「西洋料理」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「西洋料理」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

西洋料理

食物は人身日常の消耗を補ひ筋骨血肉の根本たるものなれば〓〓〓加減は決して等閑には可らざるなり

但し食物の風味嗜好は風土に因て變ずるものにして寒地に住むものは体温を保續するが爲めに好んで脂の多き肉類を食ひ熱帶地方に生長するものは体温を要すること少なきが故に随て淡泊の食品を嗜むが如くなれども割合に一方に偏して食物の均衡を失ふときは久しきに及んで漸く身体の強弱に影響すること事實に徴して明白なり

然るに日本人の食事は割合に五穀蔬菜の一方に偏して肉食の沙汰甚だ稀に日常の膳羞は申す迄もなく山海の珍味など誇稱する料理にても細かに之を分析すれば其膳部の七八分は植物界より來るものゝ如し

或人の説に滋養品を多食するものは血液甚だ濃厚なれども粗食の人は血液も亦淡薄なり左ればにや日本人の血液を以て紙上を染め之を水中に動搖すれば忽ち其疾を滅すれども肉食人の血液は血漿斑々紙上に粘着して容易に一洗し去〓能はずと云ふ時として或は然ることもあらん畢竟日本人が菜食を事として其血液の濃厚を欠ぎたるが故にして日本料理の輕淡に過た滋養品に乏しきことは此一例にても明白なりと雖とも日本人が此料理を飮食する方法に至ては人身生活上更に忌む可きものあるが如し

今試みに尋常の西洋料理店を見るに酒肴テーブルの上に在り飮食の客相對して椅子に倚れば給仕人其間に周旋して更る更る食品を交代す酒は客の飮むに任せて飮み且つ食ひ且談じ肴杯既に盡くれば茶菓を喫して席を立つの〓儀にして誠に簡單輕便なりと雖ども日本料理席にては然らば數客相對して酒肴を命じ酒來り肴至れば客は蜆貝大の杯を擧げて獻つ酬つ相屬し互に時を移すが故に最前の一杯漸く枯膓を潤して又漸く醒め來らんとするとき後杯更に巡り來るの都合にて上戸の〓〓〓獻したるが如く又醉ひたるが如く下戸杯酌に堪へ〓〓ものは頻りに酒を杯洗に注ぎ飮みたるまねして席を〓し〓をして〓を〓にして飮み忽ち箸を下すかと思へば又急にして廁を催し燭涙流れ蓋して杯盤狼藉、〓〓して〓〓〓〓に〓〓團欒の酒氣漸く減して腹出〓〓樂〓〓を〓ふれば三更膳に備えて突然胃の不意を覺ふが如きは日本人が毎度身に冒す所にして左まで珍らしきことに非ず且つ物は類を以て集まるものにして杯盞小に獻酬盛なれば勢酌女の來るを促し酌女來れば更に歌妓を徴集する等ますます醉興に乘ずるが故に日本料理の飮食店は啻に不健康の巣窟たるのみならず往々不品行の媒介を為すことなしと云ふ可からず要するに右の飮食法は野蠻地代の遺風たるを免かれざれば目下文明の風俗流行の折柄、飮食の品質作法等も速に西洋流に改むること甚だ肝要ならんと信ずるなり歐州の諺に佛人の衣倒れ英人の食倒れと云ふことあり

衣倒れの談は他日に讓り英國人が所謂食倒れの評を招きたるは偶然に非ず平生勤勉其職を勵むの代りには日常飮食の美を撰み一夕の饗膳にも世界各國の名品を蒐め禽獸魚鼈珍菓美酒千里の遠きを厭はずして輸送し來り滋味甘美飮食の材料甚だ多し之を日本の膳羞に於て近所山海の蔬菓魚介を集め來り其淡泊を賞する者に比すれば固より同年の談に非ず日本の料理に先刻海より引上けたる魚の鮮肉を細かに切り之に醤油を灌げば刺身と稱し酢に浸せば則ち酢の物となる、鮮魚に食鹽を附けて炭火に上せたるは鹽やきにして醤油味醂をもて煮たる者は煮肴なり、畑の大根を採てこれを摺潰したるは大根おろしにして之を鹽と糠との調合物に漬けたるは香の物なり其調理の無造作にして味の淡泊なること以て知るべし或人の説に日本の食物中この上もなく手間を掛け尤も手重く最も厚味なるものは夫れ蒲鉾ならんか、最早やこれが最上にして此以上に頭角を現はしたるものなしと云ひしも漫ならざるが如し左れば英國人の所謂食倒れとは洗邊荒暴の謂に非ず身體の榮養を目的として飮食の美を盡し而かも英國人は歐米諸國人中特に肉類滋養美味の食物を多食するを以て有名なるものにして實に文明人の所爲とすら申すべけれ日本流の考にては美食は奢品なり實用に非ざるなりなど思ふ者もあらん成程奢品に相違なかる可しと雖ども之を食して心身の快樂を買ひ衞生健康上に一層の活氣を加ふるとあらば是れ亦一種の實用なり人は物の爲めに生れたるに非ず徒に實用の尚ぶ可きを知りて終身兀々物の爲に役せられ遂に其實用の恩澤に浴せざるが如きは我輩の取らざる所なり故に所謂食倒れは文明國人の所爲として決して忌む可き事に非ざれども左ればとて輕淡に過き滋養品に缺乏せる日本料理を飮食するは人身榮養の點に於て甚だ不適當なるが故に一は肉食を奬勵し一は飮食法を改良して日本人の筋骨血肉を健全にするの目的にて我國に西洋料理の流行を促すは衞生上より經國上より共に得策なる可しと信ずるなり