「新聞記者の德義」
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時事新報に掲載された「新聞記者の德義」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
新聞記者の德義
新聞紙は社會の日記なり世上百般の事の實を記すものなり其事實に就いて是非善惡の判斷を下すものなり或は之を日旦評と稱するも可ならん日旦評は公ならざる可からず記者の心の私を以て事を記すに理を非に〓ぜ針を棒にし虚を實にし或は其説を横斜二三にするが如きは孰れも新聞記者の德義犯にして名教の罪人なりと云わざるを得ず左れど真正の新聞記者は公智を骨〓し明德を肉にし天晴れ智德の人ならざる可からずと雖も一方より考えれば所謂新聞事業なるものは純然たる商賣上の事なるが故に〓るを求めて看客の意を投ずることを勉めたる可からず元來著書なり新聞紙なり世人が之を讀んで名説なり面白し、能くも事實と穿ちたり、先ず我心を〓たりなど頻りに玩味喝采するものは妙理高尚の部分に非ず平生切れぎれの姿にて其心を隠見し未だ其舌に上らざるものを他の記者が其事に聯絡を附けて生花の筆もて巧に之を書に綴り之を紙上に載するが故に讀者は其切れぎれに隠見したるものを文采燦爛たる一匹の錦〓として見ることを得、拍案快と稱する〓〓らん然るに新聞記者なるものは自から具眼の人なるが故に政治學問以下世上百般の事に就き喜憂の趣時として通俗一般の人に立ち勝り記者の心に面白くして禁ぜざる程の事柄にても世上一般の人に於いては之を見て其煩わしきに困却すると〓しと云う可からず故に新聞事業を以て商賣上の事と爲し讀者の心に投じて其發賣の多きを求めんとすれば時として其記事に品格を下し學理高尚の部分を省いて通俗の人情談を交え遠國宰相の進退を記すを止めて目前に喧嘩、窃盗、馬車の〓覆、洋犬の奇特等を載せ筆加減を以て雅俗の〓合〓梅に注意せざるを得ず即ち自から其記事を卑下するものにして〓正道德家の目より視れど〓るを求めて世に媚びる嫌あることならんと雖も新聞事業は純然たる商賣上の事なりとすれば之を目して新聞記者の不德義と云う可からざるが如し
又世に政党新聞紙なるものあり或は急進党或は守〓党の〓〓ありと云い或は其政事家は論紙なりと云い其紙上に記す所を見れば萬事萬端自党の爲〓に辨護し〓は顕わし醜は蔽い其党の士人の言行は事細かに〓揚し他党の事は之を〓して知らざるに附し例えば自党の人々が政談演説會を催せど傍聽人何千にして立錐の地なく〓〓〓〓の聲は堂を動かして鳴りも止まず杯左も大層らしく書き並べ他党に同様の事あれば知らざるまねして打過ぐるか左なくば寧ろ其實を減縮〓るを通例とし反對党の言論と云えば幾何算術の格言を除く外は一も二もなく攻撃を試み甚だしきは自党の秘密を掩わんが爲め言を曖昧に托して事實を抹殺するが如きにあり人或は此〓を見て政党の掛引は左る〓ならが新聞記者としては既に德義の犯罪人たるを免れずと云うものあれども其實は必ずしも然らず元來党派心なるものは愛國心に等しきものなり試に愛國心の働を見て我々日本人が若し外國人に對すると〓〓日本の美事を顕わして成る可く其醜聲を掩い兵の強弱、人の智愚、文野貧富一切の事其名聞の實を過ぎて〓に入るまでも之を評判して極めて美ならんことを欲し甚だしきは天然の風景氣候までも己れ自から其良否の責任を負いて百方之を辨護するに非ずや即ち愛國心の働にして事内外の辨に渉れば此働の極〓て頴敏ならんことを望まざるを得ず左れば一党派の論者として適度まで其党派心を働かしむるは今の道德の大典に於いて之を〓責する條を見ざるが如し新聞記者の性質を矯めて時好を投ずるも妨げなし政党の機關と爲るも亦德義犯に非ず然らば則ち新聞の德義に背き名教の罪人たるものは如何なる者ぞ (以下次號)