可らざるの事業甚だ多き場合に當り此流の老成人を閑却するは國の爲に惜むべし長老の先輩に對して失敬の至なれど敢て其考案を煩はすものなり

士人處世論(續)

日本は官吏の極樂國にして苟にも官途に就くことを得れば第一御用向は民間の仕事と違ひ餘り劇しくもなくして毎日出勤退出の時刻もあり其前後の時間を利用すれば私用を達するに餘りあり日曜の全日と土曜の半日これに加ふるに暑中の休暇半休暇年始年末の休日等を以てして民間の繁劇に較れば官途の一年は僅に民間の六箇月に足らずと云ふも可なり第二には月給に差等あり其少なきものは誠に少なしと雖ども日本人の才能に割合すれば平均して少なからず如何となれば如何なる小官にても之を求めて之に群集し大抵の事情にては辭表を差出さゞるのみか免職を恐るゝこと甚しきを見て其給料の尚ほ豐なるを知るべければなり第三には官途の人は錢の外に無形の權力なるものありて世間に對するの顏色甚だ高し殊に田舍地方にては官の效力最も著しくして苟にも官員樣と云へば之に接するの用向の公私を問はず一種特別の人種の如くに取扱ひ例へば平民と官員と等しく錢を拂ふて同席に飮食し又は角力芝居など見物する時にも其場に雙方相對すれば年齡の長少を問はず、家の貧富を問はず又その人物の智愚を問はず唯一方は官員なるが故にとて之を崇め尊ぶこと實に不可思議とも申すべき樣なり尚これよりも著しき奇觀は官員樣が蒸氣船車の下等に乘り素町人土百姓が中等上等に乘り船中車中は上中下の差別嚴重にして上等の客は錢丈けに光り、下等は下等丈けに窮窟不自由なりと雖ども扨この客人が船より上陸し車より下るときは忽ち顏色を改め曩きの上等客も下等の旦那樣に向て平身低頭せざるを得ず實に人間世界の奇觀なりと雖ども是れが今の日本國中の風俗にして強ひて官員の方から威張るにもあらずして四方八方より迎へて之を威張らしむるは是非なき次第と申すべきのみ

右の如く日本の官途は甚だ割合よきものにして之に就くものは實に難有仕合なるが如くなれども極々その内幕に入りて内情を探れば外より見たるほど左程に結構なるものにあらず御用が劇しからずして餘暇ありと云ふも其餘暇は存外役に立たずして是れまで官員が公用の餘暇に斯る大事業を成したりと云ふ話も聞かず詰り人間の身は樂なれば樂に慣れて又その樂事に忙はしきことゝ見ゆるなり又月給の割合が宜しと云ふも唯目先きの事にして其割合が宜しければ他に割合の惡しき附合もあり人の知らざる出費もあり決して手取りの純益たるべからず論より證據には今の官途社會に金穴は稀にして清貧の君子多きを見て知るべし又官員樣は甚だ尊しと云ふも其尊きやむかしの如く世祿に伴ふたる尊位にあらざるが故に一朝の榮華は牽牛花の花の麗はしきに異ならず其身終るか又は辭職免職の災難降り來るときは前の榮華は却て心を惱すの媒介となり親類朋友に面目なきのみか家内のものに對しても何となく身巾狹くして人に云はれぬ苦痛は如何ばかりなるべきや是等の事を前後思慮分別すれば官途決して極樂世界にあらず樂中苦の種子を孕み、苦樂相半して初めは吉し終りは凶しと判斷するも可なり過日時事新報の士人處世論(九月二十八日以下の社説)に此邊の事を記して看客諸君は既に一讀せられたることならん就ては世間の有志者も家に一錢の資産なくして身に相當の才能を抱き然かも不幸にして其才能が唯官途一方の注文に應ずべくして東西南北、身の振向けに窮したる者は格別なれども廣き人間世界を見渡して何か自力に叶ふ仕事もあらんには其方に取て掛りて永久獨行私立の人とならんこと我輩の冀望に堪へず官尊民卑は今の日本の風俗にして血氣の壯年輩がこの有樣を見て人に威張らるゝよりも自から人に威張るの身分たらんとて煩悶するは至極尤もなる次第なれども此風俗は唯わが國封建政治の餘襲にて永く續くべきものにあらず官途の事固より尊し官吏の身固より重しと雖ども唯政事上に就て尊重なるのみにして扨一國の仕事は政事のみにあらず商賣工業學問の事一も大切ならざるものなくして其大切なるは政事の大切なるに異ならず左ればこの大切なる事を執る商工の人又學問の人は其尊重なること官吏に較べて少しも相違あるべからずとのことは誠に明白至極の事實にして西洋文明の國々にては今更怪しむ者もなけれども唯我國の文明は年齡尚ほ若きがために封建時代の稚き臭氣を脱すること能はずして今の如き奇妙なる風俗を見るのみ、文明の進歩は矢の如しいよいよ進歩するに從ふていよいよ商工學問の尊きを知り之を根本にして國を立るの日決して遠きにあらざれば民間の人は隨分その身を大切にして自から我身を重んずべきものなり

人民自から自重して官途牽牛花の榮華を慕ふ勿れとの次第は前にも記したる處なるが、之に付き我輩が思ひ當りて愚なりと評する者は各地方田舍の人物なりつらつら田舍の樣子を見るに郡區長書記町村吏など申す輩は大抵其土地にて相應に財産あり名望あり又才智ある者にして官撰民撰の法にて推擧せられ採用せらるれば是非なき次第、何も人間世界の務なれば奉職も然るべし殊に郡區長などは給料も餘り少なからざるが故に無産の人には隨分一時の生計なれども其以下に至ては月に十圓か二十圓なる者は稀にして三五圓なる者は甚だ多し迚も一家の衣食に足らざるのみか主人ひとりの費にも覺束なき次第なれども此小給にも拘らず甘んじて職に就き數圓の月給のために一箇月を繋がれ毎日事務に忙はしくして平氣なりとは解す可らざる勘定の數ならずや甚だ怪しむべきに似たれども其内實の事情を尋れば此輩が奉職するは素と錢のために非ず唯外聞外見のためにして何長とか何書記とか云へば所謂官員樣の如くに聞え世間への押出し何となく威丈高くして愉快に堪へず即ち其愉快を買はんがために家事を打捨て心魂を碎き風雨寒暑をも厭はずして出精相勤る者多しと云ふ之を聞いてますます不審に堪へず本來その人が眞の貧窮か又は樂隱居の流にして僅に三五圓金にても之を以て家の計を助け又老後の樂みにするなどのことなれば尤にも聞ゆれども家に相應の資産もありて主人の年齡は分別ざかりとも申すべき倔強の男子が大切なる家産經濟の事をば打忘れて其行く末は何とする丁管なるや何村の戸長殿は月給五圓、公務忙はしくして時々集會等の事もあり或は縣廳に出頭して滯在中は同僚その他の交際もあり一月の月給は一夜に費して足らざれば都て持出しとなり三年の奉職に堅固なる身代も動搖して危しと云ふが如きは其例も少なからず無分別も亦甚だしきものなり人間萬事金の世の中になりて金力即ち榮譽面目となるべきは文明進歩の定則にして我日本國も今正にその方角に赴かんとするの最中、各地方の人も專ら其邊に心を用ひて先づ自家の私を富まし集めて以て國の富強の源を深くするこそ今日の急務なれ既にわが政府が近來意を鋭くして人民に節儉勉強を勸るも其邊に深意あることならん而してその勉強とは何ぞや利益の割に合ふ仕事を勉るの義よりも外ならず然るに人間實際の仕事に大小あり人物に才不才あり不才の人が大事に當らんとするも固より叶ふべきことにあらざれば是れは議論の外として扨才力ある人物に仕事を授くるには其力に相應すべき者を撰ぶこと甚だ肝要なりとす之を軍事に喩へて云へば小隊長あり中隊長あり又大隊長あるが如し即ち隊長たる者の才力に應じて人數を授くるものにして小隊長の力ある者に大隊の人數を渡すは固より危きことなれども左ればとて大隊を指揮すべき人物を小隊長に用るも亦甚だ不利なりと云はざるを得ず如何となれば人才乏しき世の中に幸にも大隊長の才を得たるに之に任ずるに小隊指揮の事を以てするは恰も其人の働の四分一を利用して其三分を棄るに異らず即ち萬圓の金を二千五百圓に通用する者なればなり左れば此人物が何ほど勉強して何ほど巧に兵士を用ひても詰る所は小隊の人數なれば其勉強の四分の三は全く無益にして勉強せざる者に等しと云はざるを得ずこの利害果して人事の實際に相違なきに於ては今日各地方にて家の資産厚くして事業甚だ忙はしく例へば地價幾千幾萬圓の田地山林を所有し自家に人夫を役して耕し又小作に貸し或は酒造の業を營み又は質屋問屋の店を張り出入は繁く之に眼を配る者は唯主人一名にして主人の家に在ると在らざるとの損益は毎日の帳簿にこそ記す可からざれども年の終に之を計りて不在の年と在宿の年と比較すれば驚くべきほどの相違を見出すべく實に主人の一身は一年幾百幾千圓にも當るべき其大切なる身分を以て計ふるにも足らざる月給を領收し忙はしく公用に奔走して私用を留守にするは所謂勉強を空うするものにして大隊長が小隊の指揮に忙はしきが如し假令へ其身には閑暇なくして勉強したる積りにても經濟の點より之を見れば公私兩樣のために不勉強なる者と云はざるを得ず然かのみならず勞して報酬なき仕事に身を慣らして其際に私の産を破り榮譽權勢の本源なる金力を失ふて一時の方向に迷ふ尚その上にも日本社會は日に月に金の世の中と爲り金さへあれば天魔鬼神も之に降伏するの時勢に立至るべき其日に於て昔年の吾を思ひ出し彼の財産が其まゝありしならばと後悔するも益なかるべきものなり

我輩は前日の紙上に地方田舍の人物が文明の時勢を知らず徒に官途の尾に附て公私の經濟主義を忘るゝは愚なりとの次第を述べたれども斯く云へばとて我輩の微意必ずしも公用を賤しとしてこれに從事する者を邪魔するに非ず唯貨殖經濟の點より見て公用私用に論なく家の貧富、人々の才不才に從て各その力を盡すべし、假令へ公用なればとて自分の經濟のために利益なき事なれば之を勤るよりも他に仕事するこそ身の榮譽にもなり又天下富強の基にもなるべしと論する迄にして此論旨既によく讀者の耳に達したらば爰に又地方の人物に警しむべきものあり即ち其地の富豪とも稱すべき家の子弟又父兄が動もすれば家を棄て又家を移して都會に出で大に方向を誤るの一條なり血氣の壯年が都會に慣れて田舍を嫌ひ都下の學校に入りて卒業でもすれば諸方に奔走して官途を望む者少なからず是れさへ我輩の常に大に悦ばざる所にして學業成るの後は早々故郷に歸りて父祖の遺業を繼ぎ又自から新事業を起し所得の學問を田舍の土産にして之を家業の方便に用ゆべしとは毎度これを語り又紙に記したることもある其最中に地方富豪の少年子弟ならで其父兄殿が折々出京して官途を窺ふの樣子あるは誠に以て驚入りたる次第にこそあれ官員社會の威張りて景氣よき其外見に心醉し吾も景氣に仲間入せんものとて家業も打忘れ財も打棄て恰も夢中に熱心して彼の所謂牽牛花の榮華を慕ふ者は迚も物の數を以て説くべきにあらず唯後日其人の失望して自から後悔するを待つの外なし地方に居れば幾巨萬の資産家にして衣食身に豐なるのみならず勢力の及ぶ所甚だ廣くして恰も無位無官の地頭とも云ふ可き重き身柄の其人が何省の何等出仕か甚だしきは何等屬にして月給僅に何十圓を謹で頂戴いたして得々たるが如きは全く數の外の考に出でたる者と云はざるを得ず試に爰に額面一萬圓の公債證書あれば利子の歳入七百圓あり之を十二箇月に割りて月給にすれば殆ど六十圓に當り屬官の最上、或は奏任御用掛りの俸給にも耻ぢず田舍大人に一萬圓の公債證書を所有する者は甚だ少なからず座して其利子を請取りて別に本業を營むべきに此公債證書は東京漫遊中即ち官途熱心中竝に都鄙の往來友人の交際又は止むを得ざる義理合の貸金等に用ひ盡して今は祖先傳來の田園も其全璧に少しく瑕を付け扨その出來上りは幸に何等出仕何等屬とは冥加至極難有仕合なるべきや我輩は唯その無算無分別に驚くのみの事なれども今一段を進めて地方の人にも少しく利害損益の數を胸算する者なきにあらず其胸算に云く我家に幾町歩の田地ありて小作米二百俵八十石の價五圓相場にして四百圓、この田地と共に山林を併せて賣却すれば凡そ六七千圓の資本を見るべし此資本を携へて東京に行き住宅に千圓を費し殘りの六千圓を一割二歩に運轉すれば年に七百二十圓の利子あり之を活計の根本として乃ち官途を求め我力よく百圓以上の地位に就くこと易し、百圓より百五十圓に昇り又飛で敕任三四百圓も難からず即ち殿樣奧樣なり卿も亦不同意なからん迚夫婦相談の上數百年來の不動産を賣却し二三の子供を携へて都下に移りたる其謀は進で成らざれば退て六千圓の資本に依頼するの兩端にして甚だ大丈夫なるが如くなれども官途は例の如く空位少なくして故郷に在りし時に在京の友人より得たる手紙の趣と全く相違するのみならず去年自分が出京して何某殿に固く約束したることも今は忘れられたるものゝ如し我力に易しと思ひし百圓の地位は既に已に斷念して五十圓も尚ほ容易に來らず多方に奔走依頼して好き返詞を待つこと一日三秋の如くにして百日三百秋を過ると雖ども音も響きもなし左りとては郷里の朋友親戚に對して遙に面目なきのみか直接に玉の輿を約束したる細君にも違約の罪あるを如何せん是に於てか彼の六千圓の根本に立戻りて運轉を試み其運轉いよいよ活溌にして失敗も亦いよいよ活溌の色を現はし富士山の白雪も旭日に照らされて消す、況や田舍大人の資本金が都下の高利社會に露出して投機熱界の狂風に吹かるゝに於てをや忽ち消散して痕跡なきこそ氣の毒なれ窮鳥枝を擇ぶに遑あらず今日となりては何ぞ地位の好否を論ぜんや厚顏にも哀を知己の門に乞ふて僅に細官出仕の榮を辱うするのみ是等の慘状は毎度我輩の竊に聞く所なれども世間の人の廣くこれを知らざるは當局者が自から自分の失策を語るべきにもあらず又傍よりその事情を見ても一個人の私に係ることなれば誰れと名指して新聞紙に記す者もなく以て事實の多きを掩ふて無事の如くに見ゆるのみ之に反して赤手田舍の幽谷より飛出し七轉八起さまさまの苦樂成敗の後終に宿昔の志を達して喬木の梢に得々たる者なきに非ず其實は極めて稀有の例にして千萬中の一なれども其評判は甚だ高くして世間の耳目に觸れざるはなし盖し地方の富豪大人が今日にても頻りに東京に官途の出身を求るは此千萬中の一例を聞傳へて一發一中と誤り認ることならんなれども其實は萬發一中に過ぎず之に欺かるゝは智者の事にあらざるなり譬へば賣卜者に依て吉凶禍福を占ふが如しその中らざるときは依頼者の常の情として人に語る者少なきが故に世に知る者なしと雖ども偶然に中ることあれば凡庸の喜に堪へずして之を聲高に言ひ觸らし何某の易は實に神易なり何月何日何事に就て一占一中斯の如しと事實を擧げて之を證して世間の耳に達する所は占ふて中らざることなきものゝ如し是即ち無學無識の愚人が賣卜者に群集して常に竊に失望する由縁なり今田舍大人が千萬中一例の立身を聞傳へて萬人皆然らんと思ひ込み可惜郷里の財産を賭にして都會に浮かれ出す其愚鈍は賣卜者の店に跪いて吉凶の判斷を依頼するの愚に等しきのみ我輩は之れを傍觀して竊かに捧腹せざるを得ざるものなり

經濟論に於て動産、不動産、金錢及び人の勞力藝能等を以て資本と名くるは普通のことなれども又一説に據れば人の信用榮譽も亦資本なりと云ふ者あり例へば下等社會に金の利足は甚だ高くして上等社會に行はるゝ大金の貸借は即ち然らず貧乏人は金に對して信用薄きが故に利足も自然に高くなるべきの譯なり上等の大家にては求めて金を借用せざるのみか他より之に金を預けんと申込む者ありても容易に承諾せず、預けの期限が短くては面倒なり、期限長くも多く利足を拂ふては迷惑なり云々と我儘千萬のことを云はれても貸方は立腹もせず何分宜しくお頼み申すとて金主の方より手を下げて托するの勢なるが故に斯る大家にて商賣を營むには其資本を得ること甚だ易くして利足を拂ふことも亦甚だ少なし之を彼の薄資本の人が百方に周旋奔走して少々の金を借用し裏表に打て返へして利足の高下など考ふに暇あらざる者に較れば大なる相違と云ふべし而してその相違は何に由て然るやと尋れば大家の主人に信用あり榮譽あるが故なりと答るの外あるべからず左れば人間居家の經濟に於て他人の財産を測量し又自家の貧富を計算するにも唯目に觸れ手に執るべき動産不動産又は金錢等のみを計へ上げて何程と締高を見るは尋常の法なれども未だ盡したるものにあらず經濟の本旨とあれば此締高の外に必ず其家に屬する信用と榮譽の多寡を勘定せざる可からざるなり

右の經濟の道理が果して事の實際に相違なきものならば前に云へる田舍の大人が祖先傳來の不動産を賣却して官途を志願に都下に出でんと決心したるときには其價を時の相場にして六千圓と積り斷然他人に讓りて遺憾なきが如くに思ふ可けれども是れは唯目に見るべき有形の資産を賣りて代價を請取りたるまでにして數百年來その地に住居し恰も一種の地頭の如くにして遠近の人心を歸服せしめたる其信用と榮譽は無代價にて棄てたるものと云はざるを得ず、從來田舍の大家にて富を積むの法は至て緩慢にして農業に人を役するにも商業に物を賣買するにも法律と道徳とを半分づゝ調合して兎角人氣に背かざるを旨とするが日本國の風俗なるが故に其地の家柄とあれば小前の者共は之を仰くこと主家の如くにして平生の恩に報るに律儀を以てするの意味を含み大家に利を得ることも少なけれども貸借等の事に就て間違ひも亦少なくして其際に言ふべからざるの便利あるは我輩の能く知る所にして當局の人は現に其便利に依りながら之を棄てゝ惜しむ所なしとは其無算無分別唯驚くに足るべきのみ田舍の大人若しこゝに疑あらば我輩假に一策を設けて其可否を君に質さんとす我輩幸にして家に十萬圓金あり東京の住居は俗にして面白からず田舍の閑靜を樂しむの傍に貨殖の念も盛なれば此の十萬圓を田舍に移して田地を買はんとす、近來は地價下落したるよしなれば一反歩の價平均四十圓として十萬圓の内八萬圓を投して二百町歩を得べし即ち二三箇村中、全權の一大家、小作米の收入も年に幾千俵に下らずして儼然たる小地頭なり尚ほ殘りの二萬圓は相當の利子を約束して其地方遠近の貧乏社會に貸付け貧者は悦び此方には利あり亦美ならずや此策果して如何と質問したらば君は之を贊成すべきや我輩はその必ず然らざるを信ず、君若し我輩に對して深切の情あらば必ず此狂策を非して云く田舍に地主となりて大門戸を張るは一朝一夕の事に非ず數十百年來種々の關係、樣々の因縁を以て土地の人情風俗を知り其人情に從ひ其風俗を破らずして冥々の間に恩を施し惡を懲らす積年の恩威に依りて地方一般の信用を得ればこそ富豪大家と仰がれて自から家も安く財産も固きことなるに今都下の金持が突然其資本金を移して即日より舊地主と一樣の地位を成さんとするが如きは無算の甚だしき者にして其資本に對するの利益を見ざるのみか數年を出でずして元金を併て一蕩するの禍に罹るべきや疑を容れず從前既に其例もなきに非ず云々とて只管我輩の企を止めて丁寧に其非を忠告せらるゝことならん扨この忠告にして果して事實に適中して違ふことなくんば今我輩はこれを逆にして地方の大人が不案内なる都會に出でゝ不案内なる官途に熱中し一事の成るなくして祖先以來の資産を蕩盡すること都下の金穴が田舍の大門戸たらんと企てゝ彼の十萬圓金を擲つが如くする勿れと忠告するものより外ならず大人必ずしも我輩の言を耳にするを須たずして自から發明する所のものあるべし、人間の信用榮譽は容易に得べきものにあらずして之を利用することも亦易からず非常の英雄に非ざるより外は先以て其地方を重んず都會に得たる信用榮譽は之を都會に用ひ田舍に得たるものは之を田舍に利用して身を誤り家を破ることなき者これを中人以上の智者と申すなり我輩は今の後進士人が心を一にして唯官途のみに志すを好まず殊に地方に財産の豐なる大人が祖先以來家に固有する有形無形の資産を空うして都會に出で貧書生と共に仕官に熱中するが如きは富人にして貧人の爲を學ぶの無算無分別その愚も亦沙汰の限りなりとの次第は前既に之を述べたり斯く論ずれば田舍の人は何時までも田舍に住居して都會と交通を絶ち都會の風を知らず又他の地方の消息を聞かず唯田舍の井戸の底に居て質素儉約、飮まず食はず見ず聞かずして金さへ溜れば則ち可なりとの意に會釋して血氣の壯年輩は不平を抱き、去りとては地方の人民に政治思想の發達、覺束なし又田舍に蟄居しては兎角時勢に後れて人品迂濶に陷ること多しなど憂る輩もある可ければ我輩は念のため此輩に向て爰に一言するも不用ならざるべしと信ず抑も我輩が地方の富豪に勸めて田舍を去る勿れと告るは祖先傳來大切なる田園を棄てゝ都會に彷徨し牽牛花の榮華に等しき官員の地位を求め然かも其花の最も小なるものと家産の最も大なるものと交易するが如きは損亡なりと云ふまでのことにして斯く云へばとて都鄙の交通を絶つの意味には解すべからず數百年來田舍の富豪が一村一落小天地の外を知らずして封建政府の壓制に收縮し才智あればとて其智は戸外に馳するを許されず、資産あればとて其資力は自身の肉體の用に供するに過ぎず實に政治の思想に乏しく又その働きもなかりしは明白なる事實にして今日の文明世界にては其まゝに差置き難し是非とも其思想の發生を促すこと緊要なりと雖ども扨これを促がすの法如何すべきやと尋るときは必ずしも其人を導いて官途に入るゝの要用なきが如し本來政治の思想とは一國の人民が其政府に對するの關係は如何なるものかと之を吟味し政府の權力の及ぶべき限りと人民の權力の伸ばすべき限りと其分界を明にして相互に其境を守り相互に侵入を許さず、法律上に政權の在る所は政府の領分にして如何なる事情あるも人民に一毫の苦情を許さず、法律上に人權の存する所は人民の領分にして如何なる事情あるも政府に一毫の我儘を許さず、苟も法律を外れては雙方相互に取りもせず與へもせずして相對し共に一國の榮譽幸福を目的として文明に進歩するもの之を政治の大主義として尚ほこの外にも國々の習慣、時々の事情も區々なれば之を知るには學問を勸め交際を重んず博く内外の著書新聞紙等を讀み又内外の人物に交り又世間の事情を視察してわが知見を開くこと最も肝要なるが故に封建時代に行はれたる地方蟄居の遺風は固より之を守るべからずと雖も其書を讀み人に交るの事は必ずしも人間の奇行と云ふべきものにあらず昔日の田舍の農商等がこの邊に迂濶なりしこそ實は奇妙不思議なることなれば今の人にして之に心掛るは誠に當然の義務にして又その方便にも乏しからず我輩は最初より地方の人物を頼み甲斐ある者と信用して疑はざるものなるに然るを今其人が神妙にも私立獨行して官途に冷ならんとすれば同時に政治の思想を失ふならんとて傍より之を心配するが如きは本來政治思想の何ものたるを知らず所謂役人根性を免かれざる者の私言にして其心事の賤しきこと推して知るべし

又地方の田舍に居れば兎角時勢に後れて迂濶に陷るとは是亦謂れなき言にして實は其發言者が時勢を知らざるの罪なり三十年前に東海道五十三次ぎは十五日を費し、江戸より長崎四百里の往復は三個月にても覺束なく、大阪への文通六日限りの状賃は一封金二歩(保字小判の半分なり)にして川留あれば十日にも達せずと云ふが如き時勢ならば成るほど田舍の住居は蟄居にして容易に旅行も叶はず奧羽の人が肥後薩摩を見たることなきのみか肥後の人が薩摩に入ることも難く、江戸の人は生涯川崎へ三里の旅行を試みずして江戸に死し、兄弟相去ること五十里幸便に任せて年に一度の手紙を得れば涙を垂れてこれを悦ぶなどの奇談もあらんなれども畢竟時勢に後るゝとは直接間接にわが耳目の達する其區域の外に新らしき事の行はれて其事を知らずと云ふの意味なれば其耳目の區域を廣くするの方便さへあれば時勢に後るゝの憂あるべからず而して其方便とは何ぞや蒸氣船車と電信郵便と又今の日本にては馬車人力車も中々以て有力なるものなり何れも人間交通の利器にして之を利用すれば日本はむかしの日本にあらず我輩今日武藏國に住居する身を以て見ればむかしの日本六十餘州を武藏の一國に縮小したりと云ふも可なり去れば地方の人物が所謂時勢に後るゝことを憂ひなば汽車汽船に乘り足らざれば馬車人力車を用ひて思ふ所に往來し郵便を用れば日本國中十日以内に書状の達せざる所なし電信あれば即日に世界の消息を聞くべし況や近來は各地方にて道路を開くことも頻りにして鐵道も亦工事を始むるもの多きに於てをや巧にこの交通の便利を用れば今日の吾々は恰も身に羽翼を生じたるものにして三十年前の先人が蠢爾として芋蟲たりし不自由を愍笑せざるを得ず斯る劇しき交通の中に居ながら地方の住居は何故に時勢に後るゝや若しも然る事實もあらば其は田舍住居の罪にあらずして其人の心身の不活溌なるに由るものなり心身に活動なき鈍物なれば假令へ之を東京の中央に置くも時勢に伴ふことは叶ふべからず左れば地方の田舍に住居して時勢に後るゝとの説は世の事の變遷を知らず三十年前の田舍を想像して今尚ほ殊更に不自由を畫き、容易き活動を試みずして態と自から蠢爾たる者なれば地方有志の人々は斯る陳腐説に欺かるゝことなく自力を以て其地に文明進歩の謀を爲すべし郷里の不文を口實に設けて都下に彷徨し竊に官途の小地位を窺ふが如きは男兒の事に非ざるなり

士人處世論終