「日本の新聞紙(昨九日の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「日本の新聞紙(昨九日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

今の日本の新聞紙は今の日本社會の文明を映照する唯一無類の貴重品にてありながら全國數百種の新聞紙中未だ一枚も人の意に適ふに足るものなきは我輩が讀者諸君と共に甚だ遺憾とする所なり國に眞成の新聞紙なきは其罪固より新聞事業擔任の當局者に在り我輩決して言を左右に托して強ひてこれを免かれんとすることを爲さず甘んじて其責に任すべしといへども退いて平心に熟考すれば國に眞成の新聞紙なきの罪を取て悉くこれを新聞事業の當局者にのみ負擔せしむるは或は未だ其富を得たるものにあらざるやの疑ひなきにあらず何となれば凡そ新聞紙は其國其社會に有る文明開化を反射映照する鏡にはあれども其國其社會に無き文明開化を算出製造する器械にはあらず即ち其の社會に其の新聞紙あり後來其社會の進歩期して待つべしといふにはあらずして其の社會に其の新聞紙あり現在其社會の進歩推して知るべしとて唯有りの儘の今の文明開化を證明するの道具たるに過ぎざるものなればなり彼の鯨は大海にあらざれば身を託せず盆大の小池には唯鰌目高の類の生息するあるのみ然れども池中鯨を見ざるは其罪鯨にあらずして恐らくは池に在らん今日本東京の時事新報を執てこれを英國倫敦のデーリー ニウス 又はデーリー テレグラフ 等の新聞紙に比べるに鰌と鯨の相違も啻ならずといへどもこれは唯英國の文明は大海なるがゆえに鯨を生息せしめ日本の文明は盆地なるがゆえに鰌を生息せしむるまでのことにして何も怪しむに足ることなし今日にもあれ日本國民の文明開化をして英國人民の度に達せしめたらんには我輩不肖なりといへども遂に渦中に安んずる者にあらず一夜の中に屹度時事新報を鯨化して御覽に入るべし

我輩今の日本國民が新聞紙に對するの擧動を見るに不翻意千萬の事共少なからず文字智識に縁なき敎育上の下等人民(貧富男女混同)は新聞購讀者戸籍外の人口なれば敢て爰に論せず是れより數等上進して文字智識もあり財産賣力もあり國事世務の難きを解して一廉の人物と呼ばるゝ人々にても未だ新聞紙を讀むの必要を感せざる者甚だ多し我輩の目には新聞紙は一種の贅澤品の如くに見え新聞紙購讀を以て一個の物數寄と思ひ倣せり左ればにや本年春夏の際各地方窮民救助の沙汰ある時に當り歴々の家にて俄かに新聞紙の購讀を應したる者少なからず其理由を聞くに新聞紙の配達を受けては家の奢りを世閒に表白し救助米寄附の時にも自然過當の出金を要して甚だ不經濟なりと云ひしことさへあり亦以て新聞紙が居家處世に不要の一贅品視せらるゝの趣きを見るに足るべし或は又新聞購讀の熱心家なりと稱せらるゝ人を見るに好んで新聞紙を讀まざるにあらずといへども之を讀や前年の漢學書生輩が論語孟子を講ずると同一の氣構へにて新聞紙を視ること一部の經典の如くし上社説より讀て下廣告に至り一字一句を遺さず字々句々皆修身齊家治國天下の訓言なりとしてこれを身行服庸することを勉め偶ま多數の記事中一二の誤聞に屬するものあるを見出せば釋迦自から妄語戒を犯し耶蘇自から十戒を破るを見て佛敎耶蘇敎信徒等の失望落膽は斯くもやあらんと思はるゝまでに心痛の顏色を爲す者多きは新聞紙を讀むことの甚だ深切にして其志の殊勝なる新聞記者を感泣せしむるに相違なからんといへども左りとては餘りに人事を辨へざる仕方にして決して譽むべきことにあらず古人も悉く書を信せば言なきに如かずといへり況んや新聞紙は世界にあらゆる千種萬樣の事物を即時即刻に報道して後れざらんことを勉め巧にして遲からんよりも拙にして速かなるを尊び所謂道に聽て途に説く性質のものなるに於てをや人事は間違ひ多く人言は虚妄多し新聞紙も亦一個の人事人言なりとすれば時に記事の間違あればとて強ち喫驚落膽するを要せざるべし又日本人が新聞紙を讀むに甚だ深切なると同時に新聞紙面に植詰めたる幾萬の文字を一字も遺さず讀盡さゞれば滿足せざるの奇癖あるは實に不思議なり新聞紙は讀みたれども稼業に忙はしくして讀む暇がないとて一切新聞紙の購求を廢する商人又毎日の出勤前に一讀するには一枚の新聞紙にて十二分の讀量ありとて唯一種の新聞紙を購讀して滿足する官吏などは世に珍らしからぬ例なり一字一句も讀殘すべからずとの新法に依らば或は去る事もあらんかなれども若し普通文明國の新聞閲讀法に從ひ毎朝の新聞紙をザツと一通り目を通して中に就き自家に要用の箇處箇處を一讀するには三五分時間の暇あれば澤山なり五六種の新聞紙を通覽するとて半時は掛らず朝飯の傍らに且つ食ひ且つ讀みて十分に用を達すことを得べし或は汽車馬車の中にて一讀するなどは時を利用するの妙法ならん一讀したる故紙は車中に打棄置きて立ち去るべし入用あらば又買ふべし錢を出して買ひたるものを讀殘し置きては勿体なしと言はぬばかりに一枚の新聞紙を七重に八重に折り疊みて大事に懷中に納め宅に歸れば又これを引展ばし新聞綴りに綴り込み數箇月分溜まれば裝釘して一册の書物となし傳家の寶として書齋に飾り置くなどは文明紀元以前の古臭味タツプリなる所業と云はざるを得ず

以上二三の例の如く新聞紙は未だ日本國民が居家日用の必要具たる性質を帶ぶるに至らず或は贅澤品視せられ或は珍奇品視せられ隨て其需用甚だ狹く且つ少なし時事新報の如き日本の新聞紙中にては先つ第一等に位するものにして歐米諸國の諸新聞紙にも往々其高評を掲くるを見るほどもものなれども其毎日の發行紙數を調らぶるに當時未だ一萬の上を多く出ること能はずこれを歐米諸國の重立ちたる新聞紙が毎日廿萬枚内外を發行して尋常の事と爲し居るものに比すれば實に同日の論にあらざるなり日本の人口三千七百萬これを米國に比すれば千七百萬人と少なくし英國に比すれば二百萬人を多くは世界の一大國民なりと云て毫も愧る所なし然るに此一大國民にして又自から東洋隨一の文明國と誇稱する人民にして其社會に十萬内外の紙數を發行する新聞紙とては唯の一つもなしと云ては其社會の文明開化の度も推し測られていたはしく實に我々日本國民の大恥辱なりと云はざるを得ず我輩は何時か日本の新聞紙が日本國民の日常の必用品と爲り隨て我輩も又眞成なる新聞紙の義務を盡すを得るの日到來すべきやと前途を望んで其甚だ遼遠なるに落膽し毎日執る筆先きも鈍り勝ちなるを覺ゆるなり (畢)