「日本婦人論を讀む」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「日本婦人論を讀む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本婦人論を讀む

日本婦人論を讀む

拝啓仕候承れば日本にては近來婦人論大流行の由、當地にては毎度奥樣の跋扈に恐縮し居る最中、東洋の隅の日本にては婦人の無氣力を歎ずるとは世界もさてさて廣きもの哉と被存候得共過日時事新報の日本婦人論を讀み又小生が日本に在りし折の經驗を思ひ合せて推考致し候に日本の如き國柄にては婦權擴張論の出で候も御尤千萬と奉存候或は無理に説を作り婦人は男子よりも愚にして弱きものとするも愚弱なるが故に踏み倒して可なりとの理由はあるまじ國に政府あり法律あるは智にして力あるものゝ爲めよりも寧ろ弱を助けて強を制するとの主意なれば情理に濃なる文明人は愚弱なるもの程ますます之を保護せねばならぬ筈なり東洋の諺に女性は罪深しと云へど罪深しとて邪魔にされ數百年來卑屈の淵に沈みたる者と女子教育の自由を奪ひ之を精神の奴隷と爲して獨り自から威張りたる者と孰れか其罪深かる可きや佛家の巧辯を以てするも尚之を言ひくろめ難るべしと被存候左れば日本の男子達も過去の罪業を悔悟して婦人に相當の自由を與へ婦人も亦自から其地歩を高むるに至らんこと重畳希望に堪えずと雖ども權あれば爰に責ありと申す格言は日本の御婦人方に於ても屹度失念なき樣に致したく候當米國の婦人達は如何にも鷹揚に相違なく卑屈從順なる日本婦人を目撃しつゝありし小生の眼を以て視れば勿論、女房孝行の米國人にても尚其横風なるに辟易する程なれども米國婦人が斯く鷹揚なるは洋服を服するが故に非ず束髪するが故に非ず〓た頭にボンネツトを戴き指にダイヤモンドの指環を挟むが故に非ず其手に握る所の權に對する丈けの責任を盡すべき智能を脳に貯ふるが故に御座候小生の實驗にて當地婦人には毎動驚服致すこと多きが中に其博學多才にして幹事の能あるの一事には最も感心致し候此點に至ては下宿屋の老婆にても亦容易に侮る可らず近くは先般小生が或る下宿屋にて紐育のインデペンデント新聞に譯出掲載しある時事新報の治外法權論を讀み居りしに下宿の老婆は生が一心不乱なる容子を覗き込み「君には熱心に何を讀み給へるや」と問ひければ小生は之れに答へて「是れこそは書生、商人、日傭取りに至るまで凡そ(Japanese)の形容詞を戴くものは血の涙を注いで讀む所の治外法權論で御座る」と申せしに老婆はドレドレとて其新聞を手に取り頓て之を一讀し了り扨て之を評論してさてさて不條理なる外國人かな其土地に居て其租税を拂はざるとは言語道斷の次第なりと陳述したり流石に米人丈ありて國權などの空談には目も付けず直に税法の金錢談に及びたるは御國柄と知り玉ふべし、兎に角下宿屋の老婆どのが治外法權論を讀んで善くも惡くも之を評論するとは感心なり憚りながら日本の下宿屋の老婆は勿論、歴々の夫人令嬢方も或は此老婆に赤面するもの多かるべしと想像被致候小生の見る所に據るに下宿屋の老婆が新聞の社説を讀み得るは唯學校の教育のみに非ず文明世界は交際繁多にして婦人相逢ふて常に世帯庖厨の事のみを語るに可らず且つ分業宜を得てパンはパン屋、着物は仕立屋、各々其受持あるが故に下宿屋の老婆必ずしも火吹竹を弄し俎板を敲くに及はず自然新聞紙にも注目する餘暇あるが故なり世に米國人は隣家のことよりも外國の事に委はしとの諺あるも畢竟見右の譯柄にして文明社會の分業の爲め婦人の見識も高くなりたるならんかと被存候さて又當地婦人の能力は唯學識にのみ秀づるに非ず前年小生オハヨ州のクリヴランド府に至り府中の萬小間物店に入りたる時其女番頭の商賣に活溌なるに感心せり二三の婦人、大なる間口の店を控え、客の顔色を窺ふて店中の案内賣捌に奔走し忽ち帳塲に駈け付けて金錢の釣りを勘定する等其活溌驚くに堪えたり當地にて八層の高厦に商賣するものは唯婦人あるのみにして有髯の粗大漢は其風を望んで自から不敏を愧づるの外なし或人は右女番頭の甲斐甲斐しき振舞を見て其口にペンを啣へ左手に帳面を披き右手に銀錢を取り出すの氣色は實に火事塲の騒ぎの如くなりと評せしが小生は此言實に的評なりと存候尤も當國婦人とて十人が十人皆な活溌なりと申す譯には無之中には希臘羅甸の字義論には明なれども之を臺所の隅に放てば屋根の上の犬ころ同然の者もなきに非ず或は全く無學無藝のものも有之候へ共是れは男子とても同じ事にて其權利も働きの薄き丈けに薄ければ自業自得に御座候右の如き次第なれば當國婦人が威張るとて譯もなく威張るに非ず目下日本にて婦權擴張論流行の折柄、日本の婦人達も束髪したからとて洋服を服したからとて踏舞するからとて其れで婦權を擴張し得べしと思はゞ飛んだ不心得と奉存候日本婦人論に就き小生の所見大畧如此に御座候