「日本の新聞紙(一昨日の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「日本の新聞紙(一昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新聞紙は文明の利器なり國に新聞紙なければ其國未だ文明國と稱するを得ず我日本の新聞紙は鐵道電線汽船の類と違ひ政府の直轄するものにもあらず又其保護を蒙るものにもあらず(萬一例外のものあればこれを除き)獨立自働社會自然の力に依りて成立ちたるものなればこれぞ眞に日本社會の文明開化を映照するものにして一種特別に貴重の性質を帶ぶるものなりとは一昨日の紙上に論ずる所の如し然るに今顧みてこの文明の利器必用品たる我日本の新聞紙を見るに實に不滿足千萬なる事甚だ多し殊に我輩新聞事業當局者の身に取りては慙恨痛憤日夜唯浩嘆の外なき次第にして申すも中々中々おろかなる事なり日本の新聞紙は大別して二種あり一は文字知識に縁遠き敎育上の下等人物を目的としたる繪入りの新聞紙、俗に所謂「小新聞」なるものと一は學識に富み政事世務に熱心なる敎育上の上等人物を目的としたる高等の新聞紙、俗に所謂「大新聞」なるものとにして全國數百の新聞紙中此二種最も多數を占むるなり然るに此「小新聞」なるものゝ弊を言へば記者の精神は唯根も葉もなき作り物語を長長しく書き綴る其筆力の長短如何にのみ在りて而かも其物語は新らしきを避けて故きを温ね多くは皆文政天保弘化嘉永年間の故事我日本の文明史上紀元以前の人情風俗の今と全く相同じからざるものを解き明かして自から得たりと爲すものゝ如く斯る物語を挾き紙面に二ツも三ツも埋めて餘白を殘さず毫かに二三の新奇ならず又都雅ならざる記事を插みて一日の編輯を了るを常とし議論に記事に物語に吾れより自から始を爲したるものとては絶えて無くして稀れに有りと云ふも不可なき有樣なりこれを以て堂々たる東洋新文明國の最も時勢に適當したる新聞紙なりと云はんは我輩の甚だ遺憾とする所なり又彼の「大新聞」と稱するものを見るに事柄こそ違へ我輩が感服すること能はさるの一點に至りては毫も「小新聞」と撰ぶ所なし其社説論説の如き間ま或は識見高遠にして文明世界の尊敬を博するに足るもの少なからずといへども如何せん其着眼する所政事の小區域内に偏して變通の工風を得ず動もすれば固陋詭癖の言説を吐露して大に識者の笑ふ所となるもの比々皆然らざるはなし蓋し其記者輩の意に謂へらく新聞紙は元と政事の主義持論を廣告するが爲めに發行するものなり政事談を爲さゞるの新聞紙は其名新聞紙にして其實新聞紙にあらざるなりと故に先づ其社説に政事を論じ雜報に政事を談じ政府は政事の中心なりとの意にてもあるか毎日數十件の雜報中其五分の三乃至四は直接に政府又は官吏の事に關せざるはなし如何に日本の文明が幼稚にして政府以外に事業なく官吏以外に人なしとの未開の迷夢尚を未だ覺めずといふとも日本自から三千七百萬人の在る有り百を以て一に當たるとするも三千七百萬の人民を以て十餘萬の官吏に對すれば一と三との割合を得べし而して尚ほ政府又は官吏外に日本新聞の記事とすべきものなしといふは我輩の信ぜざる所なり我輩は元と「小新聞」の不雅不改進を悅ばざるものなりといへどもこれを笑ふ「大新聞」其人にして自から政府談官吏談に偏着して嘗て己れの醜を悟ること能はざるは同し

く亦我輩の遺憾とする所なり今の「大新聞」が今の儘の「大新聞」にして吾れこそは文の利器必用品日本社會の裝飾なりといはんとするとも我輩は敢て之を諾することなく日本の新聞紙は未だ文明國の新聞紙たる役目を盡さゞるものなりと返答すべく思ふなり又我輩が日本新聞紙に對して不滿足なるは獨り其編輯上の欠點多きのみならず其配達賣捌等の事に關しても同しく亦然り中に就き殊に遺憾に堪えざるは新聞紙の價の甚だ高直なる事是れなり申すも詮なき事ながら仮りに英國新聞の例を擧ぐれば倫敦のデーリー ニウス又はデーリー テレグラフ などといふ新聞紙は一枚の紙の大さ時事新報の四倍ほどありて其價は孰れも二錢なり時事新報は四分の一の小新聞にして一枚三錢にて賣り倫敦新聞は四倍の大新聞にして一枚二錢にて賣る如何に所變はり品變はればとて自他の相違も亦甚だしからずや而して更らに兩新聞紙の記事如何を比較するに二錢と三錢、四分の一と四倍よりも尚ほ甚だし倫敦新聞は世界萬國に人事を網羅して遺さず記事の過半は殆んと電報より成立つといふも誣言にあらず事を論ずるに直言諱まず状を敍するに細大漏さず紙張大の一紙片正しく昨日世界の人事の寫眞縮圖なりこれに對する時事新報は如何と顧みるに其相及ばざること幾倍なるを知らず我輩爰にこれを細説するを要せず讀者諸君が見らるゝ通りにて明白なるべし新聞紙は日本文明の證據物なり今此唯一の證據物にして斯る醜体を世界に呈す我輩の遺恨限り限りなきも亦無理ならざるべし (未完)