「日本今日の外國交通は未だ十分ならず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「日本今日の外國交通は未だ十分ならず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本今日の外國交通は未だ十分ならず

我輩は前號の紙上に於て國外交通即ち日本と外國との交通を盛んにするの大切なる次第を論じたり然るに今日日本の外國交通の有樣を見れば我輩が未だ滿足する能はざるもの少なからず今左に我輩が知り得る處の事實を擧げて現今日本の外國交際の實況を見るの便に供せんとするに當り第一に日本の如く四面皆海にして外國へ陸地の交通なき國柄に於て國外交通の必要具たる船舶の出入統計を擧ぐるは最も適當の順序なるべしと信ず依って左に昨明治十七年中日本の各港を出入せし外國往來船舶の出入表を示す

艘       噸

入港汽船  六五二 噸數 七三四、二四三

〓〓帆船  四五〇 同  一二五、三六五

 合計 一、一〇二    八五九、六〇八

出港汽船  六五六 噸數 七三八、一四五

出港帆船  四九二 同  一二八、八二九

合計  一、一四八    八六六、九七四

右の表にて見る時は現今日本と海外各國との間を往來する船舶は汽船帆船を合せて年に千餘艘宛の出入ある譯なれ共此表は各港出入の船數を合計したるものならず例へば一艘の船にても數箇所の港に寄港する時は數〓に記入さるゝを以て實際内外の間を往來する船舶は〓に此表より少なきものと知るべし又右の出入船舶の〓〓定期航海の飛脚船、無定期往來の商船等何に限らず實際昨年間に日本の各港を出入したるものを盡く合計したるものなれ共其中にて現今日本と各國との間を往來する定期飛脚船發着の度數を擧ぐれば左の如し

日本歐州間    毎週一回即一年五十二回

日本米國間    毎月二回即一年二十四回

日本支那間    毎週一回即一年五十二回

右の表中毎週一回又は毎月二回とあるは定期船の發着共に一回若くは二回宛なるを云ふ目下歐洲と日本との間に定期航海を開くものは英國の微阿汽船會社と佛國のユニヱム汽船會社との二社にして其汽船の發着度數は双方共に毎二週間に各一回宛なれば之を合せて都合毎週一回宛の寄着となる、次に米國と日本との間に定期航海を開くものは米の太平洋汽船會社と英の東蘭汽船會社の二社にして二社共に毎月一回宛桑港と横濱香港の間を往復す即ち之を合せて毎月二回宛の發着となる、最後に日本と清國との間は日本郵船會社にて定期航海を開き毎週一回宛横濱と上海との間を往復す、以上各地の飛脚船發着度數を合計すれば毎月凡十回餘即ち一年凡そ百三十回なりとす此外にも朝鮮の釜山仁川及び露領浦鹽斯徳等へは日本より夫々月に一二回宛の定期航海あれ共是等は本論の目的に必要ならざるを以て之を略す次に此國外交通の要具に由りて彼此の間を往來する日本人の數並に海外に在留する日本人と日本に在留する外國人との數とを擧ぐれば左の如し

  海外旅行券附與人員      同返納人員

明治十四年 一、〇六七     明治十四年  四一四

同 十五年 一、二七四     同 十五年  五四四

同 十六年 一、三九〇     同 十六年  四九一

  海外在留日本人員     日本在留外國人員

明治十四年 六、〇九六     明治十四年 七、〇〇八 

同 十五年 六、八二六     同 十五年 六、九九〇

同 十六年 七、七二五     同 十六年 八、三二九

右に掲ぐる處の日本人が外國に行き外國人が日本に來るは孰れも日本人と外國人と直接の交際をなすの方便なれば外國の交際上にて最も大切なるものなり之に次て大切なるものは彼我の間に文書の往復若しくは書籍新聞紙等の道具に依りて間接に無形の智識學問を傳達すると次には商賣上にて必要便利の器具を輸入して一には有形の富の發育を助け又一には此等の有形の器具を以て更に無形の智識學問の發達を助くる事なるべし

依て次に此等に關する事實を擧ぐること左の如し

 外國郵便發着總數         個

明治十四年     一、二五〇、八三〇

同 十五年     一、一七三、六六五

同 十六年     一、〇〇六、九一〇

 書籍輸入高            册

明治十五年        七一、二五一

同 十六年        八八、九八一

同 十七年       一〇五、三六二

 最近三箇年間外國輸出入物品元値合計高 圓

明治十五年    六六、四〇三、七〇〇

同 十六年    六三、六六七、〇〇〇

同 十七年    六一、八三七、四〇〇

以上掲ぐる處の諸表を見れば今日日本の外國交通の有樣如何を知るに足るべし右の表中日本の外國貿易が去る十五年以來次第に減少したるは全く近年内國不景氣の結果にして永久の有樣にはあらざるべし次に外國郵便物の數が去る十四年より十六年に至る迄次第に減少したるは如何なる原因に出たるか未だ詳かならざれども恐らくは貿易の不景氣に原因するものならん是等を外にしては海外旅行の人數と云ひ外國在留の人員と云ひ或は書籍の輸入高と云ひ孰れも年々次第に増加するの傾にして概して云へば日本の國外交通は遲緩ながらも次第に進歩するの勢なるには相違なしと雖も苟にも我日本國は人口三千七百萬を有する一大帝國にして次に東方の文明先導者の譽れを負へる國柄なりと思へば今日の如く一箇年の出入船舶一千餘艘に過ぎず外國貿易の總額七千萬圓に上らず年々外國に往來在留する人員も僅々八千名に止まるが如きは未だ決して外國交通の盛なるものなりと云ふべからざるものなり左れば如何なる方法を以て大に外國との交通を盛ならしむることを得べきや是蓋し我輩が最も考究を要する所の問題なるべし