「混合寫眞(コンポゥツト ポルツレイト)米國通信」
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時事新報に掲載された「混合寫眞(コンポゥツト ポルツレイト)米國通信」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
混合寫眞(コンポゥツト ポルツレイト)米國通信
學問に入るの道一ならずと雖ども其これに入るの前に先づ人の志を喚起すこと大切にして是れは唯學問の利益を説き其人生に要用なるの道理を述立るのみにては未だ以て目的を達するに足らず如何となれば當局本人の心に感應の機なくしては不仁の膚に針すると一般如何なる道理も貫徹する能はざればなり而してこの感應力は何に由りて發生するやと尋るに是れ亦種々無量の因縁よりするものにして時としては學問に全く關係することなく唯かの人の好事の心より導かれて遂に其門に入るの例甚だ多し前年徳川の時代に或る大名が頻りに時計を弄びて時計大名と呼ばるゝ程なりしが夫れ是れする中に時計の好事より他の西洋品に移り次て其品より西洋の書に移り又西洋の物語に移り次第次第に進歩して遂に純然たる西洋文明の主義を悦ぶの人と爲りたることあり若しも最初よりこの大名に説くに文明論を以てするも之を耳にせざるは疑もなきことなれども偶然にも時計の媒介を以て其好事心に投じ遂に一個の文明貴族を生じたるは之を時計の効力と云はざるを得ず左れば十月初旬米國在留の社友より混合寫眞の説明を送り來れり此事に就ては曩に時事新報にも印したる如く最近の發明に係り其主義も高尚にして其用も高尚なるものなれども右説明書の末段甲乙二枚の寫眞を普通の寫眞覗目鏡に掛け一個に合併して見るが如きは誠に奇にして面白し、我輩の此通信を得るや否や取敢ず有合の覗目鏡を以て或る兄弟二人を一に合併して其中間の人物を得、或は姉妹母子を合せ或は老人と子供と、貧賤と富貴と、種々樣々に取替へて隨て眼に入れば随て奇なり固よりこの試驗は唯面白しと申すまでにして外に風情もなき事なれども無數の看客中この面白き試驗よりして更に他に導かれて一歩を進め歩々漸く深くして西洋の文明理學に奧温をも探らんとの事を起すあらば寫眞目鏡の効用亦大なりと云ふべし因て其説明書を記すこと左の如し但し是をば彼の國藝學雜誌の譯文なりと云ふ
混合寫眞(コンポゥツト ポルツレイト)米國通信
混合寫眞の用法二あり一は即ち數多の物が何う重要なる性質を共にせるとき其一群の表相となる可き雛形を見出すことなり一は即ち同一の物の畫象抔數多あるときその畫象の正物に似ざる所を棄て似たる所のみを取りて一の良き畫を得ることなり右二方の内第二は第一に比すれば其容易なり例へば爰に歴山王の肖像と鑄付たるメダル六枚有るとして其混合寫眞を取れば出來上りたる寫眞は六枚の寫眞の中何れよりもよく歴山王に似たるものなる可し何となれば六人の技術師が同し歴山王の肖像を造るに皆同一の過失を爲すことは甚稀なればなり之に反して第一の用法即ち夥多の物の表相を取るの場合にては其一類に固有の性質と特別に代表する摸範を新に造り出すことなれば決して前の如く簡單なる事柄に非ず例へば罪人の混合寫眞を取るは犯罪の人相を得んが爲なり學者の混合寫眞を取るは才力の人相を得んが爲なり
混合寫眞の外に物の表相を取る法は畫工が己の想像にて百姓なり町人なり一種の人に固有なりと思ふ容貌を寫出す歟或は人種學者が野蠻人種の中より其人種固有の容貌を最も充分に具へて且自己單獨の容貌最も少しと認めたる一人を撰み出して其人種の表相と定むるの類なり而して混合寫眞は此事を仕遂るに當て不完全なる判斷又は架空の想像抔に依頼せず純粹なる器械上の手段即ち數枚の寫眞を混合して一枚の寫眞を得るの手段に依らんとするものなり
數多の寫眞を混合したるとき數々其出來上りたる寫眞が元の寫眞の中の一枚に甚だよく似ることありフランシス ガルトン氏は此の如き折其元の數枚の寫眞中より今出來上りたる混合寫眞に似たる者を一枚除きて再び殘りたる數枚の寫眞の混合寫眞を取り之を第一の混合寫眞に比したるに殆ど差異なかりしと云ふ又過日米國の理學者達の混合寫眞を取りたるに理學者の一人某氏に甚だよく似たる寫眞を得たり然るに右某氏の寫眞は此の混合したる寫眞の中には有らざりしなり扨て右の如く混合寫眞が格段なる一枚の寫眞に似る所以は或は寫眞を混合するとき何かの手過によることも有らんなれども之れを除て他の二樣の説明あり第一は即ち夥多の頭の中一個の顏が特別に強くして他の之に似ざるものを厭倒するが如き譯なりと云ふ説なり第二は即ち右格段の容貌は其同類の表相を現はす點に於て他の夥多の顏の正しく中庸に位するものなりと云ふ説なり例へば爰に廿一人有りて其中身身長五尺九寸の者五人、五尺八寸の者五人、五尺七寸の者一人、五尺六寸の者五人五尺五寸の者五人有らは總体廿一人の平均の身長は五尺七寸なり故に身長五尺七寸の人は此人數の中庸に位すること恰も一個の顏が數多の顏の中庸に位すると同一理なり今若し右廿一人の中より五尺七寸の人を除き去るも其平均の身長には毫も差異を生せざる可し前に云へる如くガルトン氏が一枚の寫眞を取り去りても混合寫眞に差異を生せざりしは之と同樣の理由ならん(此事實を見れば前に掲げたる二樣の説明の中第二の方是に近きが如し)
混合寫眞を取るに最も簡單なるは唯二つの顏を合せるときなり此時に出來たる混合寫眞は二つの顏の正しく中庸なる可き筈なれば若し之が何れか一方の顏に偏する樣に見ゆれば是れ即ち其顏が他の顏よりも強きが故なりと云はざる可らず若し混合寫眞が兩方の顏によく似るならば其二つの顏は互に相似たるものならん又若し混合寫眞が何れの方にも似ざるならば二つの顏は互に相似たるものならん例へば三寸と五寸とは其差少きが故各其中庸なる四寸との差も亦少なし之に反して一寸と七寸の中庸は同く四寸なれども二者の間に大差あるが故に二者とも其中庸の差大なるが如し
余は經驗の爲め高價なる混合寫眞器を用ひずして通常の寫眞の混合寫眞を取ることを試みたれば今其の結果を記して廣く世人の同し經驗を爲さんことを希望す
二枚の寫眞と一枚の混合するに極めて手の掛からざる法は世間に普通の寫眞覗目鏡(Brewster Stereoscope)を用ふるにあり寫眞覗目鏡を用ふるに際し二枚の寫眞を互に適應したる位置に置んが爲め其一枚を上下左右自由に動かし且廻轉せしむるを得可き仕掛を爲すは決して難からず此工夫を爲したる上にて要用なれは二枚の寫眞が客同樣の大さにして同樣の位置ならさる可らず(
但しこの二箇條意の如くならざるときは又之に應するの方無きに非ずかは下に記載す可し)斯くて通例の寫眞覗目鏡と寫眞帖一册有れば誰にても其面白く且有益なる學問を爲すを得べし
前にも云へる如く姉妹兄弟の如く互によく似たる顏を二枚混合すれば其合したる顏は何方にても甚たよく似るものにて人に依り或は之を一方に似たりと云ふ者もあり又他に似たりと云ふ者も有る位なり又右の如く相似たる寫眞を寫眞覗目鏡に入れ始めは兩眼を開て之を見次には一眼を閉て一方の寫眞而已を見れば其結果愈妙なるを覺ふ可し、又若し二枚の寫眞が全くの他人同士にて少しも顏の似ざる人ならば其混合したる顏は何方にても少しも似ざること多しとす、また男女二人の顏を合すれば混合寫眞は大概男の方に偏するように思はるれどこは男に髭髯あるが故なり何となれば男女の子供の顏か否ざれば髭髯の無き男の顏と女の顏とを合すれは其結果は男とも女とも判斷し難きものを得可し之と同しく女の髮の結び襟抔にて混合寫眞に不要用の影響を生すること多し此弊を除くには白き紙に顏の形丈けを切拔き其切拔きたる所を寫眞の顏の上に當てゴムの輪を以て右の白紙を寫眞に結び付く可しさすれば寫眞には唯顏の部而已出づ可し之と同し工夫を以て一つの顏の下の方を取て他の顏の上の方に附ること抔も出來べし
年の異なりたる人の顏を合すれば其結果甚妙なり例へば二十歳の娘と其母(六十歳の者)の顏を合したるに丁度四十歳位の女の顏を得たり又一の娘と其祖母との顏を合せたるに混合したる顏は中年の婦人に見へ且殊に妙なるは此二人の顏よりは寧ろ娘の母の顏によく似たり尤も此三人の顏は皆互に相似たるものなりき同一の人の寫眞を數枚混合すれば其結果は何れの寫眞よりも最もよく本人の顏を表すものなり又同一の人が年齡の異なりたる時例へば十歳の時と廿歳の時に寫したる寫眞を二枚合すれば其人が十五歳の時の顏に甚たよく似たる寫眞を得可し
是迄混合寫眞を取るには常に數枚の寫眞を混合する習慣なりしと雖とも眞正の顏より直接に混合寫眞を取ることも決して出來難きに非ず費府の写真師某は過日二人の姉妹の混合寫眞を書物より取ると得たり勿論直接に數人の顏を混合するは數枚の寫眞を混合するよりも面倒なるは明なり
通例の寫眞にて其位置の異なるは大概頭の向きにあり(面の左右孰れの例が多く見へる歟の如何を云ふ)二枚の寫眞にて画の向き方が異なり居れば直に之を混合することは出來難けれども極簡單なる方法にて此欠點を除くを得べし即ち先つ其寫眞を机上に並置き其間に鏡を鉛直に立て其鏡の上の端を兩眼の間に當てゝ見るときは鏡の裏の方に在る寫眞は其儘に見へ表に在るものは鏡に寫りて見ゆ可し故に若し二の寫眞が適宜の位置に在れば一の寫
眞の反對が他の寫眞と符合して一個の混合を生す可し
以上記したる混合寫眞の方法は甚簡單なれとも唯其欠點は二枚より多くの寫眞を混合すること出來ざることなり寫眞覗目鏡を數個集めて數枚の寫眞を混合することは出來難きに非る可しと雖とも其手數必す大に繁雜になる可し蓋し鏡を用て數枚の寫眞を反射し之を一つの混合になす器械を工夫せば其効少からざる可し