「新聞記者の德義(前號の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「新聞記者の德義(前號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

威福濫用し易しとは金言なり文化蓬々として行われ世間に字を知るものを加ふれば新聞紙の發賣ますます〓し其毀譽褒〓の權力も亦ますます〓加せざるを得ず斯くて新聞紙に上下二流を生じ下流の事を記述するものは下流〓會に權力を有し一枝の筆を抑揚すれば以て人を喜懼せしむ可し之を名けて威福と云ふ即ち彼の茶屋料理屋、藝人俳優等の如きは唯世の評判贔屓に依頼するものなれば自然此新聞紙の威福に喜懼せざるを得ず其際若し惡德の人ありて此威福を濫用し新聞紙面を區別して恰も〓〓と〓動との二樣と爲し恩を以て恩に報ず怨を以て怨に報じ某の茶屋我に禮なし以て之を筆誅す可し某藝人我に德あり以て償ふ所なかる可からず〓〓一〓の恩を恩とする〓叔の如く、〓〓一飯の德を德とする韓信の如く廳報的確〓〓必ず報じ新聞紙を以て一種恐〓の武器と爲すものなきに非ずと雖ども我輩は所謂新聞紙の何物たるを知らず其智德の度も自から卑く文明の名〓を以て律するに足らざるものなれば今姑く之を〓き更に上流新聞記者の部分に就て論ぜんに元來新聞社なるものは其成立の初に於て固有の性質なかる可からず例へば倫敦タイムズ新聞は自由党にも偏せず保守党にも〓せず中正獨立の新聞なり即ちタイムズの本色にして江湖より之を望見すれば鬱然たる一〓の文林春夏秋冬其常靑を失はず現に昨年二月中〓〓長チユエリー氏物故しバツクル氏之れに代りたれども〓中一二名の交代は譬へば〓〓林中にて其一二株を移植するが如く文林一帶の觀相は終古依然其常靑の操を失ふことなし左れば倫敦タイムズは人に變更ありと雖ども〓の本色に變更なく〓會の人の之を信ずるも其人を信ずるよりも寧ろ其〓を信ずるの趣あり世の記者として新聞事業に從事するものは此趣を合點せざる可からず我輩の常に欣慕して止まざる所のものなり然るに世上或は記者一身の私の爲めに其新聞〓の色相を變ず一時の口氣は純然たる急進論者にして世人も皆な其急進の本色を認め居る最中、色相俄に變じて守舊と爲り前後の論議を對〓すれば自から論じて自から之を〓撃するが如き奇觀なきに非ず即ち一身の私に〓ひて自から欺き世を欺き兼ねて又其新聞紙を欺きたるものにして之を名〓の犯罪人と云わざるを得ず或は道德の部分を離れて論ずるも此輩の所爲は智と云う可からず記者若し其説を左右にせんと欲せば必ずしも之を人目に閃かせず暗々〓に其所爲を〓ぶる趣向なきに非ず先年露國の筋の新聞記者が日〓曼の都、伯林に入り込み某新聞を發〓して巧に自國の爲めに辨論せしことありしが其論の婉曲なる世を擧て其露國人の手に成ることを知らず伯林の大都會中に在て其外國人たり又其自から爲にする新聞たりしことを顕わさざる數年に及びたりと云ふ左れば彼の上流新聞を以て自から任じ然かも〓々其本色を變化し又其變化の痕跡を指點さるゝ物共は獨り新聞記者の德義に愧づるのみならず智術も亦極めて淺薄なるものと云わざるを得ず我輩新聞記者として甚だ不敏たりと雖ども〓ふ之を以て自から戒め又此流の記者輩が其痕跡を世に絶たんことを希望するものなり(畢)