「不景氣退散の望あり」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「不景氣退散の望あり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

不景氣退散の望あり

明治十四年の末にてありけん日本全國一般に何となく寂寥不活溌の兆を現はし社會の運行迅速ならず是即ち今日に所謂不景氣の初めて其芽を出したる時にして爾來今に至るまで全四箇年全國農工商業の衰微一日は一日より甚だしく今年春夏の頃は彌々其極度に〓し國内到る處途に餓〓を見るに至りたり然るに此不景氣の真最中不幸にも今年春季時候穏順ならずして爲めに茶の〓の害を蒙ること甚だしく今年製茶の分量は平年に比して僅かに半額に上る位の事ならんとの沙汰なり斯くの如く茶畠の不作なるは固より時候の不順に因るものなりといへども又一方には數年來打續きたる不景氣に自然その畠の手入れを怠り肥料の供給十分ならず無事平穏の日にても兎角發芽のよろしからざるに折も折とて時候の不順に遇ひ内外よりの攻撃に被害の度も案外に甚だしかりしといへり時候の不順は是非はしとするも肥料不足の爲め徒らに被害の度を增したりと聞き人心の疑懼一方ならず折柄又麥作も平年よりは三四割の減少ならんとの風説廣がり遂に實際の饑饉沙汰と爲りたるに此際何者の言ひ觸らしたるにや今年は天保年間の大饑饉年を距る丁度五十年目に當り同しく亦大饑饉年たるの面相を備へ居る年柄なりとて賣卜者流の豫言大に朝野に流行し社會の一部分に於ては只管饑饉待受の手當に忙はしく其狼狽の状實に見聞に忍びざるもの多かりし人間は饑渇の患より甚だしきはなし故に饑饉と聞いて人々既に十分の畏れを懐き居るに加へて饑饉年は即惡疫流行の年なりとの事を忽ち記憶に喚起し今年果して饑饉年ならんには幸にして餓死せざるも惡疫の爲めに生命を奪はるゝ事やあらん兎に角い今年は决して尋常の年柄にあらずとて大手廻はしにも餓死病死の手當さへする者なきにあらざりし然るに此際偶然にも長崎港に虎列刺病を發し其病勢の劇烈なる近年未聞のものにしてこれに罹る者十中の五六は必ず命を墜すべき勢なりスハ虎列刺病の襲來ぞと云ふ間もあらせず諸方に蔓延し無事の地方までも未だ病を見ざるに先づ死の恐るべきを思ひ人々皆活きたる心地はせざりし饑饉惡疫の取沙汰を聞き又其實物に接せんとす人心の常の平を失ふは無理ならざる事なり

斯の如く饑饉と云ひ惡疫と云ひ有形無形の攻め道具を以て數年以來既に已に不景氣の呵責に其心身を疲勞し居たる全國人民の心膽を奪ひ其不幸失望の極度遂にこれを回復して再び社會の繁盛を見るの期なからんかと我輩竊かに憂慮の折柄時候漸く冷氣を增すと同時に惡疫の豫防も其効力を增したりと見え九州其他の虎列刺病も次第に跡を収め今日の實况にては到底其蔓延の力を逞うし得べき掛念萬々あるべからざるが如し一方の惡疫は斯く既に退散せしめたり扨彼の饑饉は如何と顧みるに米に粟に豆に黍に田作畑作に論なく全國到る處として十二分の出來秋ならざるはなく早稲中稲は既に新米と爲りて市塲に押出さんとし農民の歡喜云ふべからず今朝こそ隣村にて饑饉の豫言を聴聞したる者が午後は打集ひて豐年踊りの内相談を始め鎮守の臨時祭に神樂、村芝居を寄進し役者、神樂師の繁忙一方ならず萬民漸く鼓腹撃壤の瑞相を現さんとする勢なり日本全國の稲田平年の収穫は凡そ三千萬石なり今年は豐年にて平均二割を增したりとすれば此過剰の分六百萬石一石を四圓の相塲としても金にして二千四百萬圓なり米ばかりにて既に二千四百萬圓の臨時収入なり一切の農作物を合計したらんには必ず四五千萬圓の得益なるべしこれを全國の人々に割賦すれば一人に付一圓乃至一圓三四十錢の割前に當たるなり數月前まで事實と想像との饑渇に迫まりたる人々が尋常得益の外に更に又一人に付一圓何十錢ツヽの臨時収入を得たりといふては喜ばざらんと欲するも得べからざるなり盖し全國農民の歡喜は或は事實に過ぎたる塲合もありて未だ容易に不景氣退散を賀すべからざる事情もあらんかなれども人民は全四箇年間の不景氣に人の説諭を待たずして疾く自から勸勉節儉の極度を守り兎に角に今日まで辛抱したる其精神は今日以後も容易に拭い去るべきにあらず隨て今年の豐作に得たる臨時得益はこれを前數年間に失ひたる各種の損毛に比し誠に微々たる金額なるべしといへどもこれを利用して實益を収むるの工風に於ては决して不足する所あるましく四五千萬の小資本遂に四年間の不景氣を退治するの大事業を成すべきやも知るべからざるなり近日横濱にて輸入品の取引高大に增加したりといひ又各地方よりの報道に依るに呉服太物〓の織元又は綿糸製造塲等は近來俄に景氣を回復し業務頗る繁忙なりといふなど是等も恐らくは今年豐作の影響にして不景氣退治の大業既に其緒を開きたるの吉兆にはあらざるか我輩は數年以來幾度か不景氣の夜が明けかゝりたりと見て遂に朝日の昇るを見ず失望に失望を重ねて今日に及び又候東天の白らむを見て今度こそは間違ひもなく夜の明くるしるしならんと先づ大に喜を表し重ねて失望せざらんことを祈るものなり