「日本の新聞紙(一〇日まで計三回、八日休刊)」
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時事新報に掲載された「日本の新聞紙(一〇日まで計三回、八日休刊)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本の新聞紙(一〇日まで計三回、八日休刊)
新聞紙は文明の利器なり其文明社會に必要なるはこれを汽船鐵道電線の類に比して優る所あるも劣る所なし
國にして未だ汽船鐵道の類を所有せざらんか假令へ社會の他の仕組何程善美なりといふとも此國を稱して文明國といふことを得ず國にして新聞紙の蠻行なからんか假令へ社會の他の仕組は何程善美なりといふとも未だ此國を目して文明國といふことを得ざるなり我輩躬から新聞事業監督者新聞記事編輯者の任に當りながら自家の本業に無上の重きを置くの言を爲すは聊か無遠慮に過ぐるの嫌ひなきにあらず
或は彼の吾ニシテ草廬ヲ出デ天下ノ政機を裁セズンバ此蒼生ヲ如何センなどいふ村夫子窮措大輩の口吻に倣ふものなりとの誹りもあらんかなれどもこは社會の得失に無關係なる無頼者流の惡口にして苟くも世界の事情に通じ文明開化の貴ぶべきを知る者は我輩の言を待たずして疾く既に新聞紙の重きを承知し居らざるものなかるべし新聞紙は文明社會の必要品にした又其裝飾品なりとは世界萬國の定論にして決して我輩當局者が自慢言葉にあらざるなり
日本は東洋無類の新文明國なり其文明國たるを證するの言は曰く汽船鐵道を見るべし郵便電信を見るべし海陸軍を見るべし學校新聞紙を見るべし諸製造所を見るべしとて其擧ぐる所固より一二事物に止まらず
又其擧ぐる所のもの固より文明社會の證と爲すに足らざるものなし然れども文明は元と社會一般の文明を貴びて一人又は數人の文明開化なるを貴ばず故に汽船なり鐵道なり又諸製造所なり唯其國内に存在しあるのみの事實を見て直ちに社會文明の度を定むべきにあらず必ずや先づ其物の何の力に依りて其國に存在するやと糺さゞるべからず世人皆歐米諸國の海陸の大工事を見て其文明に驚嘆すれども支那の萬里の頂上を見て以て其古代の文明を語る者なし萬里の長城その工業盛にして城の長さは則ち長しと雖ども其長きほどに、益以て當時支那社會の資力の一方に偏したるの實を證するに足るのみ歐米諸國の諸工事はこれに反し衆民が自動自主の力を結合して人を以て天を制するの業を成したるものにして其根柢の堅固なる一二人の力の能く左右すべきものにあらず其物大なれば大なるほど益以て其社會全般の文明富強を煌かすに足るなり然るに今東洋の新文明國たる我日本を顧みて其國内に存在する文明の證據物を點檢し一々其性質を糺したらんには果して社會全般の文明を耀かすに足るもの多かるべきや又は一二人の名譽を博するに止まるもの多かるべきや政府は數人の集まる所にして社會と政府とは自から別々の物なり
日本の如きは殊に然りとぞ而して今此國内に存在する汽船、鐵道、電線、學校、海陸軍部の製造所、商品の製造所等苟くも他人に指し示して暗に我文明を誇らんとするものにして直接に間接に全部に又は其一部分に全く政府の力に依頼せずして成立するものあるや否や學者の宜しく注意すべき所なり、固より二三例外のものなきにあらずといへども此等は實に百中の二三にして二三の例外を示して九十七八の實例を蔽はんとするも到底其効あるべからず
果して然らば今の日本の文明開化は文明開化たるに相違なしといへども其性質寧ろ日本國民の一部分即ち政府の名譽に光りを添ふるべきものにして數人の力能く此文明を左右進退し得べき者なりといふも可ならん彼の鐵道を指し又此製造所を指して日本社會全般の文明を誇らんとするが如きは實に横着手段の甚だしきものといふべきなり然るに文明開化の諸證據物中獨り新聞紙の一事のみは敢て然らず純粹なる社會の所有物にして毫も政府に關係なし啻に政府に關係なきのみならず寧ろ常に其叱責を免れざる程の間柄なり固より此新聞紙とて多數の中には間々賤しむべく又哀れむべき例外のもなきにあらずといへども是等は元と新聞紙發兌を本業にする者にあらずその發兌を名として教育所の窮民を學ぶ者なれば世人も亦かの内實を知り紙中に何事を記しあるも例の窮民が施主のために吐く言なりとて之を度外視して深く咎る者なく之を新聞紙の數の中に入れずして凡そ日本の新聞紙とさへいへば必ず皆獨立自動して其用を盡し世界萬國にまで日本社會の面目を施すものなりとは人も我れも共に信じて疑はざる所なり
左すれば今の日本の文明を證する其物に乏しからずと雖ども其力一も新聞紙に及ぶものなし此一段に至ては今の日本の汽船鐵道等は其勢力實に見るに足らざるものなり日本の新聞紙は日本文明の試金石なりと稱して敢えて不可なかるべし(未完)