「交通に内外の別あるを忘るべからず」
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時事新報に掲載された「交通に内外の別あるを忘るべからず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
交通に内外の別あるを忘るべからず
交通を便利にするには國の富強を進め人民の智識を開くの基本たるべきこと我輩の數々論ずる所にして今復た之を反覆するに及ばず
然れ共我輩が交通の事を論ずるに當りて心に忘るべからざることは交通に國内外の差別あることなり
例へば日本の沿海に漕運の便を増し内地の四方に鐵道を敷設し或は運河を掘り道路を開き又は電線を増架し郵便法を改良する等は總て國内の交通を便利にするの方法にして其目的は手短かに云へば日本國中にて都會と田舍との關係を親密ならしむるに在るものなり
又廣く海外諸國に貿易の道を開き彼此の間に定期航海線の往來を繁くし日本人は益々多く外國に出で外國人をば益々多く日本に誘ひ啻に日本人と外國人と直接に面を接して相交はるのみならず彼此の間に文書往復の數を増し又書籍新聞紙等の輸入輸出を増して間接に西洋の智識學問を日本に輸入するが如きは總て國外の交通にして其目的は手短かに云へば世界の都會たる歐米諸國と世界の田舍なる日本との關係を親近ならしむるに在るものと謂ふべし
此二種の交通は二つながら大切にして固より其一方を偏廢すべからずと雖ども茲に我輩が一言せんと欲する者は今日世人が交通は大切なりと云へる其交通とは專ら國内の交通を指すものにして其言葉の中には國外の交通の意味を含蓄せざるものゝ如くなれ共今の日本の有樣にては獨り國内の交通を便利にするのみにては未だ足らず必ずや之と同時に國外の交通をも便利にせざるべからずとの一義に在るなり
國内の交通を便にするは甚だ大切なり其大切なる次第は我輩が毎度此紙上に論ずる通りにして固より我輩に於て異論なき處なるのみならず飽までも贊成する處なれ共これを贊成する傍らには又自ら顧みて國内の交通便利を極めたる時に日本の有樣は如何あるべきやと考へ懈るべからす
今假に日本政府が英斷を以て國中縱横に鐵道を敷設したりとせば邊鄙の地方も忽ちに都會に接近して百般の事柄に付大に從前の面目を改むるに相違無しと雖も鐵道の利益何程廣大なるも到底日本全國が東京大坂の如き都會の地と同等の位に建するより上に上ること能はざるは明白なるべし左りながら東京大坂は唯世界の片隅なる日本國中にての都會にして歐米の文明國と比較する時は是亦田舍の田舍たるに過きざれば國外の交通今日よりも一層の便利を増さゞる限りは日本國内に交通の便利を増したるより生ずる最上の結果は唯日本國内の田舍が一變して世界の田舍となる迄にして大小の別こそあれ到底田舍たるは免かるべからず
故に國内の交通を便利にして日本の田舍を日本の都會に一變せしむると同時に又國外の交通をも盛んにして世界の田舍たる日本と世界の都會たる歐米文明國の地位に進ましむるの工夫は今の日本に取りて最も大切なることと思はるゝなり
國外交通の大切なるは今更多辨を須たず我國三十年來の進歩改良は其由來する處を尋ぬれば一として外國より來らざるものなし
今の日本の文明は全く國外交通の結果なりとは三歳の童子も尚能く知る處ならん然るに今日日本の有樣を見れば三十年前の昔に比しては實に非常の進歩なれ共之を今日の歐米諸國の有樣に比すれば其相懸隔すること幾許なるを知らず加之歐米諸國も今尚文明進歩の中に在りて進歩改良一日も懈らず日に月に次第に其地位を高むるの勢なれば苟且にも日本が此間に於て文明國の競爭に加はり之と銜勒を並べて甚だしき不覺を取らざらんことを欲せば益々鋭意熱心して外國の交際を務め彼に一發明工夫あれば直ちに取りて之を利用し彼に一新説出ぢれば時を移さずして之を日本に傳え亞細亞の東端に在る日本國をして常に歐洲の中央に位するが如くならしめざるべからず左れば國外の交通は獨り過去の日本に大切なりしのみならず將來の日本に取りても亦必要缺くべからざるものにして或は其必要の度は過去よりも寧ろ將來の方こそ大なるべしと思はるゝなり