「優勝劣敗恐るゝに足らず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「優勝劣敗恐るゝに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

優勝劣敗恐るゝに足らず

R.H.氏の名を以て投書せられたる「開國雜居一日も遲疑す可らず」の一編は最も我輩の心を獲たるものにして之を十月二十二日の時事新報に記したりしが今かの緒に就き聊か鄙見を陳べて氏並に世間大方の教えを乞はんとす

優勝劣敗は天の約束なれば此約束をして實際に行はれしめ心身の力を致して強者優者と競走し以て弱劣を變して強優に至らしむるの方便は開國雜居に在りとの卓言我輩の敬服して異議なき所のものなりと雖ども今一歩を進めて考れば開國雜居以て優勝劣敗の緒を開くときは我日本國は必ずしも劣位に居る者にあらず

或は其心身の資力、平均の上に擢でゝ素より既に優位を占る者も多かるべし今虚心平氣に歐米文明の人を見るに其智徳共に甚だ高尚なる人物あり我輩の常に敬愛欣喜して止まざる所なれども又一方より其裏面を吟味すれば取るに足らざる無智無力の輩も甚だ少なからずして其卑屈醜体は我輩の親しく見聞する所のものなり

日本國人悉皆無智無徳に非ず歐米國人悉皆有智有徳に非ず然るに世界の評論に任すれば歐米を最上の文明と稱して我日本をば其亞流に位せしむるは何ぞや吾々日本人が今日尚を國を鎖して外國の人に遠ざかり彼れに對して果して其優劣如何を知らしむるに由なければなり

之を知らざる者は之を評するに由なし漫然第二等の地位に置かるゝも是非なき次第なりと云ふべし或は又然らずして事の實際を吟味し日本には實に劣者多く歐米には實に優者多くしてその割合の數に由りて双方の國に優劣の評を下したるものなりと云ふか斯の如きは則ち日本國中の優者こそ誠に不幸なりと云はざるを得ず

日本の優者は同胞の衆劣者と雜居するが故に劣名を蒙り歐米の劣者は其優者に混同するが故に優名を博するとは事の公平なるものに非ず之を喩へば米商會社にて米を評價して奧州米と武州米と價格を異にするが如し

武州は上米にして奧州の上に位すべしと雖ども是れは唯俵の全体に就て價を評したるまでにして精密なるものに非ず若しも其俵を開て米の粒々を吟味するときは奧州米中に上米は甚だ少なからずして武州の上米中に下米の混ずること夥多しかるべし斯の如く同じ俵の中に上米と下米と相混雜して奧州の上米は俵全体の下米に由りて下米の相場を立てられ武州の下米は上米に混するが故に上米の名譽を得たり奧州の上米のために考えれば誠に不仕合なる次第にして若しも是れが武州の俵の中に在らんならば其俵の中にても上等の位に居り同俵の惡米共を目下に見下して得々たるべきにその然るを得ざるは俵と名くる圍の中に蟄居して固有の性質を現はすを得ず

米商會社の慣行に從ひ粒に價を得ずして俵に由りて名を取り遂に斯る不公平も生することなれば今この俵を解て武州米も奧州米も同じ筵の上に振ひ出し扨その米の中にて孰れか上米下米と一粒づゝ撰びたらば下米にして武州の俵より出で上米にして奧州の俵より出るもの多からん優劣ともに各その眞面目を現はしたるものと云ふべし

斯の如くして優者は優者丈けに權力を保ち劣者は劣者相應にその分を守り又曩の投書家の説の如く劣者なりとて優者と競爭すれば劣を變じて優と爲し優劣相互に交代することもあるべし

文明の進歩として自由自在にならしめんとするには此外に依頼すべき方便なきことゝ知るべし左れば今日我國に於て僅に數箇所の港を開き、外國人に接する者は

僅に少數の人に限り、外國人の公に眠食可き住處は僅に掌大の區域に限り、其自由に運動すべき土地は僅か數里を界とし、其餘の内地は純然たる舊時の鎖國にして無數の日本國人は今日尚未だ外國人の面影を見たることなき者多し

外國人は内地に人ありと聞き、内國人は外國に人ありと聞き互に之を耳に聞くのみにして目に見たることさへなき者が何となく互に技倆の程を知る可きや唯漫然として外國人は強き者なり智惠逞しき者なりと聞傳て竊に之に遠慮するの情あれば外人は之に反して日本人は輿し易き相手ならんと獨り合點し内外優劣未だ試みずして既に定りたる者の如くに視做して一概に之を輕蔑せんとするが如きは正に今日の事の有樣にして此時に當て最も不幸なる者は國中優等の種族なるが故に今この輩をして直に外國人に接して優劣を試みしめんとするには大に内地を開く内外人の雜居を許し彼の上米下米の俵を同じ筵に振ひ出したるが如く日本全國一枚の筵に内外人を撰ひ出し又混同して扨かの上は自然の道理を以て優者と劣者との區別は精密に相分るべし

外人必ずしも悉皆優なるにあらず内人必ずしも悉皆劣なるにあらず假令へ或は然ることもあらんか

優勝劣敗の原則は國の開鎖を以て左右すべきにあらず之を遇慮して退くは進んで劣を變じて優たるの謀を爲すに若かず況や今日の實際に於て我鎖國中に埋沒する優者少なからずして此輩の爲に謀れば退縮は實に其人の働きを伸ばすの妨となる可きに於てをや國を鎖して兼て人才の働きをも鎖すが如きは不幸の甚だしきものと云ふべしむかし徳川政府の時代に天下の人物は諸書の中に埋沒し世評唯藩々の優劣を計へて其藩中個々の人物を問はず日本國中に智徳甚だ乏しきが如くに見えしが王政維新藩を廢し恰も藩々の鎖國を破りて各地方の才不才を擾攪混同するかと彼の米の俵を解きたるが如くせしに前以て思寄らぬ處より有爲の人才を出して今の社會の面に立つ者甚だ多し故に今仮に此大日本國をむかしの一大藩に喩へ其鎖國の風を止め其藩人をして他藩たる諸外國人と擾攪混同するは人才を出

すの捷徑なるべしと信ず聞くが如きは我政府は鎖國を好む者にあらず人民も亦雜居を憚るの色なし我輩は唯外國人が公平を旨として異議を容れず其事の實施を冀望するのみ