「華族の子弟に望む所あり」
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時事新報に掲載された「華族の子弟に望む所あり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
華族の子弟に望む所あり
凡そ何れの國にても又何れの時代にても政府より法令を發すれば國民は又この法を遁るゝ工風せざるはなし即ち不良の奸民なれども法の性質もとより人の精神に立入るべきものに非ざるが故に政府に於いても情に之を知ると雖ども法に之を罪することなし即ち今日萬國普通の慣行なり唯この情實の罪即ち奸人の奸を抑制する勢力は社會全般の氣風に存するものなければ上流に士君子たる者は法の明文の如何に拘わらず其趣旨をして行われ易からしむるに勉めざる可からず日本の如き政府に於いては或は官の筋に懲戒令なるものあり是れも人の罪の法律に問う可からざるものを懲らし戒しむる趣意にして所謂情實の罪を抑制する備なるべき今の時節には随分必要なることならん、法を法の如く〓行われしめんとするに盖し亦難い哉、〓きに我政府が徴兵令を布告してより以來國民中或は之を遁るゝ工風を運らす者甚だ少なからず令文に戸主は兵役を免じ六十歳以上の父ある者は嗣子にても〓様とあるを見て他人の死籍を相續して戸主たらんことを求め又〓六十歳以上の老人にして子なき者なれば其養子たらんことを談じ甚だしきは何等の〓故もなき間柄にても極内々に錢を出して媒介に用い恰も金錢づくにて相續養子の名義を賣買する者ありと云う又令文に官立府縣立學校の卒業證書を所持する者にして官立公立學校の教員なる者學術脩業のため外國に寄留する者に其事故の存する間徴集を猶豫し、官立府縣立學校に於いて修業一個年以上の課程を卒りたる生徒は六箇年以内徴集を猶豫すとの法ありを以て國中の男子丁年に近く〓〓徴集に當らんする者は學術脩業に事寄せて外國に渡り又は官立公立の學校に遁れ俄に校門の大繁昌を致したるは世人の耳目に明白なる事實なれども法律の性質に於いて之を問うべきにあらず仮令本人は學問に志して一心唯徴兵を遁るゝ目的のみにても學校に出入すれば之を正當の生徒として猶豫を與えざるを得ず又私立の學校は其学識の高きと低きとに論なく徴兵令に對して特典を得ず或は官立府縣立の學校に卒業したる生徒が更に研究のために入來るほどに〓尚ある學校にても唯その名が私立とあれば無効なるが故に徴兵令の布告前までは私立にてありし諸學校も俄にその組織を改めて公立の姿に移りたる者多し例えば從前は其地方の一人又數人が私財を投じ私に教師を聘して生徒を教授〓けれども徴兵令に一發にて生徒は散じて他の官立公立學校に行くべき〓と疑もあらざれば様々に周旋して私の字に易る〓公の字を以てして例の如く校門は繁昌を謀る者のあるよし是亦世人の普く知る所なれども固より法律の問うべき限にあらず又その事たるや恰も人の私に關係するに似ざるが故に何れの私立學校が公變しざりなど名を指して云う者もなし
以上は國の法律に〓なけれども國民は德義上には苦々しき事なり、既に政府の法律に於いて私立學校の生徒は特典を蒙る可からざる者とあれど公學の生徒に比して運命を異にする者なるが故に甘んじて其命に安んずるこの國民の本分なれと我輩の信ずる所にして且廣き世の中には様々に策略を運らす向もあらんなれども私學校の高尚なる者に至りては決して左ることなし例えば東京府下にても有名なる私校にして公變したる者あるを聞かず殊に華族子弟の教育所たる學習院の如きに私立の最も美大華麗なる學校にして此私立學校などが他の私立の標準ともなりて私學生徒の志氣を引立ることとならんと思いしこと明治十六年十二月徴兵令布告の後四箇月餘を經て同十七年四月宮内卿より自今學習院を官立學校に被定候との達しにて是れより學習院の生徒も私學生の資格を脱し様々の利害を感ずる中にも徴兵令に對しては餘義なく特典を蒙る身分とは爲れり抑も學習院が私立より官變したるは前々よりの行掛りもありて其官立の事が丁度明治十七年の四月に發表したるものならんなければ何も驚くに足らずと雖も近來該院生徒の學業は頻りに進歩して德育智育は無論体育さえ行届きて身体倔強の者多しと聞くからには爰に我輩の所望を云えば此官立學校たる學習院は以前私立たりし由緒もあり旁その生徒が自から奮發して兵役の徴収に應ずる一事なり華族は其の位高く其資産豊にして政府の殊遇特恩を荷う者なければ他の諸民と違い一通り政府の公法に從うことにては尚少しく遺憾なきを得ず苟も民利國益となれば德義上に於いて之を勉強して以て他の標準たるべしとのことは華族諸君の毎度發言せらるゝ所なければ今度もその例を從い官立學校の生徒にてありながら他に率先して由々しくも自から兵役に當らんとの一言を發しざらんには其全國民に影響〓る所如何〓かりなる可きや或は他の官公立學校の生徒中にも其義擧に倣わんとする者あるのみならず私學生徒も身の運命を悲しまずして却て之を悦び又彼の養子の事、公立學入校の事、海外渡航の事、私學を公變する事等聞くも忌しき徴兵遁の奸策を運らす者共は學習院の風を聞いて愧死するに至るべし亦愉快ならずや近日學習院〓次第に盛大に赴き官の筋より注意も厚しと聞き我輩らの内情を不案内ながら徴兵の一條は容易ならぬ事と思い敢て當局者に一言を呈するのみ