「士族の稱を廢すべし」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「士族の稱を廢すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

士族の稱を廢すべし

野に耕やして菜穀を作くり牛羊を牧する者之を農と云ひ噐皿を製し家具を作くり家屋船車を築造する者之を工と云ひ貨物を賣買して有無相通ずる者之を商と云ふ農工商の別明らかにして其分界判然なりと云ふべし此三民の區別は世界萬國苟も野蠻草昧の區域を脱したる國に在ては必ずあることにて農と云ひ工と云ひ商を云ふも悉皆人生必要の分業に據て各其名稱を下したるものより外ならず天下普通天然の區別と云ふべし人生きて農にあらざれば工、工にあらざれば商何れにしても此三種の外に漏るゝことなく各その業を勸めて違い互に勸勞を交易し各自から爲にするの趣をみれば人間處世の約束は自から愛して自から食ふものと知る可し然るに我日本國には古來封建の餘俗今尚ほ存して此農工商の外に一種無類の區別あり即ち華士族平民の名稱是なり日本全國を上中下の三段に分割し三者各其社會を別にして互に相近づくことの難きは同種の動物にして其族を殊にするものゝ如し仮令へ或は華族にして士族に交はり、士族が平民と同席することあるも唯一處に群居するのみにして相互の〓中には何となく隔意ありて俗に所謂鮒は鮒同士、目高は目高同士と云ふが如き有樣にして華士平三族の區別その判然たるを掩ふ過らざるは猶ほ農工商の自然に職業の區別あるものに異ならず彼の華族なる者の尚ほ今日に存在するは獨り我國のみにあらず歐羅巴諸國に在ても至る所皆之れあらざるはなく又此族の今日に存するは立君の政体に止むを得ざる情實あるが故に華族の事は暫く措て論せず次に士族の事を云はんに元來士族と平民との名稱は士族ありて後ちに起りたるものにて平民の方より起りたるものにあらず日本國人の一部分を士族と名けたるが故に之と區別を立てんが爲め其他の國民を平民と名けたる者にして今の士族とは昔の武士即ち兵士より由來したる名稱なり在〓封建劃據の時代に各國各州の大小名は平生より幾萬幾千の臣下を雇入れ之を扶持して非常の用に備へスハ事起れりと云ふ時は此家來共を旗下に召集して敵の侵入を防ぎ又時宜に由りては之を引卒して隣國を攻め取る抔昔時の武士は命掛の商賣をなしたるものなれば今日の士族とは大に其性質を異にす、即ち昔の士族は兵士たるの實に由りて士の名を得たるものにして今の士族は實の痕跡もなくして空名を帯る者なり明治の變革一朝君臣の義を絶ちし以來君々たらざれば臣も亦臣たらず命掛の商法は王政維新と共に廢絶して最早や營業の道なしと雖ども明治政府は昔の兵士の扶持を没収するに忍びず更に公債證書を與へて其露命を繋がしめ爾來全國の士族は無事無職にして唯國庫の租税を食むの身分とはなりたり經濟より云へば無益至極の譯けなれども左りとて今の士族が其祖先の功勞に由て多分の公債を所持するは一種恩給の姿なれば今更ら之を如何ともする能はず假令又之を如何とかせんとするも其公債の過半は今日已に士族の手を離れて農工商の手に渡り日本全國に散在しあるが故に今之を没収する時は〓なき農工商をして其苦を嘗めしむるの道理なれば固より之を其儘に致し置くより外詮方なかるべし然りと雖も今我輩の所見を以てするに特に此一族に限りて一種の名稱と下し之を士族と號して他の国民と其身分を區別するに至ては其名義の當否に付き聊か不審なきを得ず現に今の士族にして農工商の正業に從事しながら唯其祖先が君の馬前に於て戰ひしことなりしが爲めにとて數百年の後その子孫を士族として特に重んするの理あらば今の海陸兵士并に其子孫をも士族として差支なかる可き筈なるに曾て其沙汰を聞かざるは何ぞや昔の士族も今の海陸軍人も共に護國の兵士にして今の兵士は之を士族とするの要なくして昔の子孫は特に之を重んじて他の国民の上座に置くとは我輩に於て其理由を説くに苦しむものなり固より名は實の賓にして其名は何と呼ぶも等しく是れ日本國民なれば道理に於て差支なきに似たれども人間世界は道理のみの世界に非ず實ありて而して後、名を生ずるは道理ならんなれ其滔々たる天下名より實を生ずるもの亦鮮なからず拙者は何縣の士族なりと云ひ私は東京何町の商人なりと云ひ斯く其肩書を區別する時は其問自然に隔絶の状を生じ今まで談笑自若たりし商人も急に顔色を改めて之に一着を讓り或は途中にて人力車に乗り車夫の素性は元と何藩にて槍一本の武家にして今尚本籍は依然たり云々と聞て車中の客も少しく安からざる思ひを爲すが如きは其例枚擧に遑あらず讀者諸君各自の實驗に反顧して此言の誣ひざるを發明す可し畢竟するに士なり民なり其人類たる性質に何も異同はなけれ共其名を聞て之を輕重するの意を發するは名より實を生するの明證として見る可し左れば名は実の賓ならずして實物却て名の賓なりと云ふも可ならん今我國に於て進歩の一大障礙は同類の國民に段等を分ちて上下の情實相通せざるに在りとは識者の常に憂る所にして此段等區別を廢したりとて實際に差支もなきことなれば封建の遺風に戀々することなく斷して士族の名稱を廢して日本國民の區域を廣くすること一國永遠の大計ならんと信するものなり