「生糸商會所を設くべし」
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時事新報に掲載された「生糸商會所を設くべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
生糸商會所を設くべし
日本國内年々産出の米の高は凡そ三千萬石と云えり一石の米價を五圓とするも一年の總額一億五千萬圓なり一品において一年一億五千萬圓ずつを産出するものは日本國内米を除く外他に一品もあらざれば日本米の日本人を重寶せざるゝも盖し亦其理由〓〓にあらざるなり左ればにや東京、大坂、京都、名古屋等の大都會は申すに及ばず兵庫、大津、金澤、高岡、新潟、野蒜、桑名、徳島、岡山、松山、下の關、博多等少〓く重立ちたる地方には皆米商會所を設けて日々現塲の取引を爲すのみならず定期賣買と稱して二箇月三箇月後に受渡しすべき品物の延賣り延買を爲し随て米の収穫の多少需用の増減及び運輸の便否等を察して日々刻々價格を高低し一年三百六十五日一日も油斷することなく其注意の至れる實は驚くべきものあり日本の商工農業は當時尚甚だ〓〓の境界に在りて是れぞ文明の商業工業又は農業なりというべき程のものなしといえども強てこれを求むれど先ず米の賣買を以て文明は商業に近きものというて可ならん若し日本の他の商品をして商人の注意を惹くこと總て皆米に〓な〓からしむるともあらんにて日本商業の新保擴張は我々の今日想像し能わざる程のものならん
日本の商品中米に次て最も大切なる品と稱すべきものは麥にあらず茶にあらず生糸なり此生糸の性質たるや米麥の如く一旦田畑より取入れたる上は少しく其外皮を〓り〓くばかりにて直ちに人家の薹所に送り食料に〓し得べきようの荒物にもあらず又茶の如く培養したる木の葉を火に掛け人の手にてこれをこね乾を上げざる上は直ちに飲料となりて半製品のまゝに終るべき品物にもあらず即ち農夫が培養したる桑の葉と蠶に食わせ蚕の吐きたる糸にて繭を作り此繭を工業者が受け取りて〓〓なる手と精巧なる器械とを以て細い糸に仕上げたるものにして此所までは尚半製品の性質を〓るといえども此儘にて人間の用を爲すべきにあらず更に幾多の手數を經て衣服の料と爲るに於いてはこれを〓きに〓より取り入れたる時に桑葉に比して全く其面目を改めるのみならず其價の高き〓とも亦幾百倍に〓て實に天地の相違を爲すなり今の日本の工藝は甚だ幼穉未熟にして此生糸に更に人工を加え綺羅錦〓と爲して世界の市塲に賣出す力なく半製品のまゝにして歐米の工藝家に賣渡し彼等の自在に奇利を網する〓任して傍觀しつゝあるは申すまでもなく殘念の至りなりといえども然れども幸にして此半製品は頗る高尚のものにして單に其價格の上より見れば〓より〓て半製品とは思われず上等の既製品なりというも決して愧かしからざる種のものなり生糸一斤あれば銀貨五六圓に〓わるべし一斤の重量中に五六圓の價を含むものとては世界の製作品中格別澤山に〓見當らざるべし實に生糸は日本の産物中特に重要なる性質のものというべきなり目下日本國内生糸産出の量は何程なるべきや未だ公私ともに明細確實なる統計を得ざるを以て明言し難しといえども明治十四年内務省農務局の調査に依ると全國の桑畑は十一案萬餘町歩の反別あり此桑畑より得たる桑葉の量を基として仮りに養蠶の結果を察すると同年全國にて凡そ六百萬斤の生糸を製したるならんといえり養蠶は目下日本全國日進の業なり去年の麥畑は變じて今年の桑田と爲るもの全國東西南北の區別なく各地皆然らざる〓なし明治十四年より四年の後に當たる今日に於いては必ず養蠶事業の進歩著しきものあらんなれば生糸産出の總額は最早既に千萬斤に近きものならん兩三年來外國輸出の生糸類の總額年々五百萬斤内外なるを見ても産出高の巨大なるを知る〓足るべし察するに目下一年産出の生糸の價は五千萬圓内外〓ものならん
然るに日本商人が當時生糸に對する所置を見るに其注意の周密ならざる感覺の頴敏ならざる見聞の狭〓なる擧動の不活〓なる我輩をして遺憾に堪えざらしむるもの甚だ多く上野信濃岩代等とは〓め生糸塲と稱せらるゝ各地方には専門は生糸商人ありて生糸の賣買に從事し其取引も随分頴敏なるが如くに聞かれども地方の生糸相塲は皆横濱の相塲を目的として進退上下するものにして其横濱の相塲とは如何なるものぞと聞くに唯同港の賣込商人等が専ら在留外國商品等の顔色を窺いて時々高低〓る賣込値段をして頴敏に外國の諸相塲を参酌して時々の高低を爲す者にあらず横濱の商人とて固より唯在留外國商人等は顔色〓〓に依頼するにはあらず米國紐育なり佛國里〓なり英國倫敦なり常に電報の往復を爲して注意の周到を期する者なきにあらずといえども此等は實に例外の塲合にして一般の有様にあらず滔々たる賣込商人社會は相塲の高低を専ら外國商人の自から爲すに任するものにして恰かも我運命の浮沈を他人の指図の下に置きたるが如く如何にも不甲斐なき限りといいて可ならん横濱の源流既に斯の如く混濁せるがゆえに其流を汲む各地方の生糸相塲の或は兒戯に類するが如き實跡あるも決して恠しむに足らざるなり依って我輩は此弊害を矯正する第一着手として先ず日本國内に一箇所の生糸商會所を設立し此所にて現塲取引は勿論二箇月三箇月の先き物の定期賣買を爲す〓と彼の米商會所の例の如く爲したらんには生糸商會所に關係の人々は成るべく内外に見聞を廣くし又速やかにし平生の注意到らざる處なく坐して歐米市塲に生糸の景況を知り支那佛蘭西伊太利等の養蠶の豊凶を知りこれを我國内の實況に照らして進退掛引を爲し一寸も他國人に後れを取らざるは勿論日本國内一般の蠶業者も此生糸商會所に相塲を目的として安全に業を營むことを得る其便益を勝げて言うべからざる者あらんと思わる生糸商會所先ず急に設立すべきなり