「外國交通を盛にするの法如何」
このページについて
時事新報に掲載された「外國交通を盛にするの法如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
外國交通を盛にするの法如何
外國との交通を盛んにするは今日我國の要務なるに我國現今の外國交通は未だ十分ならずとは我輩が前號の紙上に論述したる大意なり然らば之を盛んにするには如何なる手段あるべきやと云ふに其方便は樣々あるべし
例へば今仮りに日本政府に充分の資力ありとせば政府より内國又は外國の汽船會社に補助金を輿へて新に外國に定期航海を開かしめ若くは現存の航路に保護を輿へて航海の度數を増さしめ或は年々巨額の學資を給して多數の留學生を海外に派遣するなどは孰れも至極
面白き工夫なれ共今の財政困難なる日本政府に向て斯く贅澤なる仕事を望むも到底行はるべき事にあらざれば是等は暫く後日の相談として其他に一層近易なる方法を尋ぬるに我輩が今日日本の外國交通を盛んにするに最も直接なる方便ならんと思考するものは外國人に
内地雜居を許すと英語英文の教育を奬勵するとの二つなり
現行條約の不條理不体裁にして大に彼我双方の便利を害する次第は我輩が既に十分に論じ盡したる處なれ共其他の不便利は姑く措き單に本論の主意なる外國交通の一點より論ずるも今日の如く日本の各地に居留地なるものを設け外國人をして盡く其中に蟄居せしめ夫より十里四方の外へは遊歩たりとも出ることを許さゞるが如きは最も内外人民の交際を妨くる法なりと謂はざるを得ず
而して又其居留地なるものは一種異樣の場處柄にして日本帝國の眞中に在りても日本の法律の支配を受けず云はゞ日本國中の外國とも稱すべき有樣なるを以て日本人民も居留地を見ると恰も外國の如く已を得ざる用向にてもあらざれば敢て之に近付かざるの趣あるが如し
孰れの點より見るも居留地の制度は内外人民の交際を親密ならしむるものにあらざるは明白なり故に今日に於て現行條約を改正し不正不便なる治外法權を全廢して日本國内に在る外國人は盡く日本の法律を遵奉すべきものとなし其代りには日本全國を打開けて千島の果てより薩摩の隅に至る迄如何なる津々浦々も勝手次第に外國人の居住往來を許すこととせば從來互に城廓を構へて互に相近づくの道なかりし内外人民も始めて打解けて往来交際するの機會を得て大に内外の關係を親密ならしむるを得べきなり
次に英語英文の教育を奬勵するも亦外國の交通を盛にするに於て大切なる方便なるべし英語英文を知るもの必ずしも皆學者能子にあらず之を知らざるものゝ中にも事理に通じ世務に明かなる人物は決して少からずと雖ども如何にせん英語英文は目下外國交通の要具にして恰も河海の舟楫の如きものなれば何程智識あり才能ある人にても英語英文を知らざれば渡りに舟を得ざると一般にして到底外國人に交はることを得ず
我輩は既に今の居留地の制度は大に内外交際の便を塞ぐものたる旨を論じたれ共今日の如く日本人民中に英語を解し英文を讀むもの少なき間は仮令内地雜居の世の中となるも到底内外人の間に親密なる交際あるを望むべからざるなり
又日本人が概して貧乏なるは明白なる事實なれ共日本國中に十萬廿萬の財産を有する人々は決して少なからず而して是等の人々の中には學問の爲め商用の爲め又は保養見物の爲めに外國に行くことを得るの餘裕ある人々も亦決して少なからざるべし
然るに我輩が前號の紙上に擧げたる統計に見ゆる如く年々日本より外國へ渡航する人數は僅か千餘人にして此千餘人も細かに分析すれば多くは直接に官用を帶ぶるものにあらざれば間接に官の筋より旅費を給與せらるゝものにして私に洋行するものとては學問又は商用の爲めにするものすら甚だ少なし況てや保養見物等の爲めにするものに至りては殆ど數ふるにも足らざる少數ならん
今假りに太平洋飛脚船の上等客となりて米國に至り米國有名の場所々々を見物の末太西洋を渡りて歐州に入り歐洲各國の名邑大都を歴覽して文明開化の實際の有樣を殘る隈なく見物して滿腹の智識と愉快とを土産に目出度日本に歸着する迄凡一箇年の時日を費し其費用凡一萬圓なりとせんに一箇年の閑暇と一萬圓の遊資固より大ならざるに非ず
貧乏人の夢にも考及ばざる處なれども數十萬圓の身代を有する大家の主人か若くは若主人などに取りては左まで驚くべき金額と時日とにあらず今日田舍の水呑百姓が伊勢參宮に出掛くるに比すれば遙かに容易の事なるべし
然るに水呑百姓の伊勢參宮は此の如く多數なるに大家の主人の洋行なるものは此の如く少數なるは何ぞや全く外國交通の必要具たる英語英文の智識なきが爲めに外國と聞けば唯何となく天涯萬里の殊邦絶域なりとのみ想像して初より之に行かんとの念をも起さず
又仮令へ行かんとの念を起すも英語英文を知らずして外國に遊ぶは容易の業にあらざるが爲めのみ右は唯一端の例を擧げたるのみなれ共英語英文を知らざれば獨り國の内外にて直接に外國人と交際する能はざるのみならず又彼此の間に書面の往復を爲し又は書籍新聞紙を購讀して間接に其智識見聞を裨益すること能はず之が爲めに國の外國交通の進歩を妨ぐるの事實は決して二三に止まらず故に今後日本の外國交通を盛ならしめんが爲めには英語英文の教育を奬勵する事最も大切なるべし
其奬勵の方法に付ては樣々の工夫もあらん此等は細目の議論なれば教育の責に任ずる人々の考案に任せて可なり我輩は唯我國上流の人々が皆外國交通の大切なる事を合點し官民の別なく相共に盡力して之を進捗するの工夫を運らさん事を希望するのみ